昭和~平成初期に人気があった家電量販店「カメラのさくらや」って覚えてる?
皆さんは「カメラのさくらや」という家電量販店を覚えていますでしょうか?70年代から90年代にかけてヨドバシカメラ、ビックカメラとともに大手家電量販店の代表として「YSB(ヨドバシ・さくらや・ビック)」と称されるほどに勢いがあり、「安さ爆発みんな(カメラ)のさくらや~♪」というCMを当時よく耳にした方も多いかと思います。
こちらは80年代の「さくらや」
近年は耳にすることのなくなってしまった「さくらや」ですが、現在はどうなっているのでしょうか?この記事では、昭和~平成初期の「さくらや」及び、その後の動向について紐解いてみたいと思います。
60年代より、新宿を中心に多店舗営業を展開!!
さくらやの創業は1946年のこと。当初は「サクラ屋カメラ店」として開業し、17年後の1963年には、東京・新宿に初の大型店舗を構えました。その後も新宿を中心に「カメラのさくらや」として首都圏で多数の店舗を展開していきます。
60年代に発行された、海外からの観光客向け価格表。

CMを中心としたメディア戦略で家電量販店の代表に!!
さくらやがその知名度を上げた要因のひとつに、CMを中心としたメディア戦略があります。1978年からは、小林亜星が作曲したCMソングを展開。山川ユキが歌う「安さ爆発カメラのさくらや~♪」というインパクトあるメロディは、当時の大衆の耳に残る傑作として有名です。
こちらが小林亜聖によるCMソング。
また、「森田一義アワー 笑っていいとも!」のスポンサーをやっていた関係か、新宿アルタの近くに存在した新宿駅東口の店舗の看板が番組冒頭で映り込むことがあったため、「新宿東口と言えばさくらや」というイメージ戦略にも成功しました。
「いいとも」に映り込んでいたさくらや(動画冒頭)
また1983年にはイギリスのバンド、パブリック・イメージ・リミテッド(PIL)のライブアルバム「ライヴ・イン・TOKYO」のジャケットに登場。当時の新宿を代表する風景として、さくらやの店舗が溶け込んでいたことが見て取れます。
こちらがレコードのジャケット。

90年代に入り、他の大型量販店との価格競争に追いつけなくなる。
80年代までは2割・3割・4割引きが当たり前と、ヨドバシカメラやビックカメラとともに価格競争を展開し、「YSB」として大手家電量販店の代表格として君臨していたさくらやですが、90年代に入ると価格競争の激化により消耗し、徐々に他店の安さに着いていけなくなるようになりました。
「YSB」として、さくらやと争ったヨドバシカメラ。

価格で他店と競争することが難しくなったさくらやは、接客を重視した「好感接客」をアピールし、居心地の良い店内を演出することでリピーターを増やす戦略を取りました。しつこいセールストークを撤廃したため客の居心地の良さは確保出来たものの、しかしながらそれは同時に押しの弱さに繋がってしまい、結局売上増とはならず、後に方針を転換することとなりました。また、1990年には「カメラのさくらや」から「さくらや」へと名称を変更しています。
そして、当時他店が導入していたポイントカードではなく、その場で現金割引の出来るキャッシュバックカードを導入。他店との差別化を図ろうとしたのですが、カードの年会費が有料であったことから他社を追い抜くことは難しく、その後実質的なポイントカードを導入するなど、迷走が続きました。
21世紀に入り、ついに債務超過に陥る。
価格競争に敗北し迷走を続けたさくらやですが、21世紀に入ると、ついに債務超過に陥ることとなりました。その結果、2004年にはフェニックス・キャピタルからの出資により経営再建が行われ、2006年には「ベスト電器」の傘下に入ることに。2007年にはかつて本店であった新宿店を閉店するなど、抜本的な経営の見直しが図られました。
閉鎖された新宿店。

2010年、全店舗が閉鎖。会社清算へ。
ベスト電器の傘下に入ることにより生き残りを図ったさくらやですが、傘下に入った後も赤字の状態が続いており、2010年1月12日、当時残っていた15店舗のさくらやをすべて閉店し、事業からの撤退を発表しました。これはベスト電器がビックカメラと資本提携を行っており、新宿エリアでビックカメラとさくらやが競合するための対応であるとも言われており、閉店する店舗のうち新宿東口駅前店などはビックカメラが継承することとなりました。

2010年2月28日、さくらやは全ての店舗が閉鎖され、同年6月30日は会社も解散。64年の歴史に幕を下ろすこととなりました。完全閉店時の挨拶の模様がYouTubeに残されており、店長と思われる方が感極まって涙を流しながら感謝の言葉を述べる様子が収められています。
閉店時の挨拶の模様。
こうして、さくらやが無くなってから早10年が経過した現在。その跡地にはそれぞれ新たな店舗などが入り当時の面影を伺うことは難しいものの、かつてのCMなどがYouTubeに多数投稿されており、それらを振り返ってみることで当時を思い出すことが出来ます。
さくらやから「のれん分け」した店舗は現在も営業中!!
家電業界における歴史上の存在となってしまったさくらやですが、実は「さくらや」の名前を冠した店舗は現存します。これは「有限会社カメラのさくらや」のことで、かつて「さくらや荻窪店」だった1971年にのれん分けの形で独立し、2020年8月現在も東京・荻窪にてカメラ専門店として営業を続けています。カメラ愛好家を中心に「荻窪さくらや」「おぎさく」の名前で親しまれています。
さくらやの音楽を収録したCDがあります!
また、さくらやのテーマソングについては実はCDとして音源が販売されています。「エレクトリックパーク」というオムニバスCDで、さくらや以外にも「石丸電機」「オノデン」といった昭和生まれ御用達の家電量販店の音楽を振り返ることが出来ますので、興味のある方は是非チェックしておきましょう!
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