World’s Strongest Man ストロンゲストマン歴代王者 Who is King?

World’s Strongest Man ストロンゲストマン歴代王者 Who is King?

1980年代、映画「フラッシュダンス」に代表されるエアロビクスブーム。その後、シルヴェスター・スタローンやアーノルド・シュワルツェネッガーのマッチョブーム。そして現在は、細マッチョ。マッチョとは本来、「男性的な強靱さ、逞しさ、勇敢さ、好戦性」という意味。毎年開催されている「World's Strongest Man(ワールドストロンゲストマン)」は、世界の力自慢が集う「本物の男をみせてやるぜ!」的イベントである。


人はなぜ「力比べ」をするのか

人が重いモノを持ち上げてチカラ比べをするスポーツといえば、なんといっても

・ウェイトリフティング(重量挙げ)
・パワーリフティング

がメジャー。
古代ギリシャ時代、力比べをするために石を持ち上げていたが、やがてシャフトと円形のディスクを組み合わせたバーベルが使われるようになった。
そして1896年、第1回オリンピック(アテネ)から現在に至るまでウエイトリフティングはオリンピック種目である。
試合は

・床に置いてあるバーベルを頭上まで一気に引き上げる「スナッチ」
・まず肩の高さまで引き上げ(クリーン)、次に頭上に押し上げる(ジャーク)という2段階動作の「クリーン&ジャーク」

の2種目でスナッチ - クリーン&ジャークの順に行われる。
選手は、コールされると4m×4m、厚さ10cmのプラットフォームに上がり、60秒以内にバーベルを挙げる。
3人の審判は、動きがスムーズか、体とバーベルが平行かなどをみて「成功」か否を判断。
選手は、1種目に3回までトライでき、体重階級別に、それぞれの種目の最高記録、2種目の合計記録が競い合う。

パワーリフティングは、

・デッドリフト
・スクワット
・ベンチプレス

の3種目。
試合では、スクワット-ベンチプレス-デッドリフトの順で行われ、ウエイトリフティング同様、体重階級別に、各種目の最高記録、3種目の合計記録を競う。
オリンピック種目ではないものの、スナッチやクリーン&ジャークよりシンプルなパワーリフティングに取り組むユーザーは多く、生涯スポーツとしても注目されている。
ウエイトリフティングもパワーリフティングも、集中力を高め、バーベルを持ち上げる。
選手は、その一瞬のために、すべてをかけて、日々鍛錬を積み重ねている。

ウエイトリフティングでは、ベルトやバンテージの使用は任意。
パワーリフティングの試合では、ギアつきとノーギアで区別されている。
ギアには

・ニーラップ(膝に巻くバンテージ)
・スーパースーツ(スクワットやデッドリフトで使用する吊りパンツ)
・ベンチシャツ(「前へならえ」のように腕が前方に突き出すような力が働くTシャツ)

などがある。
その名目は保護だが、実際は記録を上げるための道具としても機能も持っている。
ギアは、ケガの保護やケガの防止に有効だが、「フェア」という意味でも、「真の強さ」という意味でも、ノーギアの記録の方が価値が高いとされている。

ストロンゲストマンでは、バーベルだけでなく、車や巨大なタイヤ、ログ(丸太)、ケグ(樽)などさまざまなモノを持ち上げたり、投げたり、運んだり、その重さや回数、時間を競う。
またギアの使用が許されることが多く、より重いものが持ち上げることができ、超ド派手でド肝を抜かれるパフォーマンスが行われる。
選手には、怪力かつオールラウンドな運動能力や精神力も要求される。
ストロンゲストマンコンテストは、世界各国で行われていて、その最高峰は、世界大会である「World’s Strongest Man」。
プロ選手もいて、多くのファンを熱狂させる人気スポーツである。
それが故にショー的要素が強く、競技として厳格さを損ねながらもエンターテイメント性は非常に高い。
ウエイトリフティングやパワーリフティングのような厳粛なムードではないものの、選手は真剣勝負をしている。
ウエイトリフティング、パワーリフティング、ストロンゲストマン、競技は違えど、その本質は「力比べ」で、テーマは「挑戦」
古代から続く人類、あるいは個人がパワーの限界を打破する試みである。

