人はなぜ「力比べ」をするのか
人が重いモノを持ち上げてチカラ比べをするスポーツといえば、なんといっても
・ウェイトリフティング(重量挙げ)
・パワーリフティング
がメジャー。
古代ギリシャ時代、力比べをするために石を持ち上げていたが、やがてシャフトと円形のディスクを組み合わせたバーベルが使われるようになった。
そして1896年、第1回オリンピック(アテネ)から現在に至るまでウエイトリフティングはオリンピック種目である。
試合は
・床に置いてあるバーベルを頭上まで一気に引き上げる「スナッチ」
・まず肩の高さまで引き上げ(クリーン)、次に頭上に押し上げる(ジャーク)という2段階動作の「クリーン&ジャーク」
の2種目でスナッチ - クリーン&ジャークの順に行われる。
選手は、コールされると4m×4m、厚さ10cmのプラットフォームに上がり、60秒以内にバーベルを挙げる。
3人の審判は、動きがスムーズか、体とバーベルが平行かなどをみて「成功」か否を判断。
選手は、1種目に3回までトライでき、体重階級別に、それぞれの種目の最高記録、2種目の合計記録が競い合う。
パワーリフティングは、
・デッドリフト
・スクワット
・ベンチプレス
の3種目。
試合では、スクワット-ベンチプレス-デッドリフトの順で行われ、ウエイトリフティング同様、体重階級別に、各種目の最高記録、3種目の合計記録を競う。
オリンピック種目ではないものの、スナッチやクリーン&ジャークよりシンプルなパワーリフティングに取り組むユーザーは多く、生涯スポーツとしても注目されている。
ウエイトリフティングもパワーリフティングも、集中力を高め、バーベルを持ち上げる。
選手は、その一瞬のために、すべてをかけて、日々鍛錬を積み重ねている。
ウエイトリフティングでは、ベルトやバンテージの使用は任意。
パワーリフティングの試合では、ギアつきとノーギアで区別されている。
ギアには
・ニーラップ(膝に巻くバンテージ)
・スーパースーツ(スクワットやデッドリフトで使用する吊りパンツ)
・ベンチシャツ(「前へならえ」のように腕が前方に突き出すような力が働くTシャツ)
などがある。
その名目は保護だが、実際は記録を上げるための道具としても機能も持っている。
ギアは、ケガの保護やケガの防止に有効だが、「フェア」という意味でも、「真の強さ」という意味でも、ノーギアの記録の方が価値が高いとされている。
ストロンゲストマンでは、バーベルだけでなく、車や巨大なタイヤ、ログ(丸太)、ケグ(樽)などさまざまなモノを持ち上げたり、投げたり、運んだり、その重さや回数、時間を競う。
またギアの使用が許されることが多く、より重いものが持ち上げることができ、超ド派手でド肝を抜かれるパフォーマンスが行われる。
選手には、怪力かつオールラウンドな運動能力や精神力も要求される。
ストロンゲストマンコンテストは、世界各国で行われていて、その最高峰は、世界大会である「World’s Strongest Man」。
プロ選手もいて、多くのファンを熱狂させる人気スポーツである。
それが故にショー的要素が強く、競技として厳格さを損ねながらもエンターテイメント性は非常に高い。
ウエイトリフティングやパワーリフティングのような厳粛なムードではないものの、選手は真剣勝負をしている。
ウエイトリフティング、パワーリフティング、ストロンゲストマン、競技は違えど、その本質は「力比べ」で、テーマは「挑戦」
古代から続く人類、あるいは個人がパワーの限界を打破する試みである。
World’s Strongest Man 歴代優勝者
1977年、1978年、ブルース・ヴィルヘルム(Bruce Wilhelm)
高校で陸上競技を始め、 砲丸投げでカリフォルニア州大会優勝。
大学では、レスリングの無差別級、フリースタイルとグレコローマンで全米4位。
ウエイトリフティング(重量挙げ)のスパーヘビー級で全米1位、モントリオールオリンピック5位。
ストロンゲストマンは、1977年、1978年と2連覇。
1979年、ドン・ラインハウト(Don Reinhoudt)
17歳、バスケットボールをやりながら体重が0.1t(100kg)に到達。
18歳でウェイト トレーニングを開始。
6度、ウエイトリフティング(重量挙げ)の競技会に出場。
体重 109kg
スナッチ 118kg
クリーン&ジャーク 168kg
その後、パワーリフティングを開始。
1973~1976年、スーパーヘビー級で世界チャンピオン。
1973年、3種目のトータルが1034.1kgで史上初の1t超え(ノーギア)。
1974年、同じくノーギアで
スクワット 422kg
ベンチプレス 277kg
デッドリフト 386kg
合計 1084.539kg
この記録は、2013年にアンドレイ マラニチェフに破られるまで続いた。
スクワット 423kg
ベンチプレス 277kg
デッドリフト 401.6kg
と各種目でも世界記録を更新。
ジムレコードは
スクワット 454kg
デッドリフト 430.9127kg
インクラインベンチプレス 261kg
デッドリフト 408.2331kg×3回
トレーニングは、週2回のベンチプレスとスクワット、週1回のデッドリフトを高重量で、シンプルに行った。
トレーニング後の食事は、さまざまな種類の肉と野菜をたくさん食べ、牛乳を飲み、1日の摂取量は、5000 ~ 7000㎉。
そして毎晩8~9時間寝て、成長し続けた。
身長 193cm
体重 172.5kg
首周 56cm
胸周 152,5cm
上腕周 58cm
大腿周 86,5cm
前腕は、手首を曲げて膨らませた状態で47cm!!。
1976年、すでにスクワットで900ポンド(408.2331kg)超え、ベンチプレスで600ポンド(272.1554kg)超えを達成していたドン・ラインハウトは、デッドリフトの900ポンド(408.2331kg)超えに挑戦。
世界大会を含む公式大会で904ポンドのデッドリフトに3回挑み、膝をより上に引き上げたが、完全にロックすることはできず、成功とは認められなかった。
世界大会で4年連続優勝を決めた後、大きな筋肉による息切れや動きづらさ、自転車に乗ったり、映画館や飛行機で普通に座ることができないなど、健康や生活の問題を理由に引退。
4ヶ月で体重が165kgから108kgまで落ち、
「軽すぎる」
とトレーニング再開。
1977年、パワーリフティングの試合に124kgのクラスに出場し、4つの世界記録。
これ以後、ストロンゲストマンコンテストにエネルギーを注いだ。