南沙織 プロフィール

本土復帰前の沖縄で生まれ育ったという環境と、ご両親が幼い頃に離婚され義父がアメリカ軍所属のフィリピン人兵士というバックグラウンドからバイリンガルであり、デビュー当時から他のアイドルや歌手達にはない惹かれるものがありました。
4歳の頃から育った宜野湾市では何度も引っ越し、その度に何故かいつも自宅は普天間飛行場のゲートの近くだったので、「ジェット機の爆音は生活の一部でした。」と語られています。
クリスチャンの家庭に育った為「シンシア・ポーリー(Cynthia・Paule)」というクリスチャン・ネームを持ち、幼稚園の頃から通った「クライスト・ザ・キングインターナショナルスクール」では高校までの一貫した「英語教育」でした。(1989年に閉校)
1971年6月1日「17才」で歌手デビュー
"南沙織"さんの歌手デビューは、奇跡のような運命の巡り合わせのようなものです。
地元沖縄・琉球放送のテレビ番組「オキコワンワンチャンネル」などでアシスタントのアルバイトをしていた南さんが写っている写真を番組に出演されていた「ヒデとロザンナ」さんのマネージャーが東京に持ち帰り、偶然ソニーの関係者の目に留まった事から始まります。
ソニーはその当時 新人を探していて、南さんに光るものを感じたのでしょう。急遽 沖縄から東京へ呼び寄せられました。
沖縄が本土へ復帰前の1971年春 パスポートを手にお母さんと2人で上京すると、ソニーの社長と面談を済ませ、すぐさまデビューへ向けたプロジェクトがスタート。
作曲は”筒美京平"氏を中心に洋楽的な音作りが進められ、作詞には”有馬三恵子”氏を起用。沖縄→海→南沙織 という南さん自身の言葉であるかのような詩が爽やかな新風を巻き起こしました。
本土復帰前の沖縄は、本土に住む者にとって歴史的背景や政治的な要素があり決して明るいイメージではなかったのですが、”南沙織”の登場によって「沖縄=美しい海・輝く太陽」一新されました。
デビューへ向けてのプロジェクト開始からわずか3ヶ月
6月1日 「17才」でデビュー キャッチフレーズは「ソニーのシンシア」
「17才」はオリコンヒットチャートで上位にランクイン。54万枚のヒットを記録し、「第13回日本レコード大賞・新人賞」「第2回日本歌謡大賞・放送音楽新人賞」「第4回新宿音楽祭・金賞」に輝きました。
年末には、NHK「第22回NHK紅白歌合戦」に出場 デビューからわずか半年という異例の大抜擢です。
”南沙織”の登場によって「海」がアイドルを演出する上でイメージ作りのアイテムになっていきます。
ちなみに、デビュー曲「17才」以上にB面に収録された「島の伝説」の方が南国を感じる曲になっています。
芸名は”南陽子”になるはずだった!
ソニーの社内で芸名を公募したところ「南陽子」が1位だったのですが、作詞を手がけた”有馬三恵子”氏の「まった!!」がかかり、有馬氏の提案で「沙織」になったという事です。
太陽の陽で「陽子」もピッタリな気がしますが、「子」がつくとどうしても日本人的になってしまうので、当時は「沙織」が新鮮な響きだったようです。
J-POPシーンに新しい風を吹き込んだ「17才」は、後に多くのアーティストに歌い継がれていきます。
「17才」をカバーしたアーティスト
広く知られているのは”森高千里”さんですね!
