その美貌が眩しい風吹ジュンさん
風吹ジュンさんの経歴
1952年、現在の富山県富山市に生まれた風吹ジュンさん。高校の教師をしていた父親の元、一般的な家庭の2人兄妹の妹として生を受けました。その美貌から裕福なご家庭で育ったかのような印象をもちますが、ご両親は彼女が小学5年生のときに離婚し、その後しばらくは母親に引き取られました。
兄は生活費を稼ぐために働き、風吹ジュンさんは家事と内職に精を出していたそうです。高校受験の時期になると、担任の先生の家に住ませてもらって勉強していたといいます。一次試験に合格して二次試験に臨む当日、母親の再婚を知らされ、呼び戻されたのか理由は分かりませんが、彼女は高校受験を放棄してしてしまいました。
風が吹くように現れたから”風吹”、語呂がいいから”ジュン”と所属事務所の担当者から芸名も名付けられます。本格的に芸能活動を始めると、1973年には初代ユニチカマスコットガールに選ばれ、有名なカメラマンのデヴィット・ハルミトンが撮影した彼女の写真が大きな話題になりました。
数々の映画にも出演され、1979年に公開された映画『甦える金狼』では松田優作さんとの濃厚なラブシーンを披露。美しいヌード姿や妖艶な濡れ場の演技で脚光を浴びます。
しかし、1992年には離婚が成立し、その前後、1991年公開の竹中直人さんが主演・映画監督をされた映画『無能の人』で、主人公の妻役を演じます。すると、その演技ぶりが評価され、ブルーリボン賞助演女優賞・毎日映画コンクール助演女優賞・日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞し、実力派女優としての地位を確立しました。
風吹ジュンさんにまつわるエピソード
拉致監禁事件の被害者に?
1974年、人気絶頂期の風吹ジュンさんは何者かに誘拐されて大騒ぎになりました。
フジテレビでの収録を終えた彼女は帰宅途中、突然、男たちに腕を掴まれて車で連れ去られてしまったのだそうです。
彼女の身に何が起きていたのでしょうか。その真相を探ってみると、事務所移籍を巡って三重契約をしていたことが明らかになります。風吹ジュンさんは当時、所属していた芸能事務所Aの待遇を不満に感じていたそうで、移籍交渉に関する委任契約を別の事務所Bと交わしたみたい。