人気絶頂期90年代のF1レーサー
1990年代初頭、日本はバブル期真っただ中と言うのもあり、HONDAのエンジンを積んだマシンが表彰台を独占したり、日本人レーザーが躍動するなどもあって、日本ではゴールデンタイムで放送されるほど空前のF1ブームとなっていました。0.01秒を争う世界で生きる男たち、1990年代初頭に活躍した名ドライバーを回顧してみましょう。
87年、鈴鹿サーキットで10年ぶりの日本グランプリが開催
アイルトン・セナ
「音速の貴公子」アイルトン・セナ
1988年、1990年、1991年と計3度ワールドチャンピオンを獲得した「音速の貴公子」。実力はもちろんの事、そのイケメンぶりで女性ファンの心を掴んで離していなかった。
また、天才と言う称号を欲しいままにしていた鮮やかすぎるレース運びは、女性はもちろん男性まで惹きつけられたものです。
ユーミンと親交があり、彼が亡くなった事を悼んで「Good-bye friend」が作られた。
ナイジェル・マンセル
ナイジェル・マンセル
F1とCARTのチャンピオンを2年続けて獲得したまさにレーサーの申し子。
その風貌から日本では「マリオ」とも呼ばれ親しまれていた。
セナの最大のライバルと言えば、多論があると思いますが、やはりマンセルだと(私は)思います。
中嶋悟
日本人ドライバー初のフルタイムF1参戦ドライバー。まさに日本人ドライバーの道を切り開いた開拓者である。
その走法は、最後の最後まで諦めず、例え後方からでも徐々に前へ前へと進む「納豆走法」で日本人視聴者を最後の最後まで釘付けにさせてくれた。
アラン・プロスト
アラン・プロスト
1985年、1986年、1989年と3度F1ドライバーズチャンピオンに輝いたのち、1992年には休養となり、プロストの時代は終わったとも揶揄されたが、見事に翌年の1993年4度目のF1ドライバーズチャンピオンとなり「さすがプロスト!」と歓喜の声が挙がった。
個人的にはチャンピオンにはならなかったものの、フェラーリの真っ赤なボディに乗っているイメージが強く、フェラーリに憧れを持っている人も少なくなかった。
鈴木亜久里
鈴木亜久里
日本人離れした阿部寛もびっくりのソース顔イケメンで、CMなどにも多く登場していた人気レーサー。
1990年の鈴鹿GPで、日本人初の表彰台に立ち(3位)で、日本人でも表彰台に乗れるのだと多くの日本人に勇気と感動を与えた。
ネルソン・ピケ
ネルソン・ピケ
1981年・1983年・1987年と、3度のドライバーズチャンピオンに輝いた「四天王」のひとり。1990年は、晩年期で同じブラジル人のセナなどには及ばないものの、鈴鹿では3位に入るなど「さすが!」という熟練の技が光った。
ミハエル・シューマッハ
ミハエル・シューマッハ
上記のピケに変わるベネトンのエースとして彗星の如く現れ、その正確無比な走行から「サイボーグ」「ターミネーター」とも言われたほど。
1995年にドライバーズチャンピオンになって以来、その圧倒的な強さから長期政権が予想されたが、それは現実のものとなった。
デイモン・ヒル
デイモン・ヒル
いつもセナと競っていて、2位になっていた印象のある名ドライバー。
きっとアイルトン・セナと言う天才がいなかったら、今以上に名声を得ていたでしょう。
片山右京
片山右京
1994年に第1戦、第3戦と連続して5位入賞し、「もしかしたら…」と日本人に夢を見させてくれた名ドライバー。
海外からは「カミカゼウキョウ」と言われ、怖れられたほど。