歌よりも美脚に注目が集まる事も多いですが・・・(*^O^*)
17才 (南沙織の曲) - Wikipedia
森昌子 | 1972年 | アルバム「先生/同級生」に収録 |
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葉山ユリ | 1972年 | アルバム「あこがれ」に収録 |
栗田ひろみ | 1973年 | アルバム「太陽と海とオレンジ」に収録 |
桜田淳子 | 1974年 | アルバム「淳子と花物語」に収録 |
豊川誕 | 1975年 | アルバム「汚れなき悪戯・星めぐり」に収録 |
新井薫子 | 1982年 | アルバム「Kaoruko・・・ライブベスト」に収録 |
森高千里 | 1989年 | シングル「17才」収録 |
コリン・テル | 1989年 | アルバム「秘密の楽園」に収録 |
ギルガメ・セクシーメイツ | 1992年 | アルバム「セクシータイムスリップ」に収録 |
バンビー | 2001年 | アルバム「Dancemania PRESENTS J★PARADISE」に収録 |
勝野慎子 | 2001年 | シングル「17才」収録 |
後藤沙緒里 | 2005年 | アルバム「まんすりぃ萌音ぼーかるこれくしょんVol1」に収録 |
衝和ショッキング | 2007年 | アルバム「Song for Life」に収録 |
Alani Ohana Band | 2007年 | アルバム「東京ハワイ」に収録 |
Wiz-us | 2007年 | アルバム「ナカユクイ」に収録 |
Donna Fiora | 2008年 | アルバム「fiora」に収録 |
銀杏BOYZ | 2008年 | シングル「17才」収録 |
まだまだ他にも、”瑠川リナ”さんが2014年にシングル「17才」を収録など多数カバーされています。
若い世代には”森高千里”さんの曲だと思っている方も多く それはそれで元気があって可愛いのですが、「17才」はやっぱり”南沙織”の歌声じゃなきゃ!と、ミドルエッジ世代なら思いませんか!?
作曲を担っていた”筒美京平”氏が惚れ込んでいた南さんの歌声。バイリンガル特有の発音やリズム感・声の使い方、他の誰にも出せない魅力がありました。
世代的な共感を歌うアーティスト”南沙織”
同時期にデビューした”小柳ルミ子”さん”天地真理”さんと共に「新三人娘」としてトップアイドルとして人気だった”南沙織”さんですが、他の2人とは違って初々しさが魅力でした。
スターではあるけれど隣にいそうな普通の女の子っぽさがあり、南さんの歌う歌の世界はまるで自分達の世界を歌っている様に引き込まれていきます。
デビュー当時のキラキラした17才の頃から比べ1973年リリースの「色づく街」あたりから雰囲気が変わりファン層も拡大。アルバムでは洋楽ポップスもレコーディングし、普段は洋楽しか聴かない層の獲得にも成功したと言われています。
1975年リリースの「人恋しくて」は初めて「有馬・筒美コンビ」でない楽曲に挑戦し
第17回日本レコード大賞の歌唱賞を受賞
以降、ヒットメーカー”松本隆”さんやユーミン(当時は荒井由実)はじめニューミュージック系のライターなど幅広く楽曲提供されています。
著名人をも惹きつける南沙織の魅力
1974年7月に「よしだたくろう&かまやつひろし」名義でリリースされた「シンシア」
”シンシア”は南さんのクリスチャン・ネームであり、大の”南沙織”ファンを公言する”吉田拓郎”さんが南さんに捧げた楽曲です。
1974年11月12日に放送された「ミュージックフェア」では、南さんを挟んでお2人が「シンシア」を歌われましたが、TV出演はしないスタンスの拓郎さんにそこまでさせる魅力があったわけです。
他にも、「サオリスト」を公言する映画監督・羽仁進氏 作家・”大岡昇平”氏や
”岩崎宏美”さん”泉麻人”さん”やくみつる”さん”さくらももこ”さんなど・・・著名人にもファンが多かったです。
1978年7月 24歳の誕生日に引退を発表
1978年1月 資生堂・春のコマーシャルソングに起用された「春の予感 -I've been mellow-」がスマッシュ・ヒットと成ったにもかかわらず、7月2日 24歳の誕生日に引退を発表。
理由は、当時在学中だった上智大学での学業に専念するためという事でしたが、「芸能活動はすぐやめる予定だった」と南さんが語っておられる様に活動期間はわずか7年間でした。
アイドルと学業の両立に悩んでいる事をインタビューや対談で話すこともあった”南沙織”さん、そんな普通の感覚が世代的共感を得て今なお心に残るアーティストたる所以なのでしょうね。
引退発表から3ヶ月後の10月7日 調布市市民福祉会館で開催された「さよならコンサート」を最後に芸能界を引退されました。
1979年 写真家”篠山紀信”と結婚
デビュー当時から仕事関係では繋がりがあったお2人ですが、南さんが引退後に交際がスタートし結婚。お2人の間には3人の息子さんがおられます。
ちなみに、次男の”篠山輝信”さんは、2006年に俳優としてデビューされています。
”篠山紀信”さんといえば、宮沢りえさんの写真集「Santa Fe」がセンセーショナルで記憶に残っていますが、ヌードから歌舞伎までジャンルと作品数の多さが他の写真家さんを圧倒しています。
そんな”篠山紀信”さんがみたデビュー当時の”南沙織”さんの印象は、
<噂>実は略奪婚だった?!
