GON 中山雅史 本能むき出しの点取り屋 ハットトリック男 熱血、不器用、猪突猛進、侍エースストライカー

GON 中山雅史 本能むき出しの点取り屋 ハットトリック男 熱血、不器用、猪突猛進、侍エースストライカー

Q.好きな言葉は?「力」 Q.欲しいものは?「膝の軟骨、半月板、テクニック」Q. 中山雅史にあるものは?「負けず嫌いとサッカーを愛する気持ちだけ。ほかになにもないから中山雅史だった。なにもないからなにかを得ようともがき苦しみ、もがき苦しむことから抜け出すために、手を伸ばし、その先をつかもうと努力した。ずっとその繰り返しだった」


それまで日本代表のミーティングはラモス瑠偉を中心に行われていたが、オフト監督はそれに代わった。
練習初日、選手を呼ぶときの指笛を吹くオフト監督に対しラモスは
「俺達はあんたの犬じゃない」
と抗議しつっかかった。
「冗談じゃないよ」
メディアにも公然と不満をぶちまけるラモスを呼び出しオフト監督は
「もう代表に来なくていい」
といい渡した。
実際に外されることはなかったが、食堂でラモスは監督から1番遠い席に座った。
オフト監督とラモスはサッカー観も対立した。
オフト監督は、選手個々のタスク(役割)を徹底させ、サイド攻撃を重んじたが、ラモスは自由奔放な中央突破を理想とした。

自由と自主性が1番と考える三浦知良も規律主義のオフト監督に反発があった。
清雲栄純コーチ(古川電工、日本代表)は、オフト監督の命を受け、毎晩、選手がちゃんと寝ているかチェックした。
あるとき三浦知良だけ起きてマッサージを受けていたので
「もう寝ろ」
と注意すると
「俺の体は俺が1番知っているんだ」
と返された。
三浦知良は練習が終了してもなかなか戻らず、1番最後にシャワーを浴び、マッサージもタップリ行い、アイシングにも時間をかけた。
また高校まではラグビー(花園を経験)で大学からサッカーを始めた清雲栄純に
「清さん、サッカー知らないじゃん」
といったり
「キヨーッ」
と呼び捨てにしたり、頭を小突いたりした。
オフト監督は選手に疑心暗鬼の目でみられながら、それまで自由だった戦術に、
「アイ・コンタクト」
「トライアングル」
「サポート・ディスタンス(サポートの距離)」
「サポート・アングル」
「サポート・タイミング」
「チェンジ・リズム」
「チェンジ・サイド」
「スモール・フィールド」
「アグレッシブ・タックリング」
「リスタート」
などのルールを決めて落とし込んでいった。
チームの最大目標を「ワールドカップアメリカ大会出場」とし、海外遠征、国内に海外クラブを招いての試合、ダイナスティカップ(現:東アジアE-1選手権)、アジアカップなどは、その過程と言い切った。

カズとゴン

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7月、日本代表はオランダ遠征を行った。
このとき三浦知良は中山雅史と公園の芝生の上で寝そべりながら
「ワールドカップいこうな」
などと熱く語り合っていた。
しかし周りがゲイのカップルだらけなのに気づくと日本代表のツートップはすぐに無言で帰った。
キングカズこと三浦知良と中山雅史は長らく日本代表で2トップを組んだ。
フェイントとドリブルで相手を抜き去る三浦知良。
少しでも得点の匂いがあれば、体を投げ打ってゴール前にダイブする中山雅史。
2人の相性は抜群だった。

「サブの生き様をみせてやる」

平均年齢29歳の日本代表の中で26歳の中山雅史はサブ組だったが、レギュラー組に負ける気はしなかった。
紅白戦には
・対戦相手のフォーメーションで戦うこと
・ケガをさせてはいけない
という約束事があったが
「勝ってはいけないというルールはないはず」
「紅白戦だろうがなんだろうがやる以上は勝ちにいく」
「サブの生き様をみせてやる」
と思っていた。
そして清雲栄純コーチも入ったサブ組はレギュラー組との紅白戦で2勝2敗。
サブ組の本気は日本代表の雰囲気を変えた。
レギュラー組は危機感と緊張感を高め、その姿勢にサブ組は納得し、チームはより一体となった。
8月22~29日、中国の北京でダイナスティカップが開催。
日本はグループリーグ初戦の韓国戦で引き分けたが、続く中国と北朝鮮に勝利しグループ1位。
2位韓国と戦った決勝は、2対2からPK戦で勝利し優勝した。
日本が海外の国際大会で優勝するのは初めてでチームは大きな自信を得た。
「技術、体力はすぐには向上しない。
理由は明らか。
戦術なんだよ。
中国、北朝鮮、韓国を連破できるなんてあり得なかった。
今ある選手の能力をいかにチームとして高めて勝負するか。
これぞプロ監督」
(川渕三郎)
4対1でリードしていた北朝鮮戦の80分に、中山雅史は準備を命じられ立ち上がった。
そして歩き始めたとき、オフト監督の声が聞こえた。
「行くぞ!」
(えっ、もう?)
81分、この試合2ゴール高木琢也と交代。
あわててピッチに入ったが、その後のパフォーマンスは最悪だった。
3日後の韓国戦では、試合開始直後から走り始めた。
0対1でリードされた前半42分、オフト監督に呼ばれ、後半38分、日本代表初ゴールを決め、試合を振り出しに戻した。

