1975年リリースの「人恋しくて」は初めて「有馬・筒美コンビ」でない楽曲に挑戦し
第17回日本レコード大賞の歌唱賞を受賞
以降、ヒットメーカー”松本隆”さんやユーミン(当時は荒井由実)はじめニューミュージック系のライターなど幅広く楽曲提供されています。
著名人をも惹きつける南沙織の魅力
1974年7月に「よしだたくろう&かまやつひろし」名義でリリースされた「シンシア」
”シンシア”は南さんのクリスチャン・ネームであり、大の”南沙織”ファンを公言する”吉田拓郎”さんが南さんに捧げた楽曲です。
1974年11月12日に放送された「ミュージックフェア」では、南さんを挟んでお2人が「シンシア」を歌われましたが、TV出演はしないスタンスの拓郎さんにそこまでさせる魅力があったわけです。
他にも、「サオリスト」を公言する映画監督・羽仁進氏 作家・”大岡昇平”氏や
”岩崎宏美”さん”泉麻人”さん”やくみつる”さん”さくらももこ”さんなど・・・著名人にもファンが多かったです。
1978年7月 24歳の誕生日に引退を発表
1978年1月 資生堂・春のコマーシャルソングに起用された「春の予感 -I've been mellow-」がスマッシュ・ヒットと成ったにもかかわらず、7月2日 24歳の誕生日に引退を発表。
理由は、当時在学中だった上智大学での学業に専念するためという事でしたが、「芸能活動はすぐやめる予定だった」と南さんが語っておられる様に活動期間はわずか7年間でした。
アイドルと学業の両立に悩んでいる事をインタビューや対談で話すこともあった”南沙織”さん、そんな普通の感覚が世代的共感を得て今なお心に残るアーティストたる所以なのでしょうね。
引退発表から3ヶ月後の10月7日 調布市市民福祉会館で開催された「さよならコンサート」を最後に芸能界を引退されました。
1979年 写真家”篠山紀信”と結婚
デビュー当時から仕事関係では繋がりがあったお2人ですが、南さんが引退後に交際がスタートし結婚。お2人の間には3人の息子さんがおられます。
ちなみに、次男の”篠山輝信”さんは、2006年に俳優としてデビューされています。
”篠山紀信”さんといえば、宮沢りえさんの写真集「Santa Fe」がセンセーショナルで記憶に残っていますが、ヌードから歌舞伎までジャンルと作品数の多さが他の写真家さんを圧倒しています。
そんな”篠山紀信”さんがみたデビュー当時の”南沙織”さんの印象は、
<噂>実は略奪婚だった?!
”南沙織”さんの引退理由は「学業に専念するため」だったのですが、実は結婚するためでもあったという噂があります。
デビュー翌年から”篠山紀信”さんが手がけた南さんのレコードのジャケット写真は、シングル20枚とアルバム25枚。
表向きは引退後に交際がスタートした事になっていますが、この頃からお2人の気持ちは結ばれていたのではないかと言われています。
この間に”篠山紀信”さんはモデルの前妻と離婚し、着々と結婚の準備を進めていたのではないかという事です。
そして1979年6月4日 マスコミや芸能関係者を完全シャットアウトして、家族や数名の知人のみで極秘のうちに結婚式を挙げられています。
