夏・体験物語のあらすじは?

まずは夏・体験物語とはどんなドラマだったのでしょうか?
Wikipediaより引用してみました↓
放送は1985年8月20日~同年9月25日までで、第6話で終了しています。(TBS系)主演は「毎度お騒がせします」でスターダムに駆け上がった中山美穂です。
女子高生グループの他のメンバーは、網浜直子、レイコ(少女隊)、ミホ(少女隊)でした。
主題歌は中山美穂の「C」で、性体験を連想させるタイトルにドキドキした青少年も多かったのではないかと思われます。
全寮制の学校に通う女子高生が、夏休みに高原の別荘に出かけて旅先で繰り広げる恋や、初体験が描かれていました。
気持ちイイ事したいというよりは、友達より早く経験したい!という見栄や好奇心からロストバージンを目指す女の子たちです。
高原で出会ったチャラそうな大学生と初体験をしちゃいますよ。
でも男性陣が下手なのか?ドラマだからなのか?あまりセックスシーンを露骨に描けていません。お茶の間の初体験に憧れる中高生もセックスってこんな物なの?という位、淡泊なのが残念でした。
テレビドラマでも後年(1997年)「失楽園」は川島なお美が惜しげもなくヌードを披露し、かなり濃厚なセックスシーンをお茶の間で繰り広げてくれていましたので、アイドル物の限界なのかもしれません。
でも下着姿や水着姿は披露していますので、帰省の厳しい今だったら考えられませんね。
出演は他に先生役の吉幾三や、寮長役の塩沢とき(脇役が濃すぎ…)などユニークなキャストが多かったです。
吉幾三が若いです!「俺ら東京さいぐだ」で一世を風靡した吉幾三は、ユニークなキャラが受けて、当時引っ張りだこでドラマやバラエティーにもたくさん出ていました。
あの頃はオジサンと思っていましたが、今観ると意外に若いです。
夏・体験物語では今だったら、シャレにならないようなセクハラしまくりの変態教師を熱演していました。
杉本由紀役の中山美穂のその後は?
中山美穂は1970年3月1日に、長野県佐久市で誕生しました。中学1年生の時に原宿でスカウトされて「ラッキー」と特に躊躇なく芸能界入りしています。
「毎度お騒がせします」の、のどか役でデビューし、いきなり下着姿を披露してお茶の間の度肝を抜きました。
また木村一八とのキスシーンもありましたが、当時中学3年生だったため撮影中に泣いてしまったと言われています。
ちょっと不良っぽくて積極的な女の子の役柄だったので、本人も同じイメージを持たれていましたが、大人しい性格で「笑っていいとも」などのバラエティー番組ではあまり話しませんでした。
歌手としても女優としても大人気で、夏・体験物語の後も「素敵な片思い」や「卒業」「素敵な片思い」などに出演しています。
1980年代から1990年代前半にかけて、ミポリンの愛称で男性はもちろん女の子の憧れとして君臨していました。
「素敵な片思い」で共演した柳葉敏郎もミポリンファンを公言するなど、芸能界にもファンふぁ多数います。

猫みたいな大きな瞳が魅力的で、ますます美しくなっています。
2002年には小説家の辻仁也と結婚し、フランスに移住しました。2004年には長男を出産しますが、2014年に離婚しています。
2020年12月には35周年「AllTimeBest」をリリースするなど、現在も歌手として女優としても活躍し続けていました。
村木すみれ(網浜直子)のその後とは?

