1980年代前後で注目された有名建築家の作品

1980年代前後で注目された有名建築家の作品

世界で活躍する建築家の中には、誰でも知っているような著名な方が数多くおられます。日本人建築家の中にも、世界から高い評価をされている方がいるんですよ。それも、結構大勢の建築家が。かつて訪れたことのある美術館や、普段気にせず歩いていた街角に建つ建物も、そんな建築家の作品かもしれません。今回は、それらの名だたる日本人建築家の中から、1980年代前後の活躍した人をピックアップしてみました。


前川國男(まえかわくにお)

1928年、東京帝国大学工学部建築学科卒業後にパリへ行き、ル・コルビュジエの事務所に入所します。2年後には帰国し、アントニン・レーモンドの事務所に入所して建築を学び、1935年に個人事務所開設。1968年には第1回日本建築学会賞大賞を受賞し、1979年にフランスのレジオン・ドヌール勲章を受章します。1986年、81歳で亡くなりました。ル・コルビュジエやアントニン・レーモンドの下で学んだ、日本におけるモダニズム建築の先駆者として知られています。

前川國男 自邸

1942年、前川國男氏の自宅として建てられた住宅です。1996年、モダニズム建築の要素が各所に見られる貴重な住宅建築のため、「江戸東京たてもの園」に移築・保存されました。太平洋戦争開戦の翌年という社会情勢から資材が思うように手に入りませんでしたが、伝統文化への回帰に向かう状況を反映して、瓦屋根に縦板張りという典型的な和風建築になっています。しかし、そこは前川國男氏の自邸、幾何学的な格子窓や大胆に用いられた灯り障子など、モダニズムの精神に溢れる建築です。

東京文化会館

東京文化会館は、1961年の東京都開都500年祭の記念事業として開館しました。芸術文化施設として設計され、オペラ・バレエ・オーケストラなどの公演ができる大ホールをメインとして、小ホールや音楽資料室などが配置されています。特に、歴代音楽家から評価が高かったのが音響の良さ。曲面で表現した大庇は重厚感があり、文化会館の特徴になっています。この庇が生み出す巨大な軒下が、屋内外の空間を繋ぐ役割を果たしているのです。色彩豊かな館内は、赤い壁面。深い青の天井・金色の装飾など、コンクリートに良く映える色使いで、芸術を味わう空間を演出しています。

丹下健三(たんげけんぞう)

1938年、東京帝国大学の工学部建築科を卒業した後、世界的な建築家ル・コルビュジエに影響を受けた丹下健三は、その愛弟子である前川國男の建築事務所に就職します。しっかりと前川國男イズムを学んだ後、1961年に丹下健三+都市・建築設計研究所を設立。この独立をきっかけに、「空間と象徴」という課題に取り組みことに。丹下健三独自の理論を構築した、構造主義を発展させた作品がたくさんあります。1970年には、大阪万博・会場マスタープランの設計に取り組み、1987年にはプリツカー賞受賞。1986年、東京都新庁舎の指名コンペで丹下健三設計の都庁が選出されます。2005年、91歳で亡くなりました。

日本万国博覧会マスタープラン

1970年、大阪の千里丘陵で開催された日本万国博覧会。日本国の力を結集させた一大イベントにおいて、丹下健三は京都大学教授の西山夘三とともに総合プロデューサーを務めました。博覧会の中心施設となる「お祭り広場」の設計も丹下健三によるものです。リフトアップ工法という先駆的な構造で構築された大屋根を、僅か6本の柱で支えています。その斬新な意匠と独特の構造体は。今でも長く語り草となっている構造物です。

国立代々木競技場

国立代々木競技場は、1964年の東京オリンピックのために建設された施設です。吊り橋のような吊り構造によって支えられる独特なフォルムの建築物。第一体育館は2本の柱、第二体育館は1本の柱によって、屋根全体を吊り下げています。今回の設計で丹下健三がもっとも気を使ったのが、選手と観客の一体感でした。それを実現するために考案されたのが「無柱空間」。当時の吊り構造、橋梁などでは一般的な構造でした。しかし建築物においては稀で、それもこんなに巨大な空間の屋根を吊り上げるというのは想像を絶しており、前代未聞の構造体は世界中に衝撃を与えたのです。

磯崎新(いそざきあらた)

