井脇 ノブ子(いわき ノブこ)プロフィール

生年月日 1946年2月11日
出生地 大分県南海部郡鶴見町(現:佐伯市鶴見地区)
出身校 別府大学文学部史学科
拓殖大学大学院経済学研究科
前職 学校法人役員
所属政党 (無所属→)
(新進党→)
(自由党→)
自由民主党(二階グループ→二階派)
経歴
1946年2月11日に大分県南海部郡鶴見町(現佐伯市)で漁師の9人兄妹の末っ子として誕生した井脇さん。

「 ダイノジ」の大谷ノブ彦さん
幼少期は、男勝りな性格から金太郎というあだ名だったと言います。
現在は、ノブ姐の愛称で慕われお笑いコンビ「 ダイノジ」の大谷ノブ彦さんとは親戚関係だとか・・・。
幼少期

18歳の頃の井脇さん
井脇さんの家は決して裕福ではなく、毎日朝4時から海に潜り、アワビやサザエを採取して市場で売り家計を助けていたそうで、水泳が上達し、学生時代は競泳選手として活躍し18歳のときに100m自由形で国民体育大会への出場経験も持っているとか・・・。
そして小学校のときには、既に厚生大臣になるという夢を持ったと言います。
学生時代

『おまえらがかわいいけんなぐるんや — 人間・井脇ノブ子の衝撃の教育論 —』
1964年に別府大学文学部史学科に進学され大学時代には学園紛争が盛んな頃であり、大学自治会会長を務める傍ら大分大学の衛藤晟一等とともに大分大学学生協議会・全国学生自治体連絡協議会(全国学協)を結成し副委員長に就任。「学園正常化」を掲げ、全学連と対立したと言います。
後の内閣総理大臣秘書に!

中曽根 康弘
その後、拓殖大学大学院経済学研究科修士課程に進み1968年4月には、当時の総長中曽根康弘の秘書となり、9月には総理府主催第2回青年の船に団員として参加されていたそうです。
井脇さん結婚やお子さんは?

井脇さんは、27~8歳の頃には婚約者がいたそうですが、「結婚して何人かの子供を育てるより何千人もの子供たちを自分の子と思って愛情をそそぎなさい」という母の言葉を受け、結婚には至らず、以後独身を貫いたそうです。
教育者として

『子供は変えられる 7日間あれば十分だ — 誰もやらなかった奇蹟のしつけ —』
井脇さん教育者として様々な活動をされていました。
1985年4月、学校法人国際開洋学園(静岡県)を設立し理事長に就任され国際開洋第一高等学校(静岡県)を設立し学校長にも就任されています。
1987年7月には、国際開洋カナダハイスクールを創立、理事長に就任、学校長も兼任。
1990年4月、国際開洋第二高等学校(和歌山県)が設立され学校長に就任。日本カナダ文化交流協会会長に就任。
更には、1992年4月、日本の観光を考える百人委員会委員就任[5]、財団法人国民の祝日を祝う会理事をされ日中婦人学会会長に就任し、1992年7月には、タイのワットサケオ身障者施設内に井脇ノブ子記念病院、井脇教育館(小学校)を建設されています。
選挙活動

教育者として実績がある井脇さん1972年12月に第33回衆議院議員総選挙に初めて無所属で旧大分1区から出馬されています。
ただ選挙の方はスムーズに行かなかった様で、この時は8,288票得票しましたが、7名中7位で村山富市(後の第81代内閣総理大臣)さんらに敗れ落選。
その後も・・・。
やらせてください!
(2回目)1995年7月、第17回参議院議員通常選挙の和歌山県選挙区に新進党より出馬し、140,570票得票し現職に2万票まで迫るが次点。
(3回目)1996年10月、第41回衆議院議員総選挙の静岡3区に新進党より出馬し、70415票得票されましたが、この時も次点。
(4回目)1998年7月、第18回参議院議員通常選挙の静岡県選挙区に自由党より出馬し、落選。
落選後、井脇さんが校長を務める国際開洋第一高等学校が寮内の薬物汚染の実態を発表。静岡県からはその後立候補されていません💦
(5回目)2000年6月、第42回衆議院議員総選挙の比例東海ブロックに自由党より比例単独4位で出馬し、落選。
(6回目)2001年7月、第19回参議院議員通常選挙の参議院比例区に自由党より出馬し、落選。
7回目で!
2005年9月、第44回衆議院議員総選挙の大阪11区に自由民主党より出馬、98,613票得票し民主党前職平野博文に3万票まで迫るが次点となったのですが、重複立候補した比例近畿ブロックで復活し、初当選されました。

井脇さんと言えば、ピンクのパンツスーツにループタイ、オールバックで、自身を「ワシ」と言い、「やる気!元気!井脇!」でインパクト絶大でしたね💦
正直初めて井脇さんをテレビで拝見した時は、オネエぽいおじさん議員が出て来たと思いました(失礼💦)
実は議員は1期のみ💦
絶大なインパクトから長年議員をされてる印象でしたが、実は井脇さん議員期間は、1期(4年間)のみで、2009年8月、第45回衆議院議員総選挙の大阪11区に自民党より出馬するも重複立候補した比例近畿ブロックでも復活ならず、落選してしまったんですよ。
更にその後も・・・。
2012年12月、第46回衆議院議員総選挙の大阪11区に自民党より出馬。重複立候補した比例近畿ブロックでも復活ならず、落選されました。(合計選挙は9回出馬されています。)
政界引退
2014年11月には、政界引退されました。
引退後は何してんの?
引退後は元秘書で支援者の女性宅(豊島区内のマンション)で共同生活をしており、主な収入は国民年金(月約10万円)のみとなっていると言います。
日刊ゲンダイの取材で「議員年金は?」の質問にも1期4年弱しかしてないんで「ゼロですよ!」とコメントされています。
“小泉チルドレン”井脇ノブ子さんの今…月10万円の年金生活も人材育成の大志を抱く|日刊ゲンダイDIGITAL
現在の井脇さんは?
団体理事などの活動や、志帥会(自民党二階派)参与として提案書の作成も行なう様になり、2020年7月には松浪健四郎さんを発起人として、自民党の二階俊博幹事長と1990年代から2000年代に政治活動を共にした現元国会議員らで構成される「二階氏を囲む会」を結成されたそうです。
2022年5月現在76歳の井脇さん、まだまだ元気に動かれてる様ですね。
最後に・・・。
いかがだったでしょうか?
また面白そうなネタがあったらまとめてみたいと思います。
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