World’s Strongest Man 歴代優勝者

1977年、1978年、ブルース・ヴィルヘルム(Bruce Wilhelm)

高校で陸上競技を始め、 砲丸投げでカリフォルニア州大会優勝。
大学では、レスリングの無差別級、フリースタイルとグレコローマンで全米4位。
ウエイトリフティング(重量挙げ)のスパーヘビー級で全米1位、モントリオールオリンピック5位。
ストロンゲストマンは、1977年、1978年と2連覇。

1979年、ドン・ラインハウト(Don Reinhoudt)

17歳、バスケットボールをやりながら体重が0.1t(100kg)に到達。
18歳でウェイト トレーニングを開始。
6度、ウエイトリフティング(重量挙げ)の競技会に出場。

体重 109kg
スナッチ 118kg
クリーン&ジャーク 168kg

その後、パワーリフティングを開始。
1973~1976年、スーパーヘビー級で世界チャンピオン。
1973年、3種目のトータルが1034.1kgで史上初の1t超え(ノーギア)。
1974年、同じくノーギアで

スクワット 422kg
ベンチプレス 277kg
デッドリフト 386kg
合計 1084.539kg

この記録は、2013年にアンドレイ マラニチェフに破られるまで続いた。

スクワット 423kg
ベンチプレス 277kg
デッドリフト 401.6kg

と各種目でも世界記録を更新。

ジムレコードは

スクワット 454kg
デッドリフト 430.9127kg
インクラインベンチプレス 261kg
デッドリフト 408.2331kg×3回

トレーニングは、週2回のベンチプレスとスクワット、週1回のデッドリフトを高重量で、シンプルに行った。
トレーニング後の食事は、さまざまな種類の肉と野菜をたくさん食べ、牛乳を飲み、1日の摂取量は、5000 ~ 7000㎉。
そして毎晩8~9時間寝て、成長し続けた。

身長 193cm
体重 172.5kg
首周 56cm
胸周 152,5cm
上腕周 58cm
大腿周 86,5cm

前腕は、手首を曲げて膨らませた状態で47cm!!。

1976年、すでにスクワットで900ポンド(408.2331kg)超え、ベンチプレスで600ポンド(272.1554kg)超えを達成していたドン・ラインハウトは、デッドリフトの900ポンド(408.2331kg)超えに挑戦。
世界大会を含む公式大会で904ポンドのデッドリフトに3回挑み、膝をより上に引き上げたが、完全にロックすることはできず、成功とは認められなかった。
世界大会で4年連続優勝を決めた後、大きな筋肉による息切れや動きづらさ、自転車に乗ったり、映画館や飛行機で普通に座ることができないなど、健康や生活の問題を理由に引退。
4ヶ月で体重が165kgから108kgまで落ち、
「軽すぎる」
とトレーニング再開。
1977年、パワーリフティングの試合に124kgのクラスに出場し、4つの世界記録。
これ以後、ストロンゲストマンコンテストにエネルギーを注いだ。

1980年、1981年、1982年、ビル・カズマイヤー( Bill Kazmaier)

パワーリフティング世界大会優勝、2回
ストロンゲストマン優勝、3回
高校ではアメリカンフットボールのスター選手。
大学で2年プレーした後、中退し、YMCAでウェイトトレーニングに専念。
石油掘削業者、警備員、木こりなどの仕事をしながら、パワーリフティングに打ち込んだ。
25歳のときに世界大会で282.1344kgのベンチ プレスを挙げて世界記録。
他の2種目は

スクワット 401kg
デッドリフト 365kg

でトータルは1039.180kg。
ベンチプレスは

1979年7月 280kg
1979年11月 282.5kg
1980年5月 287.5kg
1984年 300kg

まで伸ばした。

1983年、ジェフ・ケイプス(Geoff Capes)

ジェフ・ケイプス(Geoff Capes)