網浜直子は1968年8月12日に兵庫県神戸市で生誕しています。
1984年にミスセブンティーンコンテストで、松本典子と共にグランプリを獲得しシブがき隊の主演映画「バローギャングBC」でデビューしました。
夏・体験物語では最初村木すみれは少女隊のチーコが務める予定でしたが、ドラマ前に少女隊を脱退してしまったので、代役として網浜直子が務めています。
夏・体験物語後は歌手として、女優として活動し1987年にはコーセーのキャンペーンガールも務めています。
夏・体験物語で共演した中山美穂とは親友で、笑っていいとものテレフォンショッキングでは、中山美穂が網浜直子に友達紹介として電話をかけていました。
大人しい性格でタモリと話が弾んでいなかった中山美穂が、網浜直子への電話では立ち上がって「網浜」と元気に名前を呼ぶなど、仲の良さが画面からも伝わってきましたね。
ちなみに夏・体験物語で共演した極悪同盟のダンプ松本とも仲良しです。
1998年にはタレントの松山三四郎と結婚し、2人の男児を出産していました。現在も女優とタレントとして活動を続けています!

村木すみれ(網浜直子)
長浜恵子(少女隊ミホ)のその後とは?

ミホこと藍田美豊は1969年8月31日に神奈川県逗子市で生誕しています。
1983年にオーディションで、レイコとチーコと共に選ばれ少女隊を結成しました。1984年にシングル「FOREVER~ギンガムチェックstory」をリリースしています。
「私たち少女隊♪一心同体少女隊」というフレーズは40代半ば以上の人なら覚えている人も多いでしょう。ファーストアルバムはアメリカの一流のミュージシャンが参加し、ロサンゼルスのスタジオでレコーディングという大物ぶりで、鳴り物入りのデビューでした。
でもデビュー前に放映される予定だった江崎グリコのCMがグリコ森永事件(懐かしい…キツネ目の男)で延期になるなど、不運なスタートとなりあまり売れなかったのですよね。
当時はおニャン子クラブなど普通の女の子がアイドルとして受ける風潮だったのも、時代の流れに乗れなかった理由でしょう。
夏・体験物語の後は秋元康がプロデュースし、アーティスト路線からアイドル路線に転向しています。
脱退したチーコの変わりに新メンバートモ(引田天功の娘)も加入し、その後は徐々に売れ出し3枚目のシングル「素直になってダーリン」ではザ・トップテンで初のランキング入りを果たしました。
5枚目のシングル「Bye-Byeガール」ではザ・ベストテンにてランキング入りを果たしています。
アジアでのマーケティングも開始し、1986年と1987年には東南アジアツアーも成功していました。
1989年に少女隊が解散するとミホは芸能界を引退して結婚しています。
子供が3人いて、その内の1人は173センチの長身を活かしモデルとして活躍している入夏(いるか)です。
またミホは「DOPE」にてヌード写真集も出版していました。福山雅治がミホファンだった事を公言しているので、ミホのヌード写真集には嬉しいような…ショックなような複雑な気持ちを抱いたかもしれませんね。

島美津子(少女隊レイコ)のその後とは?

夏・体験物語でも大人しい役柄で、1人ロストバージンにも乗り気ではなかったレイコのビジュアルは、大人しそうな美少女でした。
少女隊の中でも特に可愛くて好きでしたね。レイコこと安原麗子は1969年10月18日に神奈川県横浜市に生誕しています。
少女隊解散後も声優・女優としてソロで活動していました。1999年にはレイコ・チーコ・トモの3人で「1999少女隊」を再結成しデビュー曲「FOREVER~ギンガムチェックstory」をセルフカバーしています。

そしてレイコもまたヌード写真集を発売しています。(1993年)
お金をかけてデビューしたけれど、売れなかったために脱がされたと当時噂されていて、レイコファンとしては痛々しく感じてしまいましたね。
でも2016年には少女隊も再結成したり、結婚してお子さん(2006年生まれ)のことをブログで報告していたり、芸能活動の傍ら主婦業をメインに幸せに暮らしていました。
レイコファンとしては嬉しい限りです。
まとめ
1985年に放送された夏・体験物語のあらすじや出演者、そして出演者のその後についてまとめました。アイドルとしては刺激的な作品でしたが、その後もそれぞれ活躍しています。今後の活躍も期待したいですね。