資生堂モデルといえば ”山口小夜子”
"山口小夜子"さんは「杉野学園ドレスメーカー女学院」卒業後、1971年にプロのモデルとしてデビューされました。
"高田賢三"氏や"山本寛斎"氏のショーで注目を集めた後、1972年にパリコレクションに起用されると、当時のモデルの主流「西洋的な大きな目でキュートな顔立ち」とは真逆の「切れ長の目と黒髪のおかっぱ髪」で日本人ブームを巻き起こします。
1973年から1986年まで資生堂のミューズとして、「日本的な美を」を発信し続けました。
1977年にはニューズウィーク誌の「世界のモデルトップ6」にアジア人として初選出。
「東洋の神秘」と称され世界中から注目を浴びた伝説のモデル"山口小夜子"さんの資生堂CMをみてみましょう!
ナレーションの語り口調に目一杯、昭和を感じますが(笑)今の時代に見返しても"小夜子"さんの存在感は圧倒的です。
”三宅一生”氏や"山本寛斎"氏、"高田賢三"氏、"イヴ・サンローラン"氏といった世界的なデザイナーから愛され、彼らのミューズとも言える絶対的な存在だった"山口小夜子"
晩年は自らを「ウエアリスト(着る人)」と称し、ファッションだけでなく「ダンス/舞」「音楽」「映像」「文学」など多種多様な芸術活動を展開されていました。
2007年8月14日 急性肺炎のため死去。
伝説のモデルのあまりにも急な死が世間を騒がせていました。
資生堂 季節のキャンペーンモデル&ソング
70年代~80年代にかけて、化粧品のキャンペーンに楽曲をタイアップさせるCMが大々的に展開されていました。
CMに起用されたモデルはその時代の「美の象徴」であり、多くのヒット曲が誕生し起用されたアーティストはブレイクしていきましたね。
■1976年 秋キャンペーン<揺れるまなざし>真行寺君枝
"真行寺君枝"さんにとって、この資生堂モデルが本格的なデビューになりますが、この時の年齢はなんと16歳。
若干16歳で、このお色気 !
何をどう経験すれば、こんな色っぽさが出せるのでしょうか。
公式ウェブサイトによると、このキャンペーンはオーディションからキャンペーン発表までに2年の月日がかかっていたという事です。当時は、資生堂VSカネボウのキャンペーン合戦が社会現象にまで発展していたので、下準備が相当なものだったのでしょう。
そんな重大なCMモデルを16歳でこなせるとは、その後の"真行寺君枝"さんの人生に興味が沸いてきます。
高校卒業後、三船プロダクションに所属し女優デビューすると、山田太一脚本のドラマ「沿線地図」で主人公の一人を演じ注目を集めます。その後、数々の映画やドラマで存在感を発揮し女優としての地位を確立。なんと、"ジョニーデップ"までも”真行寺君江”に熱いラブコールを送っていたそうです。
1983年 元「ザ・テンプターズ」のドラマー”大口広司”氏と結婚。
1984年 夫の大口氏が大麻所持容疑で逮捕(執行猶予付きの有罪判決を受け解雇)資金援助をし服飾会社「プラクティス・オブ・サイレンス」を創設。
1986年 長男「弦人」さんを出産。
1991年 「プラクティス・オブ・サイレンス」倒産。
2005年 大口氏と離婚。
2006年 大口氏の会社の経営破たんの影響から破産宣告を受ける。
なんとも波瀾万丈の人生を送ってこられました。
現在、TVでお見掛けする事はないのですが、
2016年 化粧品を開発・販売する会社「うつくしく」を創業し活動されています。
「うつくしく」の創業に関しては、16歳で資生堂のCMに出演した経験が大きかったようです。
■1977年 春キャンペーン<マイ・ピュア・レディ>小林麻美
1970年代後半 今のCMとは重みが違う時代に次々と話題をさらっていた"小林麻美"さん
この資生堂のCM 可愛かったですよね。珍しいショートヘアですね。
ポスト・ユーミンと呼ばれた"尾崎亜美"さんが歌う「マイピュアレディ」の世界観と相まってオシャレな映像が当時の若者のハートをガッチリ掴みました。
"小林麻美"さんは、CMでモデルとして人気を得た後、1984年に8年ぶりに歌手として「雨音はショパンの調べ」をリリースし、大ヒット。
「アンニュイでファッショナブル」な女優として活躍されていましたが、1991年 所属事務所「田辺エージェンシー」の社長の"田邊昭知"氏と結婚、芸能界を引退。
2016年7月20日発売のファッション誌「Kunel」9月号で表紙を飾り、突然25年ぶりに芸能界へ復帰。
2020年3月19日 延江浩による評伝「小林麻美―第二幕」が朝日新聞出版より発売。
出産・育児を終えられた"小林麻美"さんの第二幕が楽しみです。
■1977年 夏キャンペーン<サクセス>ティナ・ラッツ
このキャンペーンには「働く女の人」というコンセプトが立てられていたそうです。
「若い頃にモデルでバリバリに活躍していた"ティナ"という女性がモデルを辞め、キャリアウーマンに転身した」そういうストーリーが描かれていました。
"ティナ・ラッツ"さんは、トップモデルとして人気だった時に日本の芸能界から引退しイギリスで幸せな結婚生活を送られていました。
そんな"ティナ"さんを日本へ呼び寄せて作られたCM「サクセス、サクセス、」は、まさに"ティナ"さん自身のストーリーだったのではないでしょうか。
