12月25日の訃報
世の中がクリスマスムードに包まれていた12月25日。逸見さんの訃報が届きました。逸見さん自身が掲げた休養期間の三ヶ月間を過ぎた頃でした。
”ゴッドハンド”と称された羽生富士夫教授の手術を経て、一か月が経過した10月下旬。腸閉塞により絶食状態になった逸見さん。その後は高栄養の点滴を付けることとなりますが、少しずつ元気を失っていくこととなりました。
それでも不屈の精神力をみせていた逸見さんでしたが、11月に入り抗癌剤の投与が始まると、副作用により吐き気や意識の朦朧などの病状が顕著になっていきました。
さらに腸に転移した癌も見つかり、年を越せるか、それすら厳しいといった状態となります。12月20日頃には、父に学校を疎かにすると怒られるからと留学先のアメリカに留まっていた長男の太郎さんも帰国。
そして、12月24日に意識不明の危篤となり、翌12月25日の午後、家族に見守られながら息を引き取りました。48歳の若さでした。
タカラトミーのゲーム「クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!」
逸見さんの最後の言葉は「3番が正解です」だったとされています。意識朦朧の中で発した言葉でした。おそらく「たけし・逸見の平成教育委員会」や「クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!」などのクイズ番組で司会を務めることが多かったためではないでしょうか。
仕事を忘れることが一番難しいと話していた逸見さん。やはり最後まで大好きな仕事を全うした人生だったのかも知れません。
通夜・告別式、芸能界からの悲しみの声
通夜は12月26日に、葬儀と告別式は12月27日に行われました。出棺後、逸見さんを乗せた自動車は民放各局やNHKに寄りながら斎場へと向かっています。
古巣であるフジテレビ(当時は河田町本社)に自動車が到着した際には、社員一同が正面玄関に整列。皆で手を合わせて逸見さんを迎えていました。その際、逸見さんと親交の深かった安藤優子さんが生中継でレポート。悲しみを抑えつつ「今掛けられる言葉はたったひとつです。本当にありがとうございました。そして、お疲れ様でした。」と感謝の言葉を述べています。
安藤優子(著)「ひるまない」
また、逸見さんの訃報に接し、芸能界から悲しみの声も多く挙がりました。
「いつみても波瀾万丈」(日本テレビ系)で共演していた野際陽子さんは「まだ半年も経たない内に、まさかそんなに早く。絶対戻ってくると信じていたのに…」とコメント。「夜も一生けんめい。」(日本テレビ系)で共演していた美川憲一さんも「クリスマスの日に逸見さんが亡くなるなんて…だから一生、忘れられないわね」とコメントしています。
フジテレビの先輩アナウンサーであり、そのキャスターぶりを逸見さんが著書で絶賛していた露木茂さんも「ひと言で早過ぎたという感じです。逸見君の仕事が円熟して味が出てくるのはこれからだなと陰ながら期待していた。それが叶わず逝ってしまった。まさに人生を駆け抜けていったような感じがして残念でなりません。」とコメントしています。
露木茂(著)「露木茂がおハナシします」
また、「たけし・逸見の平成教育委員会」(フジテレビ系)で共に冠番組を作り上げたビートたけしさんは、告別式にて号泣。「いい人ばかり先に死んじゃうんだ。俺がもっと悪いことを教えてあげれば良かった」と語っています。
さらに「平成教育委員会」の最終回時に行った記者会見では「逸見さんと最後までやりたかった。それが心残り」と語っています。
そして、最終回の放送で、最後にコメントを求められたビートたけしさんは今にも泣きだしそうな様子で「やっぱり色々ね色んな人のことを...」と言った後深々とお辞儀をし、小さく「ありがとう」と言って番組を締めくくっています。
残された家族の活躍
逸見さんの死後、長男・太郎さんと長女・愛さんも芸能界で活躍しています。
太郎さんは北野武監督の映画「HANA-BI」(1998年)で俳優デビュー。さらに父親同様にニュースキャスターとしても活動し、「5時に夢中!」(TOKYO MX)などにも出演しています。オカルトバラエティ番組「緊急検証」(株式会社ファミリー劇場)では、大槻ケンヂさんや辛酸なめ子さん、山口敏太郎さんといった濃い面々に対しても臆する事なく名司会ぶりを発揮しています。
また、2019年には46歳で待望の第一子である長男の誕生を報告。「パパ一年生、喜びをかみしめながら人の親として責任を持ち精進して参りたいと思います。平成最後の日にうれしい報告ができたことを幸せに思います」と力強く語っています。
愛さんはイギリス留学を経て、女優として「OUT〜妻たちの犯罪〜」(フジテレビ系)などに出演。他にも「ズームイン!!SUPER」(日本テレビ系)のスポーツコーナーにも出演しています。