「俺はお前を信じている。お前も俺を信じろ!」

10月29日~11月8日、第10回アジアカップ広島県で開催。
20ヵ国が6グループにわかれ予選に参加し、各グループの1位が本大会に出場するというシステムで、強豪国の韓国は予選で敗退し、日本代表は2大会連続2回目の出場を決めた。
そして本大会は、グループリーグA組(日本、アラブ首長国連邦(UAE)、イラン、北朝鮮)、B組(サウジアラビア、中国、カタール、タイ)にわかれ総当たり戦を行い、各組上位2チーム、合計4チームが決勝トーナメントに進む。
グループステージ第1戦、日本はUAE戦を0対0で引き分け。
第2戦の北朝鮮は、前半29分に先制された。
後半、24分にPKのチャンスを得たが三浦知良が決められず、後半35分に交代出場した中山雅史が三浦知良のコーナーキックにヘッドで合わせ、1対1で引き分けた・
第3戦のイラン戦。
グループステージを突破するために勝つしかない日本と引き分けでも突破が決まるイランの試合は0対0で前半を終えた。
ハーフタイム、オフト監督は
「残り20分を切ったら前線からプレスをかけ、残り10分になったら後ろ(最終ライン)には3人だけ残して守備陣も攻めに出ろ」
と指示を出した。
後半8分、イランは退場者が出し、日本は数的優位に立ったが得点を奪えなかった。
後半35分、残り10分になり、主将の柱谷哲二は3人だけ残すという監督の指示を破り、2人だけを残して攻めに参加させた。
後半40分、井原正巳のスルーパスを三浦知良が右足でシュートした。
「思い切って、魂込めました、足に」
劇的なゴールにスタンドは総立ち。
歓声が広島ビッグアーチ(現:エディオンスタジアム広島)の背後の山に反響し、学園祭が行なわれていた付近の大学は騒然となった。
決勝トーナメントは準決勝、決勝と2回勝てば優勝。
日本はまず中国と対戦。
開始30秒で先制され、0対1のまま前半は終わった。
後半3分、福田正博が同点ゴール。
後半12分、北澤豪が逆転。
後半15分、ゴールキーパー:松永成立がコンタクトプレーの後に相手選手を蹴ってしまい退場。
ゴールキーパーの前川和也が入り、北澤豪がベンチに下がった。
後半25分、前川和也が何でもないボールを後ろにこぼし同点とされる。
後半39分、ラモス瑠偉 - 堀池巧 - 福田とつないで中山雅史がヘッドで決め、3対2で勝った。
決勝戦はこの大会2連覇中のサウジアラビアと対戦。
しかし序盤から主導権を握り、前半37分、都並敏史からパスを受けた三浦知良がセンタリング。
これを高木琢也が胸トラップからのボレー。
この先制点を守り抜き勝利
日本代表はアジアカップで初優勝した。

中山雅史は北朝鮮戦の同点弾、中国戦の決勝弾をいずれも途中出場で叩き込んで「スーパーサブ」と呼ばれた。、
「チームが下痢のときと便秘のときにだけ僕に出番が回ってくるんですよ」
下痢は大差がついている試合、便秘は拮抗している試合。
先発を望んでいた中山雅史は、日本代表を取材していたテレビカメラに向かって大声でいった。
「オフト、俺はお前を信じている。
お前も俺を信じろ!」
日本で開催されたアジアカップで優勝したことでサッカー日本代表は俄然注目されるようになった。
翌年のJリーグ開幕に向けての呼び水となり、サッカーが大きなムーブメントになろうとしていた。
中山雅史の熱意溢れるプレーは話題となった。
そのトーク、中山節も人気でニッポン放送のサッカー番組でレポートコーナーが常設されるなど、全国的にブレイクした。

