山田パンダのスカウト、プロデュースでデビュー
SALLYは1981年、在学していた法政一高の文化祭に出場するために結成されました。翌年に高校を卒業し、法政大学に進学した後も、都内のライブハウスをメインにバンド活動を継続します。
1983年9月のCBSソニーオーディション東京大会に出場しますが、全国大会まで出場できず敗退しています。
同年11月の全国学生対抗ロックコンテストにも出場しますが、大学の吹奏楽部に所属していたため出場困難となった正規メンバーの箱崎昇(サックス)の代わりに出場した佐藤公彦が優秀プレーヤー賞を受賞したのみで、SALLYとしては落選してしまいます。
しかし、このコンテストの司会をしていた、フォークシンガーで元かぐや姫のメンバーの山田パンダから後日直接スカウトの連絡があり、メジャーデビューを打診されます。
そして1984年初頭、山田パンダカンパニーの設立に合わせて所属契約をし、彼のプロデュースで活動をしていくことが決定します。

山田パンダ「ベストアルバム~風の街~」
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「バージンブルー」が「キリンレモン2101」とのタイアップでヒット!
SALLYは1984年7月1日、ついにシングル「バージンブルー」でデビューします。「キリンレモン2101」とのタイアップだったこともあり、すぐにヒットして音楽番組への出演が増えていきます。この曲は、2006年にLeadがカバーしています。
当初、デビュー曲はのちに3枚目のシングルとして発売される「愛しのマリア」になる予定でしたが、もっと良いものができたとして作曲家の鈴木キサブローが持ってきたサビのフレーズがCMに起用されることになったため、急遽その前後のメロディーを作り、曲として完成させたのです。
チェック柄の衣装や髪型といった外見をはじめ、バンド構成や曲調という点からも、「第二のチェッカーズ」と称されることがありました。私個人は全然そうは思わなかったですけどね。
デビューからわずか2年弱で解散。その理由は?
SALLYは人気バンドとしての地位を確立しつつありましたが、デビューから丸2年と経たない1986年5月27日に解散してしまいます。
その経緯や理由については長く語られてきませんでしたが、解散から20年が経過した2006年9月から2007年3月にかけて、リードボーカル兼ギターの加藤喜一が期間限定ブログという形で詳細に書き記しています。
バンドがアイドル扱いされていたことや山田パンダとの確執と決別、マネージャーの死、解散が決まる前後はメンバー同士が口をきかないほど関係が冷え切っていたことなど、今だから話せるエピソードが率直に綴られています。
解散後から現在までの元メンバーの活動
SALLYの元メンバーたちは、現在何をしているのでしょうか?
サブボーカル兼ギターの杉山洋介は、当時の事務所の後輩だった島田奈美に楽曲を提供するなどの活動をしたのちにparis matchを結成し、現在も音楽活動を続けています。
加藤喜一はSALLY解散後、ビートたけしのバックバンドでギターを務めたり、楽曲提供や映画音楽の担当などをしていました。2003年に重症急性膵炎を患うものの、復帰後から現在に至るまで、ソロやユニットで音楽活動をしています。
旧メンバーの佐藤公彦はデビュー直前にSALLYを脱退しましたが、福山雅治のバックバンドなどを経て、現在は淡谷三治名義でMEN'S 5のリードボーカルとして活動しています。
加藤喜一の期間限定ブログによると、箱崎昇は九州で会社をやっているとありましたが、中には消息さえわからないメンバーもいるようですね。
SALLYとしての活動は短かったものの、伝説のバンドとして私たちの記憶に残っていることに変わりはありません。いつか再結成してくれるといいですね。