197cm
139kg

11年間、砲丸投げのイギリス代表。
イギリスチャンピオン2回。
ヨーロッパチャンピオン2回。
オリンピック出場3回。
(1972年、21歳のときの出たミュンヘンオリンピックでは予選落ち。
1976年、モントリオールオリンピックでは、21.55mの自己ベストを投げ、6位。
1980年、モスクワオリンピックで5位)
そしてストロンゲストマンでは2回優勝。

ベンチプレス 300kg

スクワット 380kg
(45cmの高さからの)デッドリフト 454.5kg

電話帳をかんたんに引き裂くことができた。

1984年、ジョン・パル(Jón Páll)

ボディービルでアイスランの国内タイトルを獲得。
パワーリフティングの記録は、

スクワット 365kg
ベンチプレス 235kg
デッドリフト 370kg

1983年、初めてストロンゲストマンに出場し、2位。
1984年、24歳のジョン・パルは、前年、負けたチャンピオンのジェフ・ケイプスに挑みかかった。
最後のアームレスリングで、最初はジェフ・ケイプスが勝っていたが、ジョン・パルが押し戻し、ジェフ・ケイプスの腕の筋肉を断裂させた。
勝ったジョン・パルは
「王は王冠を失った」
と叫んだ。
1985年はジェフ・ケイプスケープスに敗れたが、1986年に再びタイトルを取り戻し、結局、ストロンゲストマンコンテストで4回優勝した。

1985年 ジェフ・ケイプス(Geoff Capes) が2度目の優勝。

1986年、1988年、ジョン・パル(Jón Páll)が2度目、3度目の優勝

1989年 ジェイミー・リーブス(Jamie Reeves)

イギリスの炭鉱夫。
学生時代、水泳でヨークシャー代表。
サッカーではセンターフォワード。
ラグビーでは№8(ナンバーエイト、フォワードリーダー)
炭鉱夫をしていたが、TVでストロンゲストマンコンテストをみて、
「これが自分の目標」
と思い、トレーニング開始。
ヨークシャーとノースイーストでスーパーヘビー級、パワーリフティングチャンピオンになった。

身長 190.5cm
体重 146 kg
胸囲 152.4cm
上腕囲 56cm

スクワット 362.5kg

ベンチプレス 272.5kg
デッドリフト 367.5kg

1990年、ジョン・パル(Jón Páll)が4度目の優勝

1991年、マグナス・マグナッソン(Magnús Ver Magnússon)

マグナス・マグナッソン(Magnús Ver Magnússon)

200cm
160kg。

1984年、パワーリフティングを開始。
1985年、ヨーロッパチャンピオンおよび世界選手権でメダル獲得。
同年、ストロンゲストマンコンテストに初出場し3位。
1991年、初優勝。
185kgの石を遠くまで運ぶ競技で60m越えを達成。
10人を乗せた手押し車を押すタイムアタックでも驚異的なタイムを叩き出した。
天井と底をくりぬいた自動車(400kg)を持ち上げて運ぶレースでも記録を更新したが、マグナス・マグナッソンがやると「大人のブッブ遊び」のようで楽しそうでさえあった。

スクワット 437.5kg
ベンチプレス 250kg
デッドリフト 375kg
握力 192Kg

1992年、テッド・ファン・デル・パレ(Ted van der Parre)

テッド・ファン・デル・パレ(Ted van der Parre)

213cm
160kg
BMI 35

身長と体重から肥満度を示すBMIは、

~18.5 痩せ型
18.5〜25 普通
25〜30 肥満(1度)
30~35 肥満(2度
35〜40 肥満(3度)
40~ 肥満(4度)

とされ、テッド・ファン・デル・パレの35という数値は、ストロンゲストマンのトップ選手としてかなり低め。
オランダのウェストランドのテルハイデの海岸で育ち、トレーニングを開始するまでポーターとして120kgのピーナッツを運んでいた。
そして初めてジムに足を踏み入れると、そこは新しい家となった。
1991年、ワールドストロンゲストマンコンテスト、4位。
1992年、オランダ人として初めて世界最強の男となった。
優勝後、多くのテレビに出演し、講演も行った。
トラックメーカーの宣伝としてトラックで牽引したり、マイアミのビーチで重いイカリを引いたり、世界各地でイベントに参加。
強さは富と名声をもたらし、そして奪った。
「私がしたのはトップスポーツでした。
私はとても忙しかったので、最初の2つの結婚が行き詰まった理由です」
そういうテッド・ファン・デル・パレは、人生で3度の離婚を経験。
5人の子供がいて、1番上の子と1番下の子の年齢差は33歳。

