『子供は変えられる 7日間あれば十分だ — 誰もやらなかった奇蹟のしつけ —』
井脇さん教育者として様々な活動をされていました。
1985年4月、学校法人国際開洋学園(静岡県)を設立し理事長に就任され国際開洋第一高等学校(静岡県)を設立し学校長にも就任されています。
1987年7月には、国際開洋カナダハイスクールを創立、理事長に就任、学校長も兼任。
1990年4月、国際開洋第二高等学校(和歌山県)が設立され学校長に就任。日本カナダ文化交流協会会長に就任。
更には、1992年4月、日本の観光を考える百人委員会委員就任[5]、財団法人国民の祝日を祝う会理事をされ日中婦人学会会長に就任し、1992年7月には、タイのワットサケオ身障者施設内に井脇ノブ子記念病院、井脇教育館(小学校)を建設されています。
選挙活動
教育者として実績がある井脇さん1972年12月に第33回衆議院議員総選挙に初めて無所属で旧大分1区から出馬されています。
ただ選挙の方はスムーズに行かなかった様で、この時は8,288票得票しましたが、7名中7位で村山富市(後の第81代内閣総理大臣)さんらに敗れ落選。
その後も・・・。
やらせてください!
(2回目)1995年7月、第17回参議院議員通常選挙の和歌山県選挙区に新進党より出馬し、140,570票得票し現職に2万票まで迫るが次点。
(3回目)1996年10月、第41回衆議院議員総選挙の静岡3区に新進党より出馬し、70415票得票されましたが、この時も次点。
(4回目)1998年7月、第18回参議院議員通常選挙の静岡県選挙区に自由党より出馬し、落選。
落選後、井脇さんが校長を務める国際開洋第一高等学校が寮内の薬物汚染の実態を発表。静岡県からはその後立候補されていません💦
(5回目)2000年6月、第42回衆議院議員総選挙の比例東海ブロックに自由党より比例単独4位で出馬し、落選。
(6回目)2001年7月、第19回参議院議員通常選挙の参議院比例区に自由党より出馬し、落選。
7回目で!
2005年9月、第44回衆議院議員総選挙の大阪11区に自由民主党より出馬、98,613票得票し民主党前職平野博文に3万票まで迫るが次点となったのですが、重複立候補した比例近畿ブロックで復活し、初当選されました。
井脇さんと言えば、ピンクのパンツスーツにループタイ、オールバックで、自身を「ワシ」と言い、「やる気!元気!井脇!」でインパクト絶大でしたね💦
正直初めて井脇さんをテレビで拝見した時は、オネエぽいおじさん議員が出て来たと思いました(失礼💦)
実は議員は1期のみ💦
絶大なインパクトから長年議員をされてる印象でしたが、実は井脇さん議員期間は、1期(4年間)のみで、2009年8月、第45回衆議院議員総選挙の大阪11区に自民党より出馬するも重複立候補した比例近畿ブロックでも復活ならず、落選してしまったんですよ。
更にその後も・・・。
2012年12月、第46回衆議院議員総選挙の大阪11区に自民党より出馬。重複立候補した比例近畿ブロックでも復活ならず、落選されました。(合計選挙は9回出馬されています。)
政界引退