美の象徴だった資生堂CM!70~80年代の資生堂モデルと名作揃いのタイアップ曲をお届け!

美の象徴だった資生堂CM!70~80年代の資生堂モデルと名作揃いのタイアップ曲をお届け!

資生堂VSカネボウという化粧品メーカーのCM対決が楽しみだった時代がありましたね。化粧品のCMモデルに選ばれるという事は、美しさは勿論のことその時代の美を象徴する魅力がありました。「次のキャンペーンモデルは誰だろう?曲は?」と、化粧品は買わなくても(笑)CMだけは楽しみにしていた頃~ あの頃の資生堂モデルを名作揃いのタイアップ曲と共に振り返ります。目と耳で懐かしんで下さいね!


資生堂モデルといえば ”山口小夜子”

生年月日:1949年9月19日
没年月日:2007年8月14日
没年齢:57歳(数え59)
出身地:神奈川県横浜市中区
デビュー:1971年
活動:ファッションモデル、デザイナー、女優、ダンサー、パフォーマー

"山口小夜子"さんは「杉野学園ドレスメーカー女学院」卒業後、1971年にプロのモデルとしてデビューされました。
"高田賢三"氏や"山本寛斎"氏のショーで注目を集めた後、1972年にパリコレクションに起用されると、当時のモデルの主流「西洋的な大きな目でキュートな顔立ち」とは真逆の「切れ長の目と黒髪のおかっぱ髪」で日本人ブームを巻き起こします。

1973年から1986年まで資生堂のミューズとして、「日本的な美を」を発信し続けました。

1977年にはニューズウィーク誌の「世界のモデルトップ6」にアジア人として初選出。

「東洋の神秘」と称され世界中から注目を浴びた伝説のモデル"山口小夜子"さんの資生堂CMをみてみましょう!

ナレーションの語り口調に目一杯、昭和を感じますが(笑)今の時代に見返しても"小夜子"さんの存在感は圧倒的です。

”三宅一生”氏や"山本寛斎"氏、"高田賢三"氏、"イヴ・サンローラン"氏といった世界的なデザイナーから愛され、彼らのミューズとも言える絶対的な存在だった"山口小夜子"
晩年は自らを「ウエアリスト(着る人)」と称し、ファッションだけでなく「ダンス/舞」「音楽」「映像」「文学」など多種多様な芸術活動を展開されていました。

2007年8月14日 急性肺炎のため死去。
伝説のモデルのあまりにも急な死が世間を騒がせていました。

資生堂 季節のキャンペーンモデル&ソング

70年代~80年代にかけて、化粧品のキャンペーンに楽曲をタイアップさせるCMが大々的に展開されていました。

CMに起用されたモデルはその時代の「美の象徴」であり、多くのヒット曲が誕生し起用されたアーティストはブレイクしていきましたね。

■1976年 秋キャンペーン<揺れるまなざし>真行寺君枝

"真行寺君枝"さんにとって、この資生堂モデルが本格的なデビューになりますが、この時の年齢はなんと16歳。
若干16歳で、このお色気 !
何をどう経験すれば、こんな色っぽさが出せるのでしょうか。

公式ウェブサイトによると、このキャンペーンはオーディションからキャンペーン発表までに2年の月日がかかっていたという事です。当時は、資生堂VSカネボウのキャンペーン合戦が社会現象にまで発展していたので、下準備が相当なものだったのでしょう。
そんな重大なCMモデルを16歳でこなせるとは、その後の"真行寺君枝"さんの人生に興味が沸いてきます。

高校卒業後、三船プロダクションに所属し女優デビューすると、山田太一脚本のドラマ「沿線地図」で主人公の一人を演じ注目を集めます。その後、数々の映画やドラマで存在感を発揮し女優としての地位を確立。なんと、"ジョニーデップ"までも”真行寺君江”に熱いラブコールを送っていたそうです。