1954年、東京大学工学部建築学科を卒業後、丹下健三研究室(都市建築設計研究所)にて建築設計の技術を磨いていきます。1961年には丹下健三研究室を退職し、磯崎新アトリエを設立。1967年、「大分県立大分図書館」で日本建築学会賞(作品賞)を受賞します。1986年には、王立英国建築家協会(RIBA)より、RIBAゴールドメダルも受賞しました。

奈義町 現代美術館

奈義町 現代美術館は、岡山県奈義町に建てられた1994年開館したの美術館です。国際的に活躍する3組のアーティストが展示空間込みで作品を構想、それを磯崎新が建築化するという画期的な取り組みで、作品と建物が一つになっているのが大きな特徴の美術館です。「空間=作品」というコンセプトに基づいた美術館は、当時としてはあまりに斬新な設計であり、この後の美術館建築に大きな影響を与えるきっかけになりました。

水戸芸術館

水戸芸術館は、茨城県水戸市において1990年に開館した、美術館・コンサートホール・劇場が融合した現代芸術の複合施設です。施設の中央には、大きな芝生広場とけやきの木が配置され、各部門の建物が三方から回廊により広場を取り囲むという古典主義的な設計になっています。コの字型で独立しているかのような建築物は、実際には一つに繋がっているのです。しかし、あたかも複数の小さな建物のように設計され、一体の大きな建物が放つ威圧感を感じないようになっています。チタン製の三角形パネルを組み合わせて造られた、高さ100mのシンボルタワーはアートタワーと呼ばれ、磯崎新の設計によるものです。

黒川紀章(くろかわきしょう)

京都大学建築学科を卒業後、東京大学大学院に入学し、在学中に「株式会社黒川紀章建築都市設計事務所」を設立します。1960年には、建築の理論運動メタボリズムを結成。メタボリズムとは、黒川紀章や菊竹清訓などの日本の若手建築家たちが起こした建築運動です。1986年、フランス建築アカデミーのゴールドメダルを受賞し、1989年には世界建築ビエンナーレ・グランプリ・ゴールドメダルも獲得。更に、フランス芸術文化勲章を受章しました。2007年に73歳で亡くなっています。

国立新美術館

国立新美術館は、2007年開館の美術館で、東京の六本木に位置する日本で5館目の国立美術館。延べ床面積は日本最大規模を誇り、建物前面に配置されているのがガラスのカーテンウォールで、まるで波のような美しい曲線を描いています。コンセプトは「森の中の美術館」、青山公園周辺の緑地に溶け込むように置かれた庭園の眺めが、美術館の中からも楽しめます。

和歌山県立近代美術館

和歌山市吹上に建てられた和歌山県立近代美術館は、黒川紀章設計が手がけた美術館の一つです。この美術館の特徴になってるのが、庇を多用したファサード。中には三重になっているところも見られます。その庇は、和歌山城の屋根がイメージされた意匠にしたからとか。和歌山県立近代美術館は、公共建築賞優秀賞を受賞した上に、公共建築百選にも選ばれました。隣接する和歌山県立博物館とは地下で繋がっており、空調システムや電気系統などを共通とする一体の建築物になっています。

原広司(はらひろし)

1964年に東京大学大学院数物系研究科建築学専攻博士課程を修了して、1970年 
以降より、アトリエ・ファイ建築研究所と協働して設計を行うようになります。1986年には「田崎美術館」で日本建築学会賞(作品賞)を受賞し、2013年には 
日本建築学会大賞を受賞しました。

梅田スカイビル

梅田スカイビルは、1993年に竣工した大阪市にある超高層ビルです。地上40階・地下2階・高さ約173mの建築物で、2棟の頂部が円形の空中庭園展望台で連結された構造になっています。独特で斬新な形状から、大阪のキタでは欠かせないランドマーク。イギリスの出版社が選んだ世界の建築20選に、パルテノン神殿・コロッセオとなどの超有名歴史的建造物と並んで選出された、世界的にも有名な建築なんです。

京都駅

誰もが知っている京都の玄関口となる「京都駅」。1997年に新しい京都駅として竣工し、地上16階・地下3階の巨大な駅ビルに生まれ変わりました。駅舎としては日本有数の規模を誇ります。コンセプトは「京都は歴史への門」、京都市内の街路の特徴である「碁盤の目」の考え方が用いられています。当時、賛否両論を巻き起こしたことでも有名ですね。それでも、約4,000枚のガラスを使った超巨大空間や、東西両脇に段々状のエスカレーターとフロアが積み重なる配置計画はさすがの一言。谷の建築とも呼ばれ、近代建築の大胆な試みがあちこちで見られます。

