名女優にして冒険家としても活躍した和泉雅子さん
和泉雅子さんのプロフィール
和泉雅子さんの経歴
生い立ち
幼少期から芸能・演劇といった分野に興味を持っており、10歳のときには劇団若草の子役をしていました。その後、落語家・喜劇俳優として有名な金語楼さんが旗揚げした『金語楼劇団』に入って喜劇を目指します。
芸能界デビュー
その後、数々の青春映画に出演すると、その美貌ぶりは多くの男性ファンを虜にしました。
雑誌『近代映画』で行なわれた人気投票では、1964年から1968年の5年連続でベスト10入りを達成。さらには2年連続で、人気絶頂期だった吉永小百合に次ぐ2位にも輝いています。
1967年には同じく日活所属の俳優・山内賢とのデュエット曲を発売。『二人の銀座』『東京ナイト』といったタイトルが大ヒットすると、その後も幾つかのシングルをリリースしました。
1971年、日活が成人向けコンテンツに舵を切ったため、以降は、テレビドラマに活動の場をシフト。映画では清純なイメージだった和泉雅子さんですが、テレビドラマでは強姦されるといったカットにも挑戦しています。
浮き沈みの大きい芸能界への危惧から、この頃より、不動産への投資にも積極的になり、東京都港区の白金台二丁目にてホテルを経営しながらも居住するといった生活を送るようになりました。このホテルは2005年にはトランクルームに業態を変え、2014年まで営業していたようです。
冒険家として
1984年、地球の頂点に立ちたいと思うようになりました。日本人として初めて北極点到達を成し遂げた極地ジャーナリスト・五月女次男さんと出会い、協力を得られたため、北極点到達に挑戦することを決意します。翌年には挑戦が現実のものとなり、いよいよ日本を出発します。
スノーモービルで荷物を括ったソリを引きながらの挑戦。比較的に序盤は順調でしたが、気温の上昇によって、行く手の氷面の割れ目が拡大してしまい、前進を阻まれ、断念せざるを得ないといった状況に追い込まれます。
この冒険には1億円以上の費用がかかり、結果的には多額の借金を負うことになりました。しかし、和泉雅子さんは、この失敗で挫けず、借金を完済して再挑戦することを心に決めました。
死にもの狂いになって働き、約4年間で全ての借金を完済。1989年には、二度目の北極点到達に挑戦します。今回は補給フライトの度に隊員メンバーを入れ替え、移動のペースを速めるといった取り組みも行なわれました。こうした施策は功を奏し、とうとう和泉雅子さんは北極点到達の悲願を実現させます。日本人では初、世界では2番目となる北極点到達を成し遂げた女性として歴史に名を刻みました。
その後もグリーンランドなどの北極地方で冒険を行なっており、極地での環境に耐えられるように脂肪をつけ、紫外線の影響を受けて顔はシミだらけになってしまったそうです。
バラエティー番組に出演された際、美しかった過去と現在の容姿の差が大きな話題になりました。しかし、やりたいことを全力でやりきった和泉雅子さんに、後悔といった感情はないでしょう。
和泉雅子さんの主な出演作品
映画
『非行少女』
内容&あらすじ
『男の紋章』