1983年 元「ザ・テンプターズ」のドラマー”大口広司”氏と結婚。
1984年 夫の大口氏が大麻所持容疑で逮捕(執行猶予付きの有罪判決を受け解雇)資金援助をし服飾会社「プラクティス・オブ・サイレンス」を創設。
1986年  長男「弦人」さんを出産。
1991年 「プラクティス・オブ・サイレンス」倒産。
2005年 大口氏と離婚。
2006年 大口氏の会社の経営破たんの影響から破産宣告を受ける。

なんとも波瀾万丈の人生を送ってこられました。

現在、TVでお見掛けする事はないのですが、
2016年 化粧品を開発・販売する会社「うつくしく」を創業し活動されています。

「うつくしく」の創業に関しては、16歳で資生堂のCMに出演した経験が大きかったようです。

■1977年 春キャンペーン<マイ・ピュア・レディ>小林麻美

1970年代後半 今のCMとは重みが違う時代に次々と話題をさらっていた"小林麻美"さん
この資生堂のCM 可愛かったですよね。珍しいショートヘアですね。

ポスト・ユーミンと呼ばれた"尾崎亜美"さんが歌う「マイピュアレディ」の世界観と相まってオシャレな映像が当時の若者のハートをガッチリ掴みました。

"小林麻美"さんは、CMでモデルとして人気を得た後、1984年に8年ぶりに歌手として「雨音はショパンの調べ」をリリースし、大ヒット。

「アンニュイでファッショナブル」な女優として活躍されていましたが、1991年 所属事務所「田辺エージェンシー」の社長の"田邊昭知"氏と結婚、芸能界を引退。

2016年7月20日発売のファッション誌「Kunel」9月号で表紙を飾り、突然25年ぶりに芸能界へ復帰。

2020年3月19日 延江浩による評伝「小林麻美―第二幕」が朝日新聞出版より発売。

出産・育児を終えられた"小林麻美"さんの第二幕が楽しみです。

小林麻美 第二幕 | 延江 浩 |本 | 通販 | Amazon

■1977年 夏キャンペーン<サクセス>ティナ・ラッツ

このキャンペーンには「働く女の人」というコンセプトが立てられていたそうです。
「若い頃にモデルでバリバリに活躍していた"ティナ"という女性がモデルを辞め、キャリアウーマンに転身した」そういうストーリーが描かれていました。

"ティナ・ラッツ"さんは、トップモデルとして人気だった時に日本の芸能界から引退しイギリスで幸せな結婚生活を送られていました。
そんな"ティナ"さんを日本へ呼び寄せて作られたCM「サクセス、サクセス、」は、まさに"ティナ"さん自身のストーリーだったのではないでしょうか。

キャンペーンの後半からCMで流されたB面曲「愛しのティナ」は勿論モデルを務めた"ティナ"の名前からつけられていました。

"ティナ・ラッツ"さんは父親がドイツ系アメリカ人、母親は日本人という家庭に生まれ、1960年代中頃に一家で来日。上智大学時代に2歳上の姉と共にモデルとしてデビュー。

資生堂の広告塔として又、不二家のCMにも起用され、ハーフモデルとして活躍されていました。

時代の顔として一人気絶頂へと登りつめた1972年(22歳)にレストラン経営者の"マイケル・チャウ"氏と結婚しイギリスに渡る。

渡英後は、夫"マイケル"のレストランの常連客"アンディ・ウォーホル"や”キース・ヘリング”など時代の申し子といったアーティストたちとの交友関係から、ミューズとして彼らの手掛けた作品にも登場。
又、"ティナ・チャウ"名義でジュエリーデザイナーとしても活動。

華やかな暮らしぶりだった"ティナ・ラッツ"さんですが、1980年代後半にエイズの宣告を受け、1989年 マイケル氏と離婚 1992年に帰らぬ人となりました。

■1978年 春キャンペーン<春の予感~I've been mellow~>高原美由紀

前年春のキャンペーンソング「マイピュアレディ」に続いて、再び"尾崎亜美"さんの曲で勝負。
メロウでオシャレなCMでしたね。

モデルを務められたのは"高原美由紀"さんでした。
「JJ」などファッション誌で表紙を飾っておられたモデルさんでお綺麗な方でしたが、プロフィール等の詳細は残念ながら探し出せませんでした。