谷口吉生(たにぐちよしお)

建築家谷口吉生は、モダニズムの建築家として有名な谷口吉郎を父に持つ言わばサラブレッドの家系。ハーバード大学建築学科大学院を1964年に卒業し、ボストンの建築設計事務所で勤務します。1965~1974年までは、東京大学都市工学科丹下健三研究室および丹下健三都市・建築研究所に所属していました。1975年には独立して、計画・設計工房を開設。2001年には「東京国立博物館法隆寺宝物館」で日本建築学会賞受賞しています。

東京国立博物館 法隆寺宝物館

谷口吉生設計の法隆寺宝物館は、東京国立博物館にあります。ステンレスフレームとガラスで構成された美しい建物。隣接する東洋館は、父である谷口吉郎氏の設計によるものです。明治11年(1878年)に法隆寺から皇室に献納された300件ほどの「法隆寺献納宝物」を保存展示するために建てられた建築物で、昭和39年(1964年)に開館されました。現在見られるのは、2代目の建物で、1999年開館となります。

豊田市美術館

豊田市美術館は、愛知県豊田市において1995年に開館した美術館です。鉄とガラスを素材としたシンプルなモダニズム建築。アメリカ製スレートで構成された直方体のモスグリーンと、乳白色のガラスで包まれたファサードが印象を強めています。自然光が効果的に降り注ぐ展示空間では、別の展示室が少しだけ見えるように配置されていたり、各展示室間に設けられた廊下から豊田市の眺望が見られるなど、意外性と面白さが随所に取り入れられています。日が落ちると、ガラスのファサードから光が放たれ、正面の池にはまるでランタンのように浮かびあがる建物の姿は必見です。

安藤忠雄(あんどうただお)

1941年大阪市に生まれた安藤忠雄は、家庭の経済的な理由で大学に通えませんでした。しかし独学で建築を学び建築士試験に合格して建築の道を歩みます。その人生はあまりに破天荒で、24歳の時にはチェ・ゲバラに影響を受け、インドのガンジス川でゲリラとして生きることを決意するのです。そしてこの年から4年間もの間、2度に渡って世界を放浪することになります。その後の1969年に安藤忠雄建築研究所を大阪で設立し、主に個人住宅を多く手がけていきます。1979年に「住吉の長屋」で日本建築学会賞を受賞。1989年にはベネッセの依頼により直島プロジェクトに参画し、1992年ベネッセハウス、1999年「家プロジェクト」を手がけることに。そして1995年には、「建築界のノーベル賞」とも称されるプリツカー賞を受賞するのです。

住吉の長屋

大阪市住吉区にある安藤忠雄が一躍脚光浴びるきっかけちなったデビュー作であり代表作となります。狭小住宅の「住吉の長屋」は、三軒長屋だった真ん中の1軒を切り取って、鉄筋コンクリート造りの小住宅に生まれ変わらせました。しかし、玄関からすぐのところに居間があり、台所・トイレ・2階に行くには、中庭を通貨する必要があります。なので、雨の日は傘をささなくてはならないということも。利便性を欠いた設計は、賛否両論が湧きあがりましたが、斬新で大胆なデザインが高く評価されました。総工費は解体費を含め1000万円という低価格、更には敷地的な厳しい条件下での設計となりましたが、当時の住宅では当たり前だった機能性や連続性に疑問を持つ安藤が行った、まさに渾身の表現と言えるでしょう。

茨木春日丘教会「光の教会」

光の教会は、茨木春日丘教会(大阪・茨木市)の礼拝堂として1989年に建築されました。安藤建築ではお馴染みのコンクリート打ち放しの建物です。祭壇の後ろに造られた、壁面いっぱいの十字架状のスリット窓が見事なアクセントを強調しています。コンパクトでシンプルな造りは、祈りの場にふさわしい静謐さに満ちた空間となりました。別名「光の教会」は、限られた予算の中での設計にも関わらず、誰もが目を見張るような厳かなデザインが評価され、1996年の国際教会建築賞を受賞。その人気は大きく、国内のみならず海外からも多くの人が見学に訪れています。

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