その後、深刻な健康問題が起こった。
過去の競技中、倒した車が跳ね返り、顎を直撃。
その後遺症で記憶障害が起こり始めた。
物忘れがひどくなり、買い物に行くと2、3回、スーパーマーケットに戻らなくてはならなくなった。
やがて読み書きも難しくなり、長く立ち続けることもできなくなった。
さらに腎臓の手術中に心臓が停止。
その手術後、ジムにいったとき、医師から軽いフィットネスを行う許可は得ていたが、ウエイトトレーニングをしているのをみると我慢ができなくなった。
「ウエイトトレーニングをやっている人をみると、誘惑が大きすぎました。
私は380kgをスクワットしようとして胆管がジャンプするのを感じました」
それ以来、ジムにいくことはできなくなった。
普通の仕事ができないテッド・ファン・デル・パレは、自治体の福祉サービスで住宅を借りた。
過去の栄光を知っていて気の毒がる人もいるが、本人はいたって楽しく生きていた。
「これは誰にでも起こり得ること。
突然、解雇され、請求書を支払うことができなくなれば、あなたは通りにいます。
それに対処できなければなりません。
挫折に対応できないと樋になってしまいます。
お金があれば人生は美しいですが、私は今も美しい人生を送っています」

1993年、ゲイリー・テイラー(Gary Taylor)

ゲイリー・テイラー(Gary Taylor)は、ボディービルダー、パワーリフター、ウエイトリフター(重量挙げ選手)
1991年、ワールドストロンゲストコンテスト3位。
1992年、5位
1993年、優勝。
1997年、タイヤフリップ中に起こった膝のケガで引退。

スクワット 405kg
ベンチプレス 235kg
デッドリフト 357kg

183cm、134kgという小柄?な体で、272.5kgを頭上に押し上げた。

1994年、1995年、1996年、マグナス・マグナッソン(Magnús Ver Magnússon)が、2回目、3回目、4回目の優勝

1997年、ヨウコ・アホラ(Jouko Ahola)

ヨウコ・アホラ(Jouko Ahola)は、フィンランドのパワーリフター。
1997年、ワールドストロンゲストマン、優勝。
1998年、2位。
1999年、優勝。

185cm
125kg
BMI 35.8(周囲に比べ低め)
ベンチプレス 220kg
スクワット 360kg
デッドリフト 406kg
アトラスストーン 215kgで世界記録

ストロンゲストマンを引退後、俳優となり
「キングダム・オブ・ヘブン」
「釣りに行く悪い日」
「死者の戦争」
「インビンシブル」
などに出演。

1998年、マグナス・サミュエルソン(Magnus Samuelsson)

マグナス・サミュエルソン(Magnus Samuelsson)は、スウェーデンの農家。
幼少時より農作業で鍛え

200cm
150kg

という肉体になった。
現在も私生活は専業農家。
1995年、ワールドストロンゲストコンテストに初出場。
アームレスリングでオーストラリアのレスラー、ネイサン・ジョーンズの腕を折った。
1998年、ワールドストロンゲストマンコンテストで優勝。
1995~2007年の13年間でワールドストロンゲストマンの決勝に10回進出し、5回表彰台。
2008年、決勝戦に出場できず引退。

ベンチプレス 300kg
スクワット 370kg
デッドリフト 375kg
フロントスクワット 250kg×10
アームカール 140kg×3

特に握力は驚異的で、CoCグリッパー(キャプテンズ・オブ・クラッシュ・グリッパーズ)のNo.4(165kg)を閉じることができる。
キャプテンズ・オブ・クラッシュ・グリッパーズは、アメリカのアイアンマインド社が販売している世界的な握力ハンドグリッパー。
強度は

