マルチな活躍ぶりをみせた黛ジュンさん
黛ジュンさんのプロフィール
黛ジュンさんの経歴
1948年、東京都調布市に生まれた黛ジュンさん。実兄には三木たかし(本名:渡辺匡)さんがおり、二人兄妹として育ちます。ご家庭はとても貧乏だったようで、家に借金取りが来ることも多かったそうです。そんな時は兄と二人で、押し入れに隠れて息を潜めて過ごしていたといいます。
1964年、『渡辺順子』名義で芸能界デビュー。しかし、なかなか歌手としては芽が出なかったようで、1967年には石原プロモーションに移籍することに。このとき、インパクトのある芸名をと、彼女が作曲家の黛敏郎さんのファンだったこともあって『黛ジュン』に改名しました。
もともと『天使の誘惑』は同名タイトルの映画の主題歌で、黛ジュンさんは映画の主演にも抜擢されています。その後は映画『夕月』でも主演を務め、彼女の芸能活動は歌手だけに留まらず女優としても活躍するようになりました。
その後、なかなか以前のような人気を得られずに芸能生活は低迷します。そのため、1980年にはレコード会社をソニー・ミュージックエンタテイメントに移籍し、いくつかのシングルを発売しています。
2009年には『NHK歌謡コンサート』で作曲家・三木たかしさんと黛ジュンさん、お二人の兄妹共演が実現しましたが、その4カ月後に三木たかしさんが下咽頭ガンのために死去。
医師から余命宣告は受けていたそうですが、通夜に参列したときの黛ジュンさんの悲痛な表情はメディアでも報道されていました。
当初、病気は原因不明とされていたようですが、アレルギー性の症状であることが判明。翌年2012年には治療が功を奏して病状は治まり、歌手としての活動も再開しています。
黛ジュンさんの結婚・交際遍歴
結果的には江藤勲さんのDVが原因で、1973年に二人は離婚されており、黛ジュンさんも芸能界に復帰されました。
出会って一カ月後にはヘンリーが彼女を追いかけるように来日してきて、お二人の交際が始まります。歌手としてお二人のデュエット曲まで発売しましたが、全く売れなかったといいます。その後、ヘンリーはアメリカに渡ってミキシンガーになる勉強をしたいと言い出し、彼女は旅費と生活費で300万円ほど援助します。
しかし、ヘンリーが渡米した後、タイで暮らすヘンリーの妻子が黛ジュンさんに連絡が。ヘンリーに妻子がいたこと知って驚き、彼とはそのまま音信不通になります。
お二人でファーストクラスの世界旅行を楽しんでいた途中、黛ジュンさんが急に大物政治家を嫌いになり、そのまま一人で帰国して愛人契約は終了したのだとか。
しかし、石田秀雄さんの収入が黛ジュンさんの1割ほどだったという格差に加え、石田秀雄さんが黛ジュンさんの実家で暮らすといった婿入り婚という状況は、円満な結婚生活の妨げになってしまったみたい。結果的には4年後に離婚といった結末を迎えています。
里村隆一さんは15年来の友人だったそうで、公の場で4度目の婚約会見も開いています。しかし、里村隆一さんは、知り合いのイタコからお告げを受け、急に黛ジュンさんの浮気を疑うようになったのだとか。
こうして婚約会見から2ヵ月後には破局会見を行なうことになり、当時は世間ではイタコ破談として話題になりました。
黛ジュンさんの主な出演作品
映画
内容&あらすじ
天使の誘惑 オックス | 映像・音源で振り返る グループサウンズ フォ-クソング
内容&あらすじ
内容&あらすじ
テレビドラマ
『花へんろ 風の昭和物語』
内容&あらすじ
『ギャルボーイ!』
内容&あらすじ
オリジナルビデオ
シングル
最近の黛ジュンさんの活動ぶり
浮き沈みが激しい芸能生活、数々の男性遍歴と世間を大いに賑わせてきた黛ジュンさん。まだまだ現役でご活躍されているのかと思いきや、現在は正式に引退は表明していないものの、表立って芸能活動をしている様子はありません。
男運というところでも恵まれていたとはいえませんよね。破局会見で懲りたのか、2001年以降は特定の男性と交際に発展するようなこともないのだとか。
現在は全盛期に稼いだお金でマンションを建設し、そこの管理人をしながら、4匹の飼い犬に囲まれた生活を送っているのだそうです。ご結婚されましたが、子供はいない黛ジュンさん。かわいい愛犬たちが彼女の心の支えになっているようですね。
まだまだお身体は元気そうなので、歌手としてステージに立つ姿にも期待したいですけど、そこは彼女のご意向次第でしょうか。今後も黛ジュンさんが健やかに暮らせることを願って、今回の記事を締め括りたいと思います。
最後まで記事を読んでくださって、ありがとうございました。また気になる有名人を取り上げていきたいと思いますので、また別の記事でお会いできたら嬉しいです。