■1978年 夏キャンペーン<時間よ止まれ>パシフィック・ガールズ

モデルのパシフィック・ガールズ(藤田恵弥子さん、土屋名美さん、林秀子さん、堀川まゆみさん、ロリアン・レオンさん)は、歌詞にもある「パシフィック」にちなんで集められた美女5人です。
モデルさんも気になるところですが、今回はタイアップ曲にスポットを当ててご紹介します。

楽曲提供は"矢沢永吉"さん

矢沢さんと言えば・・・そう伝説のロックバンド"キャロル"という事で、リーゼントに革ジャンのイメージでファンには暴走族も多かったですよね。
どう考えても資生堂のCMを楽しみにしている顧客層とは合わないと思うのですが、資生堂的には戦略があったようです。

前年度、夏のキャンペーン"でダウン・タウン・ブギウギバンド"の「サクセス」を起用し不良っぽい要素を取り入れることに成功していた為、自信をもってのオファーだったようです。

"矢沢永吉"さん的には「俺がバラード?」という戸惑いがあったようですが、見事に当たり「時間よ止まれ」は矢沢さん自身初のヒットとなり、代表作になっています。
そして、
2014年 36年ぶりに"水原希子"さんがモデルを務める「美への挑戦篇」のCM曲として復活しました。

■1978年 秋キャンペーン<君のひとみは10000ボルト>ルーシー島田

アリスの"堀内孝雄"さんが歌われた「君のひとみは10000ボルト」はミリオンに近いヒットになりましたが、まるでモデルを務めた”ルーシー島田”さんのことを歌っているかのように画(え)と曲がぴったりハマっていました。

”ルーシー島田”さんが気になり調べてみましたが、プロフィールも現在についても探し出せませんでした。
ただ一つ、ずいぶん昔の事のようですが大阪の繁華街のスナック「カティサーク」というお店でママをされているという情報がありました。
気になっている方は多いようですが、事実かどうかはわかりません。

■1979年 夏キャンペーン<燃えろいい女>小野みゆき

1977年夏の「ダウン・タウン・ブギウギバンド」1978年夏の「矢沢永吉」の流れを受け継ぐ「ちょっとワルな夏の女+ロック」というコンセプトにピタリとハマった「燃えろいい女」

モデルを務めた"小野みゆき"さんの目つきたるや「ワルな夏の女」そのものでしたね。

1979年 資生堂化粧品のキャンペーンガールとしてデビューし、その後は女優として映画やテレビ、舞台で活躍されていました。

主な出演作
・トラック野郎・熱風5000キロ
・戦国自衛隊
・あぶない刑事
・死霊の罠(主演)
・ブラック・レイン
・連続テレビ小説(NHK)「よーいドン」「凛凛と」

1990年代後半に未婚の母となり芸能活動を休止 海外で育児に専念されていました。

時期は不明ですが、映画「戦国自衛隊」で共演された俳優の"清水昭博"さんと結婚されていましたが、すぐに離婚され、その後に出産されたようです。

父親は明かされていませんが、2018年12月13日放送のバラエティ番組「アウト×デラックス」に息子さんと一緒に出演されていました。

2020年公開の映画「クシナ」で本格的に芸能界へ復帰されました。

■1979年 秋キャンペーン<微笑の法則~スマイル・オン・ミー~>星野真弓

モデルを務められた"星野真弓"さんは、俳優の"寺尾聡"さんと結婚され芸能界を引退されているので、プロフィールは非公表になっています。

現在、寺尾さんの個人事務所「寺尾音楽事務所」の社長を務められているようです。

「綺麗なお姉さん」と気になっていたら、「いつの間にか寺尾聡夫人になっていた」という嘆き(笑)の声が多いです。

■1980年 春キャンペーン<不思議なピーチパイ>メアリー岩本(マリアン)

