野村 昭子(のむら あきこ)プロフィール
本名 増見ますみ 昭子あきこ
生年月日 1927年1月2日
没年月日 2022年7月1日(95歳没)
出生地 東京府東京市神田区(現:東京都千代田区)
死没地 東京都港区
活動期間 1952年 - 2022年
経歴
ニコライ堂
1927年1月2日に東京市神田区(現:東京都千代田区)で誕生した野村さん。
実家は医療器具の卸業を営み、裕福な家庭であったと言います。
しかし幼い頃に叔父夫婦の家に養子に出され、養女として育てられています。貧しさのために養子に出されたわけでなく叔父夫婦が子供に恵まれなかったというのが理由だったようです。
学生時代は第二次世界大戦中
勤労動員され働く女性工員(1941年)
叔父夫婦に育てられた野村さん私立の桜蔭高等女学校を経て、東京薬学専門学校女子部(現在の東京薬科大学)と進みます。(在学中に薬剤師免許も取得されたとか)
因みに、野村さんの学生時代は、第二次世界大戦(1939年~1945年)中で野村さんが12歳(小6)~18歳(高校生)も時でした。
1945年8月15日の第二次世界大戦終戦時、野村さんは18歳で、戦争で苦痛な経験をして、終戦を知った後に自決(自殺)を考えたと言います。
東京薬学専門学校女子部の教員から青酸カリをもらったのを(いつでも自決できるように)、自身の血液型と氏名を書いて縫い付けてあった胸ポケットに入れ、自決するために皇居に向かい大勢の人が平伏しており、その中には平伏した姿勢のまま命を絶っている兵隊の姿もあったそうです。
野村さんはそうした状況を見て、急に気持ちが冷めてしまい、死ぬ事はやめて帰宅したと言います。
俳優座養成所の第1期生
1946年に東京薬学専門学校(現:東京薬科大学)卒業後、薬剤師として東京大学医学部附属病院に勤務していた野村さん「東大劇研」のサークルの舞台を手伝う機会があり、それをきっかけに演劇に魅せられ、1949年に劇団俳優座養成所の第1期生として入所します。
劇団俳優座に入団
1952年に養成所を卒業し、そのまま劇団俳優座に入団した野村さん演出家の千田是也さんらに鍛えられ、「完璧に台本を覚えること」「NGを出さないこと」を信条とれていたのだそうです。
デビューは、俳優座の舞台で「赤い陣羽織」という作品で初舞台を踏んでいます。
また1953年には映画「思春の泉」にて映画デビューも果しています。
その後も野村さんは、確かな演技力が評価され舞台や映画・ドラマ等、多くの作品に起用されています。