ガイド 27kg
スポーツ 36kg
トレーナー 45kg
No.0.5 54kg
No.1 63kg
No.1.5 75kg
No.2 88kg
No.2.5 108kg)
No.3 127kg
No.3.5 146kg
No.4 165kg

の11強度。
アイアンマインド社は、No.3以上を閉じた人に対して認定を行っている。
世界で100人以上、日本で7人がNo.3を閉じて認定された。
No.4の初認定は、体重75kgのジョー・キニー。
マグナス・サミュエルソンは、2004年に世界で5名しかいない認定者の1人となった。

1999年、ヨウコ・アホラ(Jouko Ahola)が2回目の優勝

2000年、ヤンネ・ヴィルタネン(Janne Virtanen)

ヤンネ・ヴィルタネン(Janne Virtanen)は、アマチュアレスリングのフィンランド代表だった。
1999年、ストロンゲストマンに挑戦を開始。
2000年、優勝。
その後もワールドストロンゲストマンコンテストの常連だったが、2007年、2年連続で予選落ちした後、引退。
フィンランドで大工さんとなった。

197cm
130kg

デッドリフト 365kg

2001年 スヴェン・カールセン(Svend Karlsen)

スヴェン・カールセン(Svend Karlsen)
ニックネームは「バイキングパワー」
パワーリフターとして、30のノルウェー記録、3つのヨーロッパの記録、1つの世界記録。
その後、ボディービルを追求。
国内チャンピオンとなり、世界大会でも2位になると、ボディービルのメッカであるカリフォルニアに移住。
1996年、ストロンゲストマンに初出場し、予選落ち。
1997年、決勝に進出するも、スクワット競技のウォームアップ中に、ハムストリングを断裂。
1998年、不出場。
1999年、3位。
2000年、2位。
2001年、ようやく優勝。

ベンチプレス 260kg
スクワット 400kg
デッドリフト 412.5kg

スヴェン・カールセン自身は、自らの最高のトレーニング記録を

デッドリフト 400kg×3

だといっている。

2002年、2003年、マリウス・プッツナウスキー(Mariusz Pudzianowski)

マリウス・プッツナウスキー(Mariusz Pudzianowski)

186cm
130kg

190cm以上が当たり前のワールドストロンゲストマンコンテストで5回優勝した、小さくて巨大な筋肉の塊。

ベンチプレス 290kg
スクワット 380kg
デッドリフト 415kg

ニックネームは
「ドミネーター(Dominator)」
「スーパーマリウシュ(Super Mariusz)」
「パイソン(Pyton)」
「プジラ(Pudzilla)」
ポーランドのビャワラフスカ(ポーランド中部、ウッチ県ラワ郡の村)生まれ。
父、ウォジチェは、重量挙げ選手。
11歳、極真空手の修行を開始
(現在4級、緑帯)13歳、ウエイトトレーニング開始。
15歳、ボクシング
(7年継続)
16歳、ベンチプレス、160㎏。
18歳、ベンチプレス、205㎏。
1999年、ポーランドで開催されたストロングマンコンテストに出場。
2000年、ワールドストロングマンコンテストで4位。
暴行罪で19ヵ月間、ウォビチ刑務所に服役。
「18歳の少年を虐待している地元のマフィアのボスを止めたかった」
というが、相手は、暴行を受け、ゴールドのチェーンを盗まれたと主張した。
2001年、服役のため、出場できなかったが、
2002年、ワールドストロングマンコンテストで初優勝。
2003年、2連覇。
2004年、3位に終わった後、ドーピング違反で失格。
賞金は返還。
1年間の出場禁止。
2005年、3度目の優勝。
2006年、2位。
2007年、4度目の優勝。
2008年、5度目の優勝(史上初)
2009年、2位になった後、ストロンゲストマンは引退し、総合格闘技に挑戦することを表明。

2009年12月11日、ポーランドの格闘技イベント「KSW 12」で格闘家デビュー。
いきなりメインイベンターだった。
試合前、
「Lewarękaniesiezasobąśmierć、prawejsamsięboję.
(左手は死をもたらし、右手は私でさえ恐れている」
といっていたパンチをMarcin Najmanにヒットさせ、43秒で勝利した。

