「欽ちゃんの仮装大賞」から「欽ちゃん」の文字が消える!?
2月6日に放送された、日本テレビ系の人気バラエティ番組「欽ちゃん&香取慎吾の全日本仮装大賞」の第98回にて、司会を務める萩本欽一(79)が「今回で私、この番組終わり」と番組中で発言し、物議を醸しています。
第一報はこちらです!
コロナ禍という状況の中、史上初の無観客開催となった今回の仮装大賞。その番組中盤で、30回にわたり出演しているという常連参加者に対し、萩本が「遠くにいる(編注:新型コロナ対策で番組内では参加者と距離を取っていました)から言えるんだけど、今回で私、この番組終わり」とコメントしました。そのコメントには、視聴者から「欽ちゃん、今回で辞めちゃうの?」といった不安の声が噴出しています。
ツイッターの公式アカウントは華麗にスルー!!
SNSを中心に物議を醸している、萩本の番組引退とも取れる発言。番組関係者によると「真意は不明」「現在98回まで来ているので、100回まではやってほしい」と、関係者にとっても寝耳に水だった模様です。現在79歳で、今年5月には80歳となる萩本。果たして引退を決断するのか?公式ツイッターアカウントは華麗にスルーしている状態です!
覚えてますか?「欽ちゃんの仮装大賞」の歴史!!
我々ミドル世代が子供だった頃からの名物バラエティである「仮装大賞」。誰もが一度は観たことがあるかと思います。ここでは、そんな仮装大賞の歴史を軽く振り返っておきましょう。
1979年、紅白の裏番組として企画された!
仮装大賞の記念すべき第1回が放送されたのは、1979年のこと。紅白歌合戦の裏番組として12月31日に放送され、番組の正式タイトルは「欽ちゃんの紅白歌合戦をぶっ飛ばせ!第1回全日本仮装大賞〜なんかやら仮そう!〜」でした。東京・新宿コマ劇場からの生放送であり、総勢78組が仮装行列的な作品でその出来栄えを競っていました。

1982年から年3回の放送に!
そして翌1980年からは「欽ちゃんの爆笑仮装コンテスト 全日本仮装大賞」と名称を変更。審査員10人の持ち点が各2点、合計15点以上で合格という形式が確立されました。当初は年2回の放送だったのですが、高視聴率を記録したことから1982年からは年3回の放送に。この年3回の放送体制は2003年まで継続しました。

2002年、香取慎吾が司会に加入!
仮装大賞は従来、萩本の単独司会だったのですが、2002年になるとSMAPの香取慎吾が萩本のアシスタントとして共同司会を担当するようになりました。番組のタイトルもそれに伴い「欽ちゃん&香取慎吾の新!仮装大賞」を経て「欽ちゃん&香取慎吾の全日本仮装大賞」に変更となりました。

第95回にて「史上初の0点作品」が登場!!
萩本&香取の2人体制となった仮装大賞。その後も順調に回を重ねていったのですが、2018年に放送された第95回にて「史上初の0点作品」が登場しました。これはお笑いコンビ・ブリリアンが演じた作品「山頂アタック」で、審査員が「迷いなく0点」とコメントするほどに酷い出来の作品として、ある意味伝説となっています。
このように、40年の長きにわたり我々を楽しませてくれている「仮装大賞」。その顔である萩本が今後も番組に出演し続けるのか、それとも引退を決断するのか、今後の動向に目が離せません!
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