【訃報】「100万円クイズハンター」などで知られる俳優・柳生博さん死去。
昭和から平成にかけて俳優・司会者として活躍した柳生博さんが16日、老衰のため山梨県北杜市の自宅で亡くなっていたことが明らかとなりました。85歳でした。
第一報はこちらです!
柳生さんは1937年、茨城県出身。大学中退後、役者を志し劇団俳優座の養成所へと入所、1977年放送のNHK朝の連続テレビ小説「いちばん星」への出演で一躍有名となりました。その後は司会業も並行し、1981年から1993年にかけてテレビ朝日系「100万円クイズハンター」に司会者として出演、「ハンターチャンス」の決め台詞で話題となりました。その一方で、1989年には山梨県北杜市にギャラリーレストラン「八ヶ岳倶楽部」をオープン。作庭家として八ヶ岳倶楽部一帯の樹木の整備を行い、また第5代日本野鳥の会会長を務めるなど、自然を愛する活動を精力的に行っていました。
俳優・柳生博の芸能活動を振り返る!!
晩年は八ヶ岳の自然に囲まれて過ごしていた柳生さん。一方ミドル世代としては、70~80年代におけるバラエティやドラマへの出演が印象的かと思います。ここでは、柳生さんの芸能活動について軽く振り返っておきましょう。
ドラマ「いちばん星」で注目を集める!
柳生さんが俳優として一躍有名になったのは70年代のこと。学園ドラマにおける穂積隆信との「腰巾着コンビ」などで徐々に人気を獲得、1977年にNHK朝の連続テレビ小説「いちばん星」で野口雨情役を演じたことで全国区の知名度を獲得しました。
「円盤戦争バンキッド」など様々なドラマに出演!
60年代より多数のドラマで脇役で出演していた柳生さんですが、1976年から1977年にかけて日本テレビ系で放送された特撮「円盤戦争バンキッド」の宇崎博彦役、1978年にテレビ朝日系で放送された「がんばれ!レッドビッキーズ」の江咲幸一郎役などが記憶に新しいところです。
「100万円クイズハンター」で司会を務める!
1981年からは、テレビ朝日系「100万円クイズハンター」に司会者として出演。平日の帯(週5日)に放送されていた番組でありながら、毎回豪華な賞品が解答者にプレゼントされていたバブリーな内容で、名台詞「ハンターチャンス」とともに、ある意味俳優以上の当たり役となりました。
このように、我々にとって実に懐かしい番組の数々に出演し、俳優・司会者としての足跡を遺した柳生さんの功績は、これからも語り継がれていくことでしょう。ご冥福をお祈り申し上げます。
「八ヶ岳倶楽部」公式サイト
八ヶ岳倶楽部
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