2004年 バジル・ヴィラステュク(Vasyl Virastyuk)

バジル・ヴィラステュク(Vasyl Virastyuk、ウクライナ語:ВасильВірастюк)

190.5cm
145kg

10歳で陸上競技を開始し、体育大学を卒業後、2年間、ウクライナ軍に入った。
1994年、砲丸投げで欧州選手権の銅メダル。
以後、スポーツ協会で陸上競技のコーチとして、またウクライナ代表としての活動。
2000年、警備員として働きながら、ストロンゲストマンに専念。
2002年、中央ヨーロッパのストロンゲストマンコンテストで3位。
2003年、ワールドストロンゲストマンコンテストで、マリウスプッツアノフスキー、ズルーネスザビッカスに次いで3位。
2004年、ワールドストロンゲストマンコンテスト、優勝。
2007年、製薬会社の従業員、インナと再婚。
2008年、次男、オレグが誕生。
2013年、映画「Ivan Sila」に出演。
2015年、国境警備隊の検査官としてリヴィウ空港で勤務。
2021年、選挙で当選し政治家になった。
所属は「国民の僕(しもべ)党」
モットーは「強くて誠実であること」

2005年、マリウス・プッツナウスキー(Mariusz Pudzianowski)が3回目の優勝

2006年、フィル・フィスター(Phil Pfister)

フィル・フィスター(Phil Pfister)

198cm
170kg

ワールドストロンゲストマンでは1998年4位、2001年4位というフィル・フィスターが、前年度チャンピオンのマリウス・プッツナウスキーと激闘を繰り広げた。
2006年9月14~23日、世界各地で行われた予選を通過した25人が5つのグループに分かれ、6つの競技に挑戦。
各競技で

1位 5ポイント
2位 4ポイント
3位 3ポイント
4位 2ポイント
5位 1ポイント
複数が同じ結果だった場合 ハーフポイント
競技に参加しなかった場合 0ポイント

が与えられ、すべての競技のポイントが集計され、最も多くポイントを獲得した2人が決勝進出。
決勝に進んだ10名には7つの競技が用意され、予選を含め、最も多くのポイントを獲得した者が世界最強の男となる。
決勝は3日間にわたって行われた。
初日、
前年、3回目の優勝を果たしたマリウス・プッツアノフスキーが順調にポイントを伸ばし、1位(28.5ポイント)
フィル・フィスター(Phil Pfister)は、誰も2つ以上を持ち上げることができなかったオーバーヘッドストーンリフトで、4つのストーンすべて持ち上げ、3位(21ポイント)
2日目、
フィル・フィスター(Phil Pfister)は、フィンガルフィンガーズ(砂浜に置かれた3.5~5.5m、200~300kgの5本の木を垂直に持ち上げてひっくり返していく)で31.92秒の世界記録。
バスプルでは、​​10人のファイナリスト全員がコースアウトできなかったが、フィル・フィスター(Phil Pfister)は、マリウス・プッツアノフスキーより12cm遠くまで引っ張り、優勝。
2日目を終えた時点で、1位はマリウス・プッツアノフスキー(42.5ポイント)、2位はフィル・フィスター(41ポイント)
3日目、
マリウス・プッツアノフスキーは、カーウォークで27.4秒という好タイムを記録したが、フィル・フィスターは、それより0.5秒速くフィニッシュ。
アトラスストーンズでは、4番目のストーンまでマリウス・プッツアノフスキーがリード。
しかしフィル・フィスターは、最後の石に追いつき、ほんの一瞬先に石をプラットホームに置いた。
マリウス・プッツアノフスキーは唖然とし、勝利の雄叫びを放つフィル・フィスターに嫌悪感をあらわにして立ち去っていった。
最終的にフィル・フィスターが61ポイントで優勝。
マリウス・プッツアノフスキーは57.5ポイントで2位に終わった。

2007年、2008年、マリウス・プッツナウスキー(Mariusz Pudzianowski)が4回目、5回目の優勝

2009年、2010年 ズルーネス・ザビッカス(Žydrūnas Savickas)

ズルーネス・ザビッカス(Žydrūnas Savickas)

