チェッカーズとして
シングル31曲・アルバム10枚・ベスト・アルバム17枚をリリースされています。
因みに、1985年7月5日にリリースされたチェッカーズ7枚目のシングル「俺たちのロカビリーナイト」のB面「青い目のHigh School Queen」の作曲者は徳永さんでチェッカーズ時代の唯一のソロ曲になります。
チェッカーズ解散
ラストシングル「Present for you」
数々のヒット曲を連発させた「チェッカーズ」ですが、1992年末に解散しました。
解散理由についてリーダーの武内さんは、「チェッカーズとして活動すると同時に、メンバーそれぞれの個性を伸ばしていこうというバンドだったので、道が変わってきた」とコメントしています。
解散後
グループ解散後、郁弥さん、武内さん、大土井さん、尚之さんは、所属事務所を退社されましたが、高杢さん、鶴久さん、徳永さんは所属事務所に残り、その後、それぞれソロで活動を続けられています。(後に、所属事務所からこの3名も退社)
所属事務所に残った理由
※画像はイメージで父親の事故ではありません。
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徳永さんの実父は会社を経営されていて仕事で運転していた車での踏切事故で1985年末に他界されています。
この時、事故についての補償など事後処理は、「チェッカーズ」の所属事務所・スリースタープロが行なったと言います。
徳永さんは、この事故補償での義理を通したからだといわれています。
またC-C-Bの笠浩二さんとは同じ福岡県生まれのドラマーということもあり親交が深く、チェッカーズ解散についても真っ先に笠さんに報告したという。
ロックバンドを結成
チェッカーズ解散後の1993年に徳永さんは、ロックバンド『Little Bach』を結成し徳永さんがリーダーとなり、準備期間を経て1995年より本格的に活動を開始されました。
デビュー曲『眠れぬ美女』は、同年1月から3月まで東海テレビの昼ドラマ枠にて放送されたテレビドラマ「指輪」の主題歌に起用されています。
更に同年4月4日からレギュラーラジオ番組「LBillian Night」(Kiss-FM KOBE、1996年3月29日まで)も開始されるなど、スリースタープロが総力を挙げて売り出したバンドだったんですよ。
スリースタープロが総力を挙げて売り出していましたが、CDの売上・ライブ動員数ともに伸びず、1996年2月にはメインボーカルの小田切さんが脱退すると更に活動は失速し1998年2月28日に事務所決定により解散しました。
徳永さんは事務所を退所、一時は芸能活動を全て停止し、大型トラックの運転手をして生活していた時もあったといいます。