ショートカットが初々しい、当時「メアリー岩本」と名乗っていた"マリアン"さんのデビュー作です。可愛かったですよね。

資生堂のキャッチコピーは「ピーチパイ」だったのですが、これを歌のタイトルに入れる際、コピーライターの"糸井重里"氏が「不思議な」を付け加えたそうです。

そのおかげで、何とも耳に残る♪不思議なピーチパイ♪

父親がアメリカ人(アメリカ軍軍人)で母親が日本人という家庭に生まれ、学生時代をロサンゼルスで過ごされていました。

日本を旅行中にスカウトされ、1980年 資生堂のキャンペーンガールで"メアリー岩本"として日本の芸能界へデビュー。(後にマリアンに改名)

その後、女優としてドラマやバラエティ番組で活躍。デヴィ夫人と犬猿の仲であることが有名ですね。

1987年に実業家の男性と結婚し、1男2女に恵まれるも1998年に離婚されています。
娘さんお2人はモデルとして活動。

■1983年 夏キャンペーン<め組のひと>トリー・メンドーサ

"トリー・メンドーサ"さんに関する情報は、「大磯ロングビーチキャンペーンガール」の2代目を1982年に務められていた事しかわかりませんでした。
ちなみに初代は"アグネスラム"さんで、1979年から 1981年まで3年間務められています。

抜群のプロポーションで夏のキャンペーンに相応しかったですよね。

前年 82年の夏キャンペーン「夏ダカラ、コウナッタ」でもモデルを務められ、"矢沢永吉"さんと共演されていました。

■1988年 秋キャンペーン<彼女とTIP ON DUO>今井美樹

"今井美樹"さんの起用は、春のCM「恋のライブリップ」に続き2度目になります。

この頃の今井さんは歌手としても売り出し中で、「彼女とTIP ON DUO」がヒットし大ブレイク又、この年の主なファッション誌の表紙を席巻し、まさに時代を象徴する「美しさ」でした。

CM曲を自ら歌いモデルを務めヒットしたのは、この頃からではないでしょうか。

ジャズ好きの父の影響を受け育った"今井美樹"さん、中学時代は"松任谷由実"さんに熱中されていたそうです。

高校を卒業後は、スチュワーデスを目指し上京
1983年 ファッション誌「mc Sister」 でモデルとしてデビュー
1984年 山田太一脚本のドラマ「輝きたいの」で女優デビュー
1986年 「黄昏のモノローグ」で歌手デビューすると、資生堂秋のキャンペーンソング「彼女とTIP ON DUO」のヒットでブレイク
その後も、歌手として女優として活躍されています。

1999年にロックミュージシャン"布袋寅泰"さんと入籍され世間を騒がせました。
2人の関係は不倫であり、布袋さんの元妻"山下久美子"さんは今井さんにとって姉のように慕う友人だったからです。

当時、ファッションは勿論のこと生き方までもが多くの女性から憧れられていた"今井美樹"さんでしたが、この結婚により一気に失望と怒りの非難を浴びる事となりました。

8年前に一家でロンドンに移住し、現在も音楽活動を続けられています。

ここでご紹介した以外にもまだまだ名作はありますね。

"山口小夜子"さんやキャンペーンモデルだけではなくメジャーブランドのCMでも、70年代~80年代にかけて沢山のモデルさん達が資生堂のCMを彩られていました。



懐かしいのを一つ。

映画のワンシーンのようだった資生堂CM

70年~80年代の資生堂モデルには、そのCMがデビュー作であったり無名のモデルさんが起用されていたので、その後の消息が不明なモデルさんもおられます。
でも、「一瞬のきらめき」が素敵で魅了されましたね。

残念ながら、80年代後半になり時代の移り変わりと共に「資生堂モデル」もアイドル路線へと舵を切り始めます。

貴方の記憶に残る資生堂モデルは誰ですか?

CMもまた、懐かしいあの頃へタイムスリップする一つの良い想い出ですね。

最後までおつき合い頂きありがとうございました。

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