クレーンユウのプロフィール

まずはクレーンユウのプロフィールからご紹介します。
本名:本庄ゆかり
生年月日:1962年10月31日
出身地:東京都北区
身長:173センチ
体重:100キロ(全盛時)
プロレスラーとしての軌跡:1980年に全日本女子プロレスでデビュー。
1984年にマスクドユウとして活躍していたデビル軍団を脱退し、ダンプ松本と共に極悪同盟を結成。
1985年2月にはダンプ松本とのコンビで、クラッシュギャルズを破りWWWA世界タッグ王座に輝きます。
1985年4月にダンプ松本との同門対決に破れ、プロレスを引退しレフェリーに転向。
1985年はクレーンユウにとって、天国と地獄のような年だったのですね。
世界王座から一転、引退へ…。
アップダウンが激しいですね。
【全女・極悪同盟】クレーン・ユウ14000字インタビュー:Dropkick:『Dropkick』チャンネル(Dropkick編集部) - ニコニコチャンネル:スポーツ
マスクドユウとしてマスクマンになったのは、会社(全日本女子プロレス)の意向だったそうです。
それなのにマスクは自前で、そしてなぜかマスクのデザインはゾウアザラシだったとか…。
なかなかシビアな会社ですね…。
クレーンユウはなぜ極悪同盟によく思われていなかったのか?
上の動画は1984年のWWWA世界タッグ選手権でのダンプ松本対&クレーンユウ対ジャンボ堀&大森ゆかりです。
大型コンビ同士で凄い迫力ですよね。
極悪同盟を結成後、短い間ですが隆盛を極めたクレーンユウです。
それからたった1年で、レスラー引退まで追い込まれてしまいました。
一体なぜだったのでしょうか?
良い人過ぎた?
ダンプ松本と、クラッシュギャルズは上層部(松永ファミリー)から、お互いに憎しみ合うように仕向けられていたようです。
しかもあることない事吹き込むとう古典的な手法で(笑)
でもクレーンユウは、聞き流していて、全く気にしていなかったのでした。
パートナーのダンプ松本とは、かなり温度差があったのですね。
そしてリングを下りればファンにも手を振ってしまう、サービス精神が公私ともに極悪のイメージを崩したくないダンプ松本にとって、悩みの種となっていたのでした。
そういういきさつがあり、ダンプ松本との同門対決で敗れてレフェリーに転向させられてしまったのかもしれません。
いい人全開! クレーン・ユウ | 全日本女子プロレス 黄金伝説
本人も知らない間に肩たたきされてしまうとは、ブラック企業も真っ青ですね。
そしてレフェリーに転向したクレーンユウは、レフェリーなのに試合中に極悪同盟から襲撃を受けるという理不尽な仕打ちも、しばしば受けています。
その後のクレーンユウ
レフェリーに転向して活躍したクレーンユウですが、ダンプ松本引退後にブル中野主導で結成された獄門党で、マスクウーマン「ダイナマイトジャック」として、現役復帰しています。
そして1989年には本名の本庄ゆかりとして、ライオネス飛鳥を相手に引退試合を行いました。
引退試合ではセコンドについたブル中野が号泣し、クラッシュギャルズはクレーンユウのリクエストで「炎のバイブル」を熱唱しています。
ヒールからもベビーフェイスからも愛され、クレーンユウの人望が伝わってくるエピソードですよね。
その後はレフェリーとして、セコンドとして、OGとして女子プロレスに関わっていました。
なんと2016年には、東京・新木場1stRINGで行われたダンプ松本&堀田祐美子主催興行「極悪×暴走」スペシャルにおいて、ダンプ松本とコンビを組んでいます。
そしてエキシビジョンでジャンボ堀&大森ゆかりと戦っていました。
当時のファンとしては、垂涎物の一戦ですね。
極悪同盟の当時のメイクはかなり怖かったですが、とても楽しく優しい女性なのですね。
当時は無口なイメージがありましたが、明るい方のようです。
これからのSNSでの活躍も楽しみにしたいですね。