198cm
170kg。

ニックネームは「Big Z」
14歳のときTVでリトアニアのストロングマンコンテストをみて興味を持った。
17歳でパワーリフティングトレーニングを開始し、2回目の試合で、すべての国内記録を更新。
そしてリトアニアのストロングマンコンテストに参加し優勝。
TVで観た3年後のことだった。
以後、同大会を16回優勝。
1998年と2000年、ワールドストロンゲストマンにの出場したが、どちらも決勝戦に出場できなかった。
しかしパワーリフティングの世界選手権で銀メダルを獲得。
2009年、ワールドストロンゲストマンで初優勝。
長年のガールフレンド、JurgitaSavickienėと結婚。
「ズルーネス・サヴィッカス–鉄の男」という伝記がリトアニアで出版。
2010、2012、2014年、合計4度、ワールドストロンゲストマンコンテスト優勝。

パワーリフティング

スクワット 410kg

ベンチプレス 250kg
デッドリフト 360kg

ジムレコード
スクワット 440kg×2 400kg×5
ベンチプレス 286kg×1 250kg×3
デッドリフト 447.5kg×1
スタンディングオーバーヘッドプレス 260kg×1 200kg×5
フロントスクワット 320kg×5

ログリフト 228kg
ハマータイヤデッドリフト 524kg
ヘビースーパーヨークウォーク 640kg 3.87秒

2011年、ブライアン・ショー(Brian Shaw)

ブライアン・ショー(Brian Shaw)

203cm
175~200kg

ニックネームは「鉄人28号」
アメリカ、コロラド州フォートラプトン生まれ。
高校、大学とバスケットボール。
スポーツで奨学金を受けながら健康管理の学位を取得。
バスケットボールをやりながら
「ウエイト(トレーニング)に夢中!」
でウエイトトレーニングルームは
「聖域!」
だった。
「私はいつもトレーニングを行うことができました。
最大のタイヤ、重い石・・・・
私はいつもそれを持ち上げることができました。
奇妙な強さ。
それが何であるのか。
重量挙げの強さではない。
それは野蛮な強さです」
2005年、デンバーのストロンゲストマンコンテストに参加し勝利し、キャリアをスタート。

2009年、カナダのストロンゲストマン「Fortissimus」に参加し、唯一、136〜193kgの6つのアトラスストーンを持ち上げ、3位。
2011、2013、2015、2016年と4度、ワールドストロンゲストマンコンテストで優勝。
ログプレス 211kg、タイヤデッドリフトは500Kg以上、18mの27tのバイキング船を傾斜コースで44.05秒で引っ張った正真正銘の怪物。

スクワット 410kg
ベンチプレス 240kg×2
デッドリフト 495 kg

2012年、ズルーネス・ザビッカス(Žydrūnas Savickas)が3回目の優勝

2013年、ブライアン・ショー(Brian Shaw)が2回目の優勝

2014年、ズルーネス・ザビッカス(Žydrūnas Savickas)が4回目の優勝

2015年、2016年、ブライアン・ショー(Brian Shaw)が3回目、4回目の優勝

2017年、エディ・ホール(Eddie Hall)

10代は競泳選手。
高校を15歳で追放され、整備士として働き始め、トレーニングを行いボディービルとストロングマンの試合に出場。
イギリスのストロンゲストマンコンテストで何度も優勝。
20kgのハンマーを持って、肘を伸ばした腕を地面と平行に保持し続ける「バイキングホールド」で、腕の腱を切りながら1分18秒というイギリス記録。
2015年12月、世界最強の男になるために努力している2年間を追ったドキュメンタリー映画「エディ:ストロングマン」が公開された。
2016年3月、エレファントバーデッドリフトで465kgを持ち上げ、アーノルドストロングマンクラシックの新世界記録を達成。
2016年7月、デッドリフトで500kgを持ち上げた後、一瞬、気絶。
自身の持つ465kgの世界記録を更新。
2017年、ワールドストロンゲストマンで初優勝。