”南沙織”さんの引退理由は「学業に専念するため」だったのですが、実は結婚するためでもあったという噂があります。
デビュー翌年から”篠山紀信”さんが手がけた南さんのレコードのジャケット写真は、シングル20枚とアルバム25枚。
表向きは引退後に交際がスタートした事になっていますが、この頃からお2人の気持ちは結ばれていたのではないかと言われています。
この間に”篠山紀信”さんはモデルの前妻と離婚し、着々と結婚の準備を進めていたのではないかという事です。
そして1979年6月4日 マスコミや芸能関係者を完全シャットアウトして、家族や数名の知人のみで極秘のうちに結婚式を挙げられています。
1991年末「第42回NHK紅白歌合戦」へ出場し歌手活動を再開
引退から13年 NHKからのオファーを受けて、1977年の第28回以来14年ぶりに紅白歌合戦に出場し歌手活動を再開されました。
NHKからの要望は「17才」「色づく街」の2曲を歌って欲しいという事でしたが、沙織さんの希望により「色づく街」のみの歌唱となりました。
ブランクを感じるどころか、年を重ね歌声は深みを増しより魅力的でした。変わらず美しく、歌い終わった後のホッとした表情にあの頃の「シンシア」が思い出されます。
歌手活動を再開とは喜ばしいニュースでしたが、基本的に「家庭第一」のポリシーは崩さずレコーディングのみの限定的な活動。
シングル曲やアルバムをリリースされましたが、1997年4月リリースのフィリップモリスのCMソング「初恋」をリリースして以降は新曲を発表されていません。
2000年以降は、
・2000年6月 歌手デビュー満30周年を記念した完全生産限定CD-BOX「CYNTHIA ANTHOLOGY」を発売.。
・2006年6月 歌手デビュー35周年を迎え全スタジオ・アルバム21枚を紙ジャケット仕様で復刻した完全生産限定CD-BOX「Cynthia Premium」を発売
・2020年7月2日 誕生日に歌手デビュー50周年目を迎えた記念企画CD-BOX「CYNTHIA ALIVE」を発売。
表舞台に立たれる事はありませんが、生まれ育った沖縄への想いは強く、インタビューで語られたり、普天間基地移設問題に関して猛反対のコメントを出されています。
最近の活動は、2020年7月2日 に発売された記念企画CD-BOX「CYNTHIA ALIVE」の中で、”クリス松村”さんとの対談に参加されています。
今も心に残る”南沙織” 月の女神シンシア
やはり「引き際の美学」というのがあるのでしょうね。
歌手活動への復帰についてコメントを求められた時に「もう声、出ませんよ」と首を振り完全否定されたそうで、現在は息子さんもご結婚されお孫さんのお世話などもされているかもしれません。
もう”南沙織”さんの生の歌声を聞くことはないのでしょうが、ミドルエッジ世代にとって「17才」といえば、永遠に南沙織ですよね!
最後までおつき合い頂きありがとうございました。