バックストリート・ボーイズ

バックストリート・ボーイズ(Backstreet Boys)は、アメリカで1993年に結成された90年代を代表する男性アイドルグループです。メンバーはニック、ブライアン、A.J.、ハウィー・D.、ケヴィンの5人。(ちなみにブライアンとケヴィンは従兄弟!)。1995年に「ゴーイン・オン」でデビューし、CDの総売り上げは1億4000万枚を超える世界で最も売れたボーイバンドです。日本でもBSB(ビーエスビー)やバックスの愛称で大人気でしたよね。特に90年代の若者にとっては、洋楽を聴くきっかけとなるほど大きな影響を与えたグループだと言えるでしょう。
ターニングポイントは『ミレニアム』!
彼らの人気を決定づけたのは社会現象を巻き起こしたサード・アルバム『ミレニアム』(1999年)。先行シングルであった「アイ・ウォント・イット・ザット・ウェイ」が世界中で大ヒットしたことをきっかけに、バックストリート・ボーイズは史上最大のスーパーグループへと成長しました。同曲は現在でも彼らの代表曲の1つであり、また90年代を代表するポップソングとして愛され続けています。
グループを守り抜いた4人時代…
2000年代に入ってもバックストリート・ボーイズの人気は衰え知らず!4枚目のアルバム『ブラック・アンド・ブルー』も大ヒットし、日本でも2作連続でミリオンヒットを達成しました。初来日公演は2001年の東京ドーム。その後もアルバム、ワールドツアーの成功は続きますが、グループ人気が高まるにつれてメンバーそれぞれのソロ活動も増えていき、2006年にはケヴィンが脱退。理由は「メンバーにいる限り達成できない夢を叶えるため」!しかし4人となった彼らがその歩みを止めることはありませんでした。
2007年、新生バックストリート・ボーイズが新たな決意で発表した『アンブレイカブル』はオリジナル・アルバムとしては初めてオリコンランキング初登場第1位を獲得し日本でも大ヒット。2010年のジャパンツアーではソールドアウトを連発し約10万人を動員しました。2011年には男性アイドルグループの大先輩ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックとのコラボレーション・アルバム『NKOTBSB』を発表し、両グループでのジョイントツアーも開催!多くのファンを喜ばせました。
こうして2012年にケヴィンの復帰が発表されるまでの間、4人はファンと共にバックストリート・ボーイズを守り抜いたのです。そして結成20周年を迎えた2013年、5人揃ったバックストリート・ボーイズはついにハリウッドの殿堂入りを果たしました!
バックストリート・ボーイズの今!
そんなティーンのアイドルだったバックストリート・ボーイズも今やメンバー全員が結婚しパパとなっています。しかしその人気はまだまだ健在!2017年に30万人以上を動員したラスベガス常設公演を大成功させたほか、結成25周年を迎えた2018年には新曲「ドント・ゴー・ブレイキング・マイ・ハート」が全米ビルボードでチャートインするなど、彼らのファン層はとてもぶ厚く非常に安定感があります。

2019年1月、9枚目となるオリジナル・アルバム『DNA』をリリースしビルボードチャート全米1位を獲得。そして同年2月には17年ぶり8度目となるグラミー賞にもノミネートされました。また同年5月からはUK、ヨーロッパ、北米、アジアを回る「DNAワールドツアー」を開始し、全世界で100万人以上を動員した最大規模のアリーナ・ツアーを成功させています。
様々な試練に直面しながらも共に乗り越え、解散という道を選ばなかったバックストリート・ボーイズ。これからもその歩みを止めることなく、ポップ界のローリング・ストーンズを目指して頑張ってほしいですね!
イン・シンク

