ビューティ・ペアは「かけめぐる青春」「真赤な青春」「青春にバラはいらない」などの出す曲全てが大ヒットし、ジャッキー佐藤さんも「美しい決意」、「ポケット一杯の涙」、「もしも旅立ちなら(B面:Ciscoを探せ)」等、ソロシングルレコードも出されていました。
ビューティ・ペア同士の対決
1977年11月1日にはマキ選手が持つWWWA世界シングル王座に挑戦されています。
この試合は「ビューティ・ペア」同士の対決として注目され、互いに譲らず60分時間切れとなりましたが、判定で佐藤さんタイトルを獲得しています。
敗者引退試合チケット
1979年2月27日には「敗者引退」という過酷なルールの試合もありました。
当時の全日本女子プロレスは、「敗者引退」や「髪切りデスマッチ」「金網デスマッチ」など次から次へと過酷なルールの試合を組んで人気上げていました。
佐藤さんとマキさんの「敗者引退」試合は、48分7秒、エビ固めで佐藤さんが勝ちマキさんは引退する形となり会場では、ファンの女の子達が号泣されています。
同時に「ビューティ・ペア」に終止符が打たれました。
その後 佐藤さんも引退に・・・。
1981年2月25日のジャガー横田さん(当時:横田利美)戦で同王座から転落し、1981年5月21日に引退式が行われ引退されました。
ジャパン女子プロレス
「全日本女子プロレス」引退後、佐藤さんは新団体「ジャパン女子プロレス」の設立に参加されます。
セメントマッチ
そして1986年8月17日、対神取忍さん(当時:神取しのぶ)戦で現役に復帰されましたが、団体内でのトラブルから神取さんとの確執が表面化し、1987年7月18日の神奈川・大和車体工業体育館大会において行われた神取さんとの一騎打ちが壮絶なガチンコ対決を行い敗れた佐藤さんは、1988年3月20日での試合を最後に現役を引退されています。
引退後は?
現役引退後、佐藤さんは1988年には体操教室の会社「ジャムナ」を設立され、スポーツプログラマー、ヘルスケアトレーナーの資格を取得し、中高年女性を中心に自らが考案した「ジャムナ体操」を教える講師に転身されました。