加トちゃんペッ!ちょっとだけよ、あんたも好きねー。どうもすんずれい(失礼)しました。
加トちゃんのギャグは、他にも沢山ありますね。
加藤茶のプロフィール! スタートはロックバンドのドラマ―
1943年 東京都で生まれた加藤茶さんですが、父親が病気のため父親の郷里「福島県福島市」へ引っ越し福島で育ちました。
父親がギタリストの平八郎(たいら はちろう)さん、という影響もあったのでしょうか、高校中退後、叔母を頼って上京しトロンボーン奏者を目指して「スターダスターズ」のバンドボーイになります。
その後、マネージャーと喧嘩してクビになるも1961年にドラマーとして「クレージーウエスト」のメンバーとなる。
1962年 "いかりや長介"さんと同時期に「桜井輝夫とザ・ドリフターズ」のメンバーに加入し、ジャズ喫茶を中心にライブ活動を行う。
加藤茶さんは、というかドリフターズは元々バンドだったんですね。前期のバンド時代には"山下敬二郎"さん"坂本九"さん"木の実ナナ"さんなどの大物ミュージシャンが在籍していたそうです。
その後、メンバーが次々と入れ替わり「新生ドリフターズ」になる。
1964年 初のレギュラー番組「ホイホイミュージックスクール」で「ザ・ドリフターズ」としてTVデビュー。
すると、「加トちゃんぺッ」のギャグが受け、たちまち人気者に。
1966年 ビートルズ日本公演の前座を務めた事で、「ザ・ドリフターズ」の知名度が上がる。
「ザ・ドリフターズ」は、楽曲主体の音楽ネタなどを披露するコミックバンドから、テレビや映画出演が増え人気が出ると、コントやギャグが主体となっていきます。
1969年10月 ザ・ドリフターズの看板番組となる「8時だョ!全員集合」がスタート。
「8時だョ!全員集合」は、番組全体の平均視聴率が「27.3%」で、最高視聴率は「50.5%」(1973年4月7日放送)という驚異の数字をたたきだし、「お化け番組」「怪物番組」と呼ばれ、加トちゃんは小学生のカリスマ的存在でした。
本当にあの頃は、観ていない人がいないんじゃないかと言うくらい大人気でしたね!
ギャグもコントもゲストとの絡みも最高でした。
「8時だョ!全員集合」から生まれたギャグも多かったですね。
チョッと刺激的?な「ちょっとだけよ、あんたも好きねー」や志村けんさんとペアの「ひげダンス」
真似しましたね~。
ザ・ドリフターズのメンバーとして一斉を風靡した加藤茶さん、当時はハゲ頭のかつらにチョビひげ、厚底メガネのインパクトが強かったのですが、今から思えばメンバーの中で一番のイケメンでしたね。
若かりし頃の「加トちゃん」をみてみましょう!