イン・シンク(★NSYNC)は、アメリカで1995年に結成された男性アイドルグループです。メンバーはクリス、ジャスティン、ジョーイ、JC、ランスの5人。ディズニーチャンネルの人気子供番組『ミッキー・マウス・クラブ』の出演者だったJCとジャスティンが番組終了後にふたたび再会し、その後クリス、ジョーイ、ランスと出会ったことでグループ活動は始まりました。
永遠のライバルはBSB!
同時期に活動していたバックストリート・ボーイズは彼らの永遠のライバルです!またかつてBSBがそうであった様にイン・シンクもまた結成当初はアメリカで不人気だった苦労人。デビュー・シングル「アイ・ウォント・ユー・バック」が話題になったのはドイツからでした。ドイツでの成功をきっかけにその知名度はヨーロッパ全域、世界中へ……そして積極的なテレビ出演や様々なプロモーションを積み重ねた結果、デビュー・アルバム『イン・シンク』は全米で700万枚以上もの売り上げを記録しようやく本国でもスターの仲間入りを果たすこととなったのです。

1999年頃からはグループ最年少のジャスティンと『ミッキー・マウス・クラブ』で共演したポップスター、ブリトニー・スピアーズの関係が大きく注目されるようになり、このスーパーアイドル同士の熱愛は当時のティーンエージャーを大いに熱狂させました。そのぶん破局時の衝撃度も凄まじいものがありましたね。ジャスティンとブリトニーは90年代を代表するアイコニック・カップルの象徴として今もなお多くの人々の記憶に残っていることでしょう。
こうした一連の流れはジャスティンとブリトニーだけでなくイン・シンクのキャリアにも少なからず影響を与えましたが、元々グループとしての音楽的評価も高かった彼ら。2000年にリリースされたセカンド・アルバム『ノー・ストリングス』は初動売上240万枚のセールスをマークし、決して塗り替えられることはないと思われていたバックストリート・ボーイズの初動記録を更新すると共にギネスブックにも記載されました。
また同アルバムは北米だけで1,100万枚以上を売り上げ、2000年最も売れたアルバムとして認定されています。「バイ・バイ・バイ」や「イッツ・ゴナ・ビー・ミー」は彼らの代表曲であり、当時を思い出す青春ソングでもありますよね。
イン・シンクの今!

華やかで輝かしいアイドルグループへと成長したイン・シンクでしたが、全米売上500万枚以上を記録したサード・アルバム『セレブリティ』(2001年)を最後に、2002年グループとしての活動を休止(事実上の解散)。それは同時にソロアーティスト、ジャスティン・ティンバーレイク誕生の瞬間でもありました。私たちの世代ではジャスティンと言えばビーバーではなくティンバーレイクを思い浮かべる人も多いのではないでしょうか?
ソロデビュー・アルバム『ジャスティファイド』(2002年)は全世界で1,000万枚近くを売り上げるモンスターアルバムとなり『ライク・アイ・ラヴ・ユー』『ロック・ユア・ボディー』、そしてブリトニーとの別れを歌った「クライ・ミー・ア・リヴァー」などのヒット曲も生みました。
近年はサード・アルバム『20/20エクスペリエンス』(2013年)が大ヒットし、収録曲「ミラーズ」でも注目されました。ポップ・アーティストでありながらジャンルにとらわれない彼の高い音楽性は世界中のファンを魅了し続けています。現在ではアーティスト活動のみならず俳優業、レストラン業、そしてファッション・ブランドを立ち上げるなど実業家としても活躍中!グラミー賞10冠、エミー賞4冠に輝くアメリカで最も成功しているエンターテイナーの1人です。
またジャスティン以外のメンバーたちもアーティストへの楽曲提供や番組出演などそれぞれに活躍。2013年には1夜限りの再結成でファンを喜ばせ、2018年イン・シンクはハリウッドの殿堂入りを果たしました。
アッシャー

アッシャー(Usher)は、1978年10月14日生まれテネシー州チャタヌーガ出身のR&Bアーティストです。母親がミュージカル・ディレクターを務めていた教会のクワイアで歌うことに目覚め、1993年人気番組『Star Search』へ応募。その場に居合わせたLaFace RecordsのA&Rがすぐさまアントニオ・LA・リードに彼を紹介し契約が決まったという強運の持ち主です。翌1994年、アルバム『Usher』でデビューしました。
甘いルックスに女性ファンメロメロ

