テレサ・テンが愛したタイ王国、最期の地チェンマイ
タイ王国は1年を通じて、温暖な気候で過ごしやすく多くの旅行者が訪れている。タイ北部の古都チェンマイは中高年に人気があり、日本人の海外長期滞在先に選ばれている。
1970年代から1990年代にかけて、人気を博した台湾出身の歌手テレサ・テンは、1987年に香港に移り住み、1989年にフランスのパリに単身移住した。1992年に「夜来香(イェライシャン)」を新たにレコーディングするも、この頃に喘息は悪化していた。そして静養のためにタイ・チェンマイに度々訪れていた。1995年5月8日、テレサはチェンマイのメイピンホテルで気管支喘息による発作を起こした、助けを求めたのか部屋から出て倒れ搬送されたが死去した。
テレサは部屋で亡くなったのではないが、日本人の感覚からするとホテルは事故物件として認識される。しかし、タイでは、”テレサ・テンさんがフランス人恋人と最後を過ごしたホテルの部屋”として亡くなった時の状態で保存され「テレサ・テン博物館」として公開されているのだ。
The Imperial Mae Ping Hotel(インペリアル メーピン ホテル)
住所:153 Sridonchai Rd, Tambon Chang Khlan, Mueang Chiang Mai District, Chiang Mai 50100 タイ
チェンマイ「テレサ・テン博物館」
「テレサ・テン博物館」(テレサ・テン・ミュージアム)は、「インペリアル・メー ピン・ホテル(The Imperial Mae Ping Hotel)」にあり宿泊者以外でも見学できる。
1階のロビーでチケット(写真)を購入。エレベーターで最上階の15階にまで上がり、エレベーターから廊下を進んだ奥にある角部屋の1502号室が、テレサ・テンが長期宿泊していた「テレサ・テン・スイート(テレサ・テン博物館)」だ。このエレベーターの前付近で午後4時ごろにテレサは倒れていた。
博物館に入ると、等身大のテレサ・テンの写真が置かれている。部屋にはテレサが愛用していた三面鏡、クローゼットが残され、バスルーム、ベッドルームも当時のまま保存されている。そして時が止まったようにテレサとフランス人のボーイフレンドの写真が飾られている。
メイピン・ホテルでテレサ・テンが不慮の死を遂げてから25年が過ぎても、日本や中国、台湾、シンガポールから観光客は訪れ、現在もテレサの人気度を物語っている。
A visit to Teresa Teng suite at Imperial Mae Ping Hotel, Chiang Mai, Thailand - YouTube
「テレサ・テン・レストラン&ビリー・カフェ」
ホテル1階にはテレサが利用していたレストランをリニューアルした「テレサ・テン・レストラン&ビリー・カフェ」(Teresa Teng Restaurant& Billy Cafe)がある。テレサ・テンの写真や最後のサインなどが飾られている。「テレサ・テン博物館」見学と「テレサ・テン・レストラン&ビリー・カフェ」でアフタヌーンティーを楽しむセットプランが用意されている。
テレサ・テンが滞在中に通った食堂「ラタナー」
テレサ・テンが滞在中に通ったというインペリアル・メイピン・ホテルの正面にある食堂「ラタナー」。天井には目印のテレサのサイン「With The Best Wishes! 1.1.1995」があるということだが住所、店名は不明である。
マレーシアに縁があるテレサ・テンと翡翠
テレサ・テンは、翡翠とルビーが好きだった。チェンマイに滞在している時によく翡翠店行っていたという。お店の場所や名前は公表されていないが、翡翠店のオーナーはマレーシアのイポー市出身のマダム、ヤン・イーシャン。ヤン氏とテレサは親友であり、店で色々な話をしたり相談していたという。
テレサはマレーシアに縁がある。1971年、最初のボーイフレンドで死去したカジノの大物の息子リン氏、そいて、1982年に婚約破棄をした富豪のクオック氏もマレーシア出身だ。
個人が経営する「テレサ・テン レストラン」
チェンマイのメーヒア地区に「テレサ・テン レストラン」という個人が経営する飲食店がある。正式な名称は「Billy Cafe & 清迈君友会」1階のミュージックカフェではカラオケやビデオが楽しめる。2階には、テレサ・テンが好きだった料理メニューを提供する中華レストランになっている。時間帯によりビュッフェが楽しめる。
住所:200/4 M.2 YEAR RD T.MAE HIA Mueang Chiang Mai Thailand ThailandChiang MaiMuang Chiang Mai 50100
場所は空港近くのビッグC ハーンドンとマクロハーンドンがある交差点をメーヒア生鮮市場方面に1キロほど行った左側。
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当時のボーイフレンドと香港のテレサ・テンの家
1986年か1988年頃、テレサは香港島の南側にあるスタンレーの丘の中腹にあるカーメルヒルの別荘を購入した。この家はテレサと香港の女性監督兼プロデューサーマイ氏の名前で登録されたが、テレサ・テンの家として知られており、観光名所でもあった。1990年に彼女はフランスの居住した。
そして1995年にテレサが亡くなったあとにボーイフレンドのポールは香港のテレサの家に戻り一人で3年間滞在していた。彼は婚約者としてテレサの財産を相続することを提案したが、テレサの家は名義人のマイ氏が相続した。
テレサが亡くなってから3年半後31歳のポールは、長かった髪を切りテレビにテレサの映像を公開しインタビューに答えている。
Teresa Teng those years before she passing away 鄧麗君 邓丽君 最後的秘密生活1 - YouTube
最終的にポールはフランスに戻り、何年も後にフランス人の女性と結婚、2人の子供をもうけ普通に暮らしているという。テレサと出会ったときは21歳だったポールは現在50代になっている。

香港スタンレーにあるテレサ・テンの家
File:The Home of Teresa Teng china.jpg - Wikimedia Commons
香港のスタンレーにある別荘は、2005年、マイ氏によって裕福な男性に売却された。
残念ながら緑色のテレサ・テンの家は現在取り壊されている。