その毒舌ぶりで注目された美人女優・加賀まりこさん
加賀まりこさんの経歴
1943年、東京都千代田区生まれ、新宿区神楽坂育ちの加賀まりこさん。彼女の父親は映画会社・大映のプロデューサーとして手腕を発揮しており、彼女の実家は大物芸能人・関係者が訪れることも日常だったといいます。
世間体を気にしない、学歴・経歴で人は決められないという母親の考えのもと、その影響を受けて育った加賀まりこさん。自由奔放な発言・態度といったものは、こうした家庭環境のもとで育まれたのでしょう。
その後も、その美貌から女優としての仕事が次々に舞い込んできました。小悪魔的な可愛らしさや、自由奔放な発言で世間から注目を集めますが、一方、女優という仕事にやりがいを見出せないでいた加賀まりこさん。
その内容は、1965年公開の日生四季の舞台『オンディーヌ』の出演オファーでした。女優を辞めるつもりでいた彼女は返事を保留にして、再び実家に国際電話を入れます。
しかし、舞台と映画での演技を違いを痛感し、お腹から声が出せなかった彼女は、舞台公演をこなしながら、劇団四季の養成所にも通い始めました。そんな努力が実を結んだのか、舞台は連日大盛況で、興行は大成功を収めます。そして、この仕事を通じ、彼女は女優業のやりがいを知ります。
それ以降、女優として映画・テレビドラマ・舞台と幅広く活躍しており、その受賞歴の数々も輝かしいものばかり。
2007年にはTBS系列で放送された人気テレビドラマ『花より団子』に出演され、若年層からは”道明寺のお母さん”として認知されました。現在も芸能界で活躍されており、マイペースながらも女優として活動しています。
加賀まりこさんにまつわるエピソード
未婚の母として出産
デイリー記事
今でこそ”シングルマザー”という言葉も一般的になってきましたが、当時は考えられなかったこと。しかし、世間体を気にしない加賀まりこさんはバッシングを気にせず、出産することを決意されます。
お相手は有名ミュージシャンだったようですが、妊娠が発覚したときには関係は終わっていたみたい。生まれてくる子供のためにやり直そうと話し合いの場も設けられたようですが、男性は首を縦に振りませんでした。
こうして未婚のまま出産を決意された加賀まりこさん。早寝早起きに務め、胎教のためにとクラシックを聞いて、嫌いな牛乳も我慢して飲んだといいます。
しかし、こうした努力は報われず、予定日より2カ月も早く出血して緊急入院。前置胎盤のため、帝王切開が行なわれ、結果は冒頭で述べた通りの結末を迎えました。我が子の死を知った彼女は電話機を床に叩きつけて号泣されたそうですよ。