ミゼットプロレスって?

アンドレ・ザ・ジャイアントと並ぶミゼットレスラー
北米では

キャットファイト「泥レス」
女性のキャットファイトである「泥レスリング」や「オイルレスリング」・「ローションプール」と同じで格闘というより、笑いを取ることを目的としたショーとして興行が成り立っていたと言います。
特に小人症の人が見世物、あるいはテレビや映画などで、お笑い取りとして使われた長い歴史があるため、差別的として、北米では70年から80年にかけ衰退していったそうで、興行も下層階級の飲み場などの場所で、酒を飲む客の前で、滑稽なコスチュームをした小人のキャットファイトのようなものが殆どだったとか・・・。
日本では?
日本においては1960年代前半に数回、日本プロレスと関わりのあったプロモーターが、アメリカのミゼットレスラーを招へいして「小人プロレス国際試合」もしくは「小人国プロレス大会」と称し、ミゼットプロレス中心の興行を独自で打った記録が残っています。
その際には前座で日本プロレスの選手も出場し「ミゼットプロレス」がメインだったそうです。
日本でも全日本女子プロレスが旗揚げされた際は、「ミゼット」をメインとして行われ、女子プロレスが前座扱いだったそうですが、1973年に人気レスラーマッハ文朱さんがデビューしてからは、メインは女子プロレスに移って逆に「ミゼットプロレス」が前座となっていきました。
ザ・ドリフターズの番組でも
コミカルな面が強く彼らを笑い物にしているとして一部の視聴者から非難があり、ザ・ドリフターズの番組や全日本女子のテレビ中継でもカットされるようになっています。
1980年代「8時だョ!全員集合」のメインコントにミスター・ポーンが数回出演し(故)志村けんさんがポーン選手を突き飛ばすが、ポーン選手が何事もなかったように起き上がり、逆に志村さんを突き飛ばす、というコントを行っていたが、一部視聴者からのクレームにより放送が中止されている。

ホーンズワグル
70年代半ばには、「ミゼットプロレス」は、見世物で可哀想という指摘も視聴者からもありました。
しかし当の ミゼットレスラー達は「自分達は笑われているのでは無い、笑わせているんだ」という自負を持っていて、実際に「自分の技に笑って1人くらい死ぬ人がいれば本望」と発言したミゼットレスラーもおりました。
影かほるさんも

影かほるさん
全日本女子プロレス創業者松永高司氏を伯父に持つ影かほるさんも、ミゼットプロレスについて「見世物で何が悪いの!こいつらプロレスやって幸せなんだよ」「プロレスでカネを稼げて飲みにも行けるし、女も買える。最高に幸せなんだよ!」
可哀想っていう考えを持った時点で、「ボランティアの人たちは大きな差別をしてると思う」と私見を述べていました。
全日本女子プロレスでダンプ松本の影武者としてデビューした『影かほる』!! - Middle Edge(ミドルエッジ)
重要な就職口

かつては低身長症者は奇形の如く扱われ、就職などで差別されることも多かったことからミゼットプロレスは低身長症の者にとって生活の糧を得る重要な就職口の1つでした。
また試合がない時には、テレビ局などからの依頼を受けて、小型の着ぐるみを担当するスーツアクターの仕事もされてるレスラーの方もいたそうです。
他にも、低身長人口自体が減った事から、後継者難に悩まされ(全日本女子が経営難になる前は、秩父市に存在した全日本女子の施設の管理人と言う形で引退後の生活を保障されていたそうです。(現在は施設も存在しない)
一時期は1人に・・・。

日本でも前座として活動していた「ミゼットプロレス」ですが、低身長症の一部が治療可能になり低身長人口自体が減った事から一時期は選手がミスター・ブッタマン選手しかいなくなり、試合が組めなくなったこともありました。
救世主

プリティ太田
後継者難に悩まされていた全日本女子プロレスですが、全日本女子解散直前の2004年に全日本女子プロレス入門された太田ヒロユキ選手が「プリティ太田」としてデビューして久方ぶりに試合が組めるようになっています。
2004年5月14日倶知安町民体育館大会でのMr.ブッタマン戦でデビュー戦。(全女翌2005年で解散)つまりプリティ太田選手は、「全女最後の新人」レスラーとなっています。
全日本女子解散後は・・・。
全日本女子解散後はメジャー女子プロレスAtoZに引き継がれ、太田選手とミスター・ブッタマン選手も移り試合をされています。
NEO解散後はREINA女子プロレスでは、ミゼットレスラーが2人しかいない為、女子レスラーと試合を組ませるようになり、ミゼットレスラー同士の試合は年1回あるかないかの状態と言います。
因みに、現在もレスラーとして活動しているが、ミゼットの現状はプリティ太田選手とミスター・ブッタマン選手の2人きりとなります。
その後の試合
2014年10月20日、BSスカパー!の番組「BAZOOKA!!!」で「復活!ミゼットプロレス生放送」と題して約52年ぶりにミゼットプロレスのテレビマッチが実現しました。
2017年6月30日、ABCの番組「探偵!ナイトスクープ」で「ミゼットプロレスに挑戦したい」という依頼で、低身長の依頼者&プリティ太田組選手対ミスター・ブッタマン選手の試合が行われています。
そして・・・。

伊藤 薫さんのブログより
2022年5月28日、小人プロレス再生を目指し新団体「椿ReINGz」が旗揚げされました。
椿リングズ | Tsubaki Reingz
最後に・・・。

いかがだったでしょうか?
また面白そうなネタがあったらまとめてみたいと思います。
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