全日本女子プロレス創業者松永高司氏を伯父に持つ影かほるさんも、ミゼットプロレスについて「見世物で何が悪いの!こいつらプロレスやって幸せなんだよ」「プロレスでカネを稼げて飲みにも行けるし、女も買える。最高に幸せなんだよ!」
可哀想っていう考えを持った時点で、「ボランティアの人たちは大きな差別をしてると思う」と私見を述べていました。
全日本女子プロレスでダンプ松本の影武者としてデビューした『影かほる』!! - Middle Edge(ミドルエッジ)
重要な就職口
かつては低身長症者は奇形の如く扱われ、就職などで差別されることも多かったことからミゼットプロレスは低身長症の者にとって生活の糧を得る重要な就職口の1つでした。
また試合がない時には、テレビ局などからの依頼を受けて、小型の着ぐるみを担当するスーツアクターの仕事もされてるレスラーの方もいたそうです。
他にも、低身長人口自体が減った事から、後継者難に悩まされ(全日本女子が経営難になる前は、秩父市に存在した全日本女子の施設の管理人と言う形で引退後の生活を保障されていたそうです。(現在は施設も存在しない)
一時期は1人に・・・。
日本でも前座として活動していた「ミゼットプロレス」ですが、低身長症の一部が治療可能になり低身長人口自体が減った事から一時期は選手がミスター・ブッタマン選手しかいなくなり、試合が組めなくなったこともありました。
救世主
プリティ太田
後継者難に悩まされていた全日本女子プロレスですが、全日本女子解散直前の2004年に全日本女子プロレス入門された太田ヒロユキ選手が「プリティ太田」としてデビューして久方ぶりに試合が組めるようになっています。
2004年5月14日倶知安町民体育館大会でのMr.ブッタマン戦でデビュー戦。(全女翌2005年で解散)つまりプリティ太田選手は、「全女最後の新人」レスラーとなっています。
全日本女子解散後は・・・。
全日本女子解散後はメジャー女子プロレスAtoZに引き継がれ、太田選手とミスター・ブッタマン選手も移り試合をされています。
NEO解散後はREINA女子プロレスでは、ミゼットレスラーが2人しかいない為、女子レスラーと試合を組ませるようになり、ミゼットレスラー同士の試合は年1回あるかないかの状態と言います。
因みに、現在もレスラーとして活動しているが、ミゼットの現状はプリティ太田選手とミスター・ブッタマン選手の2人きりとなります。
その後の試合
2014年10月20日、BSスカパー!の番組「BAZOOKA!!!」で「復活!ミゼットプロレス生放送」と題して約52年ぶりにミゼットプロレスのテレビマッチが実現しました。
2017年6月30日、ABCの番組「探偵!ナイトスクープ」で「ミゼットプロレスに挑戦したい」という依頼で、低身長の依頼者&プリティ太田組選手対ミスター・ブッタマン選手の試合が行われています。
そして・・・。
伊藤 薫さんのブログより
2022年5月28日、小人プロレス再生を目指し新団体「椿ReINGz」が旗揚げされました。