キャンペーンの後半からCMで流されたB面曲「愛しのティナ」は勿論モデルを務めた"ティナ"の名前からつけられていました。
"ティナ・ラッツ"さんは父親がドイツ系アメリカ人、母親は日本人という家庭に生まれ、1960年代中頃に一家で来日。上智大学時代に2歳上の姉と共にモデルとしてデビュー。
資生堂の広告塔として又、不二家のCMにも起用され、ハーフモデルとして活躍されていました。
時代の顔として一人気絶頂へと登りつめた1972年(22歳)にレストラン経営者の"マイケル・チャウ"氏と結婚しイギリスに渡る。
渡英後は、夫"マイケル"のレストランの常連客"アンディ・ウォーホル"や”キース・ヘリング”など時代の申し子といったアーティストたちとの交友関係から、ミューズとして彼らの手掛けた作品にも登場。
又、"ティナ・チャウ"名義でジュエリーデザイナーとしても活動。
華やかな暮らしぶりだった"ティナ・ラッツ"さんですが、1980年代後半にエイズの宣告を受け、1989年 マイケル氏と離婚 1992年に帰らぬ人となりました。
■1978年 春キャンペーン<春の予感~I've been mellow~>高原美由紀
前年春のキャンペーンソング「マイピュアレディ」に続いて、再び"尾崎亜美"さんの曲で勝負。
メロウでオシャレなCMでしたね。
モデルを務められたのは"高原美由紀"さんでした。
「JJ」などファッション誌で表紙を飾っておられたモデルさんでお綺麗な方でしたが、プロフィール等の詳細は残念ながら探し出せませんでした。
■1978年 夏キャンペーン<時間よ止まれ>パシフィック・ガールズ
モデルのパシフィック・ガールズ(藤田恵弥子さん、土屋名美さん、林秀子さん、堀川まゆみさん、ロリアン・レオンさん)は、歌詞にもある「パシフィック」にちなんで集められた美女5人です。
モデルさんも気になるところですが、今回はタイアップ曲にスポットを当ててご紹介します。
楽曲提供は"矢沢永吉"さん
矢沢さんと言えば・・・そう伝説のロックバンド"キャロル"という事で、リーゼントに革ジャンのイメージでファンには暴走族も多かったですよね。
どう考えても資生堂のCMを楽しみにしている顧客層とは合わないと思うのですが、資生堂的には戦略があったようです。
前年度、夏のキャンペーン"でダウン・タウン・ブギウギバンド"の「サクセス」を起用し不良っぽい要素を取り入れることに成功していた為、自信をもってのオファーだったようです。
"矢沢永吉"さん的には「俺がバラード?」という戸惑いがあったようですが、見事に当たり「時間よ止まれ」は矢沢さん自身初のヒットとなり、代表作になっています。
そして、
2014年 36年ぶりに"水原希子"さんがモデルを務める「美への挑戦篇」のCM曲として復活しました。
■1978年 秋キャンペーン<君のひとみは10000ボルト>ルーシー島田
アリスの"堀内孝雄"さんが歌われた「君のひとみは10000ボルト」はミリオンに近いヒットになりましたが、まるでモデルを務めた”ルーシー島田”さんのことを歌っているかのように画(え)と曲がぴったりハマっていました。
”ルーシー島田”さんが気になり調べてみましたが、プロフィールも現在についても探し出せませんでした。
ただ一つ、ずいぶん昔の事のようですが大阪の繁華街のスナック「カティサーク」というお店でママをされているという情報がありました。
気になっている方は多いようですが、事実かどうかはわかりません。
■1979年 夏キャンペーン<燃えろいい女>小野みゆき
1977年夏の「ダウン・タウン・ブギウギバンド」1978年夏の「矢沢永吉」の流れを受け継ぐ「ちょっとワルな夏の女+ロック」というコンセプトにピタリとハマった「燃えろいい女」
モデルを務めた"小野みゆき"さんの目つきたるや「ワルな夏の女」そのものでしたね。
1979年 資生堂化粧品のキャンペーンガールとしてデビューし、その後は女優として映画やテレビ、舞台で活躍されていました。
主な出演作
・トラック野郎・熱風5000キロ
・戦国自衛隊
・あぶない刑事
・死霊の罠(主演)
・ブラック・レイン
・連続テレビ小説(NHK)「よーいドン」「凛凛と」
1990年代後半に未婚の母となり芸能活動を休止 海外で育児に専念されていました。
時期は不明ですが、映画「戦国自衛隊」で共演された俳優の"清水昭博"さんと結婚されていましたが、すぐに離婚され、その後に出産されたようです。
父親は明かされていませんが、2018年12月13日放送のバラエティ番組「アウト×デラックス」に息子さんと一緒に出演されていました。
2020年公開の映画「クシナ」で本格的に芸能界へ復帰されました。
■1979年 秋キャンペーン<微笑の法則~スマイル・オン・ミー~>星野真弓
モデルを務められた"星野真弓"さんは、俳優の"寺尾聡"さんと結婚され芸能界を引退されているので、プロフィールは非公表になっています。
現在、寺尾さんの個人事務所「寺尾音楽事務所」の社長を務められているようです。
「綺麗なお姉さん」と気になっていたら、「いつの間にか寺尾聡夫人になっていた」という嘆き(笑)の声が多いです。