マルチな活躍ぶりを見せた財津一郎さん
財津一郎さんのプロフィール
財津一郎さんの経歴
財津家といえば神武天皇から続く名家として知られており、1934年、財津一郎さんは三人兄弟の末っ子として生まれました。父親は農林省の役人をしていましたが、中国への出征が決まり、一家は1944年から故郷の熊本での疎開暮らしを強いられます。
代々財津家に伝わる阿蘇の土地を守るため、一家は終戦後も熊本で暮らし、財津一郎さんは地元の公立高校を卒業。
映画演劇研究所を卒業した財津一郎さん。1955年には、『財津肇メ』の芸名で石井均一座に入門しました。そして、新宿の劇団『ムーラン』の舞台に立ちます。しかし、劇団『ムーラン』が解散してからの芸能生活はパッとせず、改めて大阪から仕切り直すことに。
1962年からTBS系列で放送されたコメディチックな時代劇『てなもんや三度笠』に、財津一郎さんは浪人・蛇口一角の役で出演。この奇妙な演技は爆発的に視聴者に受け、当初はスポット出演の予定だったにも関わらず、最終回までレギュラー出演することになります。
1995年には脳内出血を患い、頭開手術を受けています。術後は後遺症として左半身に軽い麻痺が残りましたが、リハビリに励んで3か月後には仕事に復帰しました。
2011年を境にして事実上の休業状態にあり、現在は全てのテレビ出演のオファーを断っているとのことです。
財津一郎さんにまつわるエピソード
財津和夫さんとの意外な接点
珍しい名字のため、両者の間には、なにか関連性があるのかも気になりますよね。じつは財津一郎さんと財津和夫さん、遠い親戚関係にあたるのだとか。お互い、その事実を知らなかったようですが、2016年にNHKで放送された番組『ファミリーヒストリー』でスタッフが調べたことによって明らかになりました。
ちなみに財津和夫さんの記事はこちら。
【財津和夫】音楽アーティストや俳優として活躍中!プロフィール・代表作など - Middle Edge(ミドルエッジ)
タケモトピアノのCM出演
番組ではその原因も考察されており、財津一郎さんの声の周波数が、幼児が好む440ヘルツ周辺のためなのだそうですよ。
財津一郎さんというと、いつまでも若いイメージがありますよね。タケモトピアノのCMは20年以上も作り変えず、ずっと同じ映像を続けています。そういった背景もあって、私たちは財津一郎さんが老けないという印象を抱きがちですよね。
奥様・息子など家族について
財津一郎さんは若手の俳優として石井均一座に所属していた頃に奥様と出会い、ご結婚されています。奥様の名前は一般人ということで、残念ながら詳細は掴めませんでした。
結婚当時は、お寺の離れで下宿生活していて、二人で苦楽を共にしてきたといいますから、凄い夫婦ですよね。
父親と同じ業界に身を置きながら、違うポジションでしっかり成功されているみたいですよ。
財津一郎さんの主な代表作品
テレビ番組
内容&あらすじ
テレビドラマ
内容&あらすじ
内容&あらすじ
Wikipedia - 秀吉 (NHK大河ドラマ)
内容&あらすじ
映画
『連合艦隊』
内容&あらすじ
テレビCM
『こてっちゃん』/スタミナ食品
『タケモトピアノ』/タケモトピアノ工房
『バザールでござーる』/NEC
最近の財津一郎さんの活動ぶり
経歴でも触れているように、俳優としては事実上の休業状態にある財津一郎さん。現在の暮らしぶりが記事になっていましたので、こちらにもリンクを掲載させていただきます。
89歳の妻を1人で……財津一郎85歳が語る“老老介護”の現実「大事なのは絶対に暗くならないこと」 | 文春オンライン
夫婦ともに介護を必要としながら、お互い思いやりの精神で生活を支え合っているみたいですね。献身的に奥様を介護する財津一郎さんの姿が印象的です。奥様に100歳まで生きてもらいたいなら、その介護を支える財津一郎さんも長生きしなくてはいけませんね。
この調子だと、今後、テレビで元気な姿を見られる機会はないのかもしれませんが、せめて健やかに余生を過ごしてほしいものです。お二人にとって、安らかな生活が続くことを祈って、今回の記事を締め括りたいと思います。最後まで呼んでくださって、ありがとうございました。また別の記事でお会いできたら嬉しいです。