そして1997年、ジャーメイン・デュプリやベイビー・フェイスといった豪華プロデューサー陣を迎えて制作されたセカンド・アルバム『My Way』で一気に大ブレイク!初の全米No.1に輝いた「Nice & Slow」や「You Make Me Wanna…」「My Way」などのヒット曲にも恵まれ、世界中でアッシャーフィーバーが巻き起こりました。スウィートな歌声と圧巻のダンスパフォーマンスは彼の代名詞です!
スーパースターの地位を確立したアッシャーは一部メディアから「New King Of Pop」と称されるなど、その実力は圧倒的!また甘くキュートなルックスで世界中の女性たちをメロメロにした彼の人気はR&Bアーティストとしては珍しくアイドル的な要素を兼ね備えたものでした。
そしてこの頃からアーティスト活動だけでなく、人気テレビシリーズ「Moesha」や映画『パラサイト』(1998年)、『シーズ・オール・ザット 』(1999年)といった話題作への出演も目立つようになり、俳優としてのキャリアも本格的にスタートさせていきます。
アルバム『コンフェッションズ』で真のスーパースターへ

そんなアッシャーの快進撃は2000年代に入っても衰えることを知らず、むしろ加速する一方でした。サード・アルバム『8701』(2001年)は全米セールス600万枚を記録!各賞を総なめにし2つのグラミー賞も獲得しています。そして2004年、ついに全世界で1400万枚を売り上げたモンスター・アルバム『コンフェッションズ』が完成!
同アルバムからのファースト・シングル「Yeah!」は瞬く間に世界中を駆け巡り、アメリカでは12週連続1位という快挙を成し遂げたメガヒット・シングルとなりました。続く「Burn」や「Confessions Part II」も次々とヒットし、アリシア・キーズとデュエットした「My Boo」は全米チャート6週連続1位を獲得した名バラード。こうしてアッシャーは名実ともに真のスーパースターとなっていったのです。
アッシャーの今!
現在アッシャーはアーティスト活動・俳優業のほかに、オリジナル香水をプロデュースするなど実業家としても活躍中!またティーンから絶大な人気を誇るジャスティン・ビーバーの初期のキャリアを大いに助けたことでも知られ、ジャスティンを見出したスクーター・ブラウンが真っ先に面会させたのがアッシャーでした。その後すぐにジャスティンはアッシャーとブラウンの合弁会社RBMGと契約し、デビューに至ったのです。
私生活では、女性R&BグループTLCのメンバー・チリとのオープンな交際で注目を集めるも2004年に破局。2007年、元専属スタイリストのタメカ・フォースターと結婚し2人の子供にも恵まれましたが2009年に離婚しています。
2016年、ハリウッドの殿堂入りを果たしました!
ハンソン

ハンソン(Hanson)は、1992年に7人兄弟の長男アイザック、次男テイラー、三男ザックのハンソン3兄弟によって結成されたポップ・ロック・バンドです。1997年、アルバム『キラメキ☆MMMBOP(ンー・バップ)(Middle Of Nowhere)』でメジャーデビューを果たし、ファースト・シングル「キラメキ☆MMMBOP(ンー・バップ)」がいきなり世界24ヵ国で1位を獲得するなど大ヒットを記録しました。CD売り上げはデビュー作にして驚異の1600万枚超え!
翌1998年のグラミー賞では「最優秀新人賞」「最優秀レコード賞」の2部門にノミネートされるなど、世界中で大ブームを巻き起こしたハンソン。日本でも楽曲のヒットと共にハンサムなビジュアルがウケ、大人気でしたよね。今でも「キラメキ☆MMMBOP」は90年代を代表するヒットソングとして愛されており、また当時12歳だった三男のザックはアメリカ・イギリスの両チャートでナンバーワンを獲得した史上2番目に若いアーティストとしても記録されています。
ハンソンの今!
2003年に自身のレーベル「3CG Records」を立ち上げ、その後もコンスタントに作品を発表し続けています。2017年にはデビュー25周年を記念したワールドツアーを行ないました。私生活ではあの頃ティーンエージャーだった彼らも全員結婚しパパに!
長男アイザックは2006年9月に結婚し、子供は3人。
次男テイラーは19歳だった2002年に結婚し、2021年現在子供は7人。
三男ザックは2006年6月に結婚し、子供は5人。
現在も出身地であるオクラホマを拠点に音楽活動を続けている模様です。