ストラップとスーツを使用したデッドリフト 500kg
アクスルプレス– 216kg
ストラップ付きローグエレファントバーデッドリフト 465kg
ストラップ付きデッドリフト 463kg
ログリフト 213kg
スクワット 405kg×1、345kg×8、360kg×6
ベンチプレス 300kg×1、265kg×6、225kg×10
インクラインベンチプレス 225kg×7
インクラインダンベルプレス 100kg×7、90kg×10
ダンベルショルダープレス 60kg×40
デッドリフト450kg
レッグプレス 1000kg×10回

2018年、ハフソー・ユリウス・ビョルンソン(Hafþór Júlíus Björnsson)

元プロバスケットボール選手。
ニックネームは
「The Mountain」
「Thor(ソー、北欧神話の雷神トールの英語表記)」
2004年、父親が203cm、祖父が207cm、自身、205cmというハフソー・ユリウス・ビョルンソンは、プロバスケットボール選手となった。
2008年、20歳のとき、ケガのために他のスポーツへの転向を考え始め、同じアイスランド人でワールドストロンゲストマンで4度優勝しているマグヌス・ヴェル・マグヌッソンと出会った。
2010年以降、アイスランドストロンゲストマン、ヨーロッパストロンゲストマン、アーノルドストロングマンクラシックなど、数々のコンテストで優勝、あるいは上位入賞。
2015年、ノルウェーで開催された世界最強のバイキング大会で、10m、650kgの丸太を5歩運び、1000年前の記録を更新。
ワールドストロンゲストマンコンテストは2011年に初出場し6位。
以後、6回出場し、銅メダル3つと銀メダル3つ。
2017年、インタビューで、ステロイドを使用したことがあるかどうかを尋ねられ
「はい、私は持っています」
と答え
「最高になりたいとき、必要なことは何でもする」
とつけ加えた。
2018年、初優勝。
2020年、デッドリフトで501kgを挙げ、エディ・ホールの500kg(2016年)の世界記録を更新。

パワーリフティング
スクワット(ニーラップ) 440kg
ベンチプレス 250kg
デッドリフト 410kg

ジムレコード
スクワット 445kg
ベンチプレス 245kg
デッドリフト 501kg

ログプレス 213kg
タイヤデッドリフト 460kg
ログキャリー 650 kg×5ステップ
樽投げ 7.15m
樽投げ 16.35秒で8樽
デッドリフト 501kg
エレファントバーデッドリフト 480kg

2019年、マーティンス・リシス(Martins Licis)

ラトビア生まれのアメリカ育ち。
オリンピックの重量挙げに出場し彫刻家の祖父、イマンツ・リーシスに石の持ち上げを教えられたが最初のきっかけとなり、パーソナルトレーナーとなった。
2016年、MASレスリングワールドチャンピオン。
MASレスリングは、ロシア発祥のスポーツ。
スティックプル(棒引き)で、競技者は相手の前に座って、中央に置かれた長さ2m×30cmの板に足裏をつけ、長さ50cm、太さ33mmの木の棒(Mas)を両手で握り引っ張り合い、棒を離したり、体が板を越えたら負け。
コイントスに勝った方が、内側か外側、棒を握る位置を選択し、3回勝負で先に2勝した方が勝者となる。
同年、初のストロンゲストマンコンテストで6位。
2017年、2018年、ストロンゲストマンコンテスト4位。
2019年、ストロンゲストマンコンテストで優勝し、アーノルドストロングマンクラシックでも2位。
2021、「世界最強の男がリサイクルに取り組む」というタイトルのGeicoコマーシャルに出演。

2020年、オレクシイ・ノビコフ(Oleksii Novikov)

オレクシイ・ノビコフ(Oleksii Novikov、ウクライナ語:ОлексійНовіков)

185cm
135kg

2016~2019年、ウクライナ大会で優勝。
2019年、初めての世界大会は38位。
2020年、24歳で優勝。

100kgのジャイアントダンベルを片手で地面から頭上まで、60秒間で11回、挙上。
18インチデッドリフト(床からの一般的なデッドリフトではなく、ある程度の高さからデッドリフト) 537.5 kg
ハマータイヤデッドリフト 472kg
ログプレス 180kg×3
アトラスストーン 220kg×5

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