Jリーグ

1992年シーズン、ヤマハ発動機は13勝無敗。
中山雅史は13得点でジャパンフットボールリーグ得点王となった。
「同じボール、同じ状況は2度と来ない。
経験がそのまま次に生きることはない。
だがだからといって経験を曖昧なままにしておけば次はない。
天才は経験に頼らずひらめきでプレーできるだろうが、僕は天才ではない。
常に目の前の練習に集中するしかない。
やり続け、やり続け、やり続け、やり続けること。
1本1本を体に刻み込み、100万分の1の確率を50万分の1に、50万分の1を25万分の1に変え、偶然を必然に追い込みたい」
1993年、Jリーグが発足した。
参加したクラブは
・鹿島アントラーズ
・東日本JR古河サッカークラブ(現:ジェフユナイテッド千葉)
・三菱浦和フットボールクラブ(現:浦和レッズ)
・読売日本サッカークラブ(現:東京ヴェルディ)
・日産F.C.横浜マリノス(1999年、全日空佐藤工業サッカークラブと統合。現:横浜F・マリノス)
・全日空佐藤工業サッカークラブ(横浜フリューゲルス)
・清水FCエスパルス(現:清水エスパルス)
・名古屋グランパスエイト(現:名古屋グランパス)
・パナソニックガンバ大阪(現:ガンバ大阪)
・サンフレッチェ広島F.C
の10クラブ(オリジナル10)だった。
ジュビロ磐田は開幕参加を望んでいたが、スタジアムを保有していなかったことがネックとなり、1994年からの参戦となった。
本来、開幕は3月だが、この年は4~5月までワールドカップアメリカ大会のアジア一次予選が開催され、Jリーグの成功に日本代表の成功は不可欠と考えたサッカー協会は5月15日に開幕を遅らせた。
Jリーグにはラモス・ルイ、三浦知良、都並敏史、武田修宏、北澤豪、井原正巳など国内の有力選手に加え、ジーコ(鹿島)、リトバルスキー(市原)、カレカ(柏)、ディアス(横浜M)など世界的な選手が海を渡ってきて参戦した。
そのサッカーは豪快で華麗で芸術的で観客を見惚れさせた。

1993年5月16日のJリーグ開幕戦、名古屋グランパス戦で、前半25分に強烈なミドルシュートで先制点を決め、5分後の前半30分にも芸術的なフリーキックで2点目。
後半18分にもアルシンドのクロスをボレーで合わせJリーグ初のハットトリックを達成。
そして5対0で快勝した。
鹿島アントラーズはその勢いのまま1stステージで優勝した。
2ndステージは、ラモス、ペレイラ、ビスマルク、三浦知良などスターぞろいのヴェルディ川崎が優勝。
両チームはチャンピオンシップで年間優勝を争った。
チャンピオンシップ第1戦、ヴェルディが2対0で勝った。
第2戦は、0対1でヴェルディ川崎が負けていたが、残り10分を切ったところでPKが与えられた。
すると三浦知良が蹴ろうとするボールにジーコは唾を吐、退場させられた。
まるでジーコらしくない行為だった。
「その試合はJリーグのチャンピオンを決める最初のファイナルだったが、私は何かがおかしいと感じていた。
2戦ともヴェルディのホームでプレーするということやロッカールームの問題などすべてにおいてヴェルディが保護されていたからだ。
さらにいえばPKを与えたレフリーはヴェルディで働いたことのある人間だった。
とはいえ私の行為は反スポーツマン的だったと後悔している。
私がレフリーに抗議して退場となったのは初めてのことだったし規律上の問題でピッチを去ったこともそれまで1度もなかった。」
(ジーコ)
当時の日本ではまだホーム&アウェイも定着しておらず、第1戦、第2戦とも国立競技場で行われた。
サッカー先進国から来たジーコが異議を唱えるのは当然だった。
ジーコは、1993年の開幕から1994年の6月までJリーグでプレーし、23試合14得点。
その間、普段の練習から全力を尽くし、紅白戦、サブ組の試合でも勝つために戦うという勝利への執着心をチームに植えつけた。
現在でも鹿島アントラーズは
「常勝軍団」
と呼ばれ、所属する選手は
「鹿島でプレーするということはタイトルを獲ること」
と認識している。
まだジーコ魂は健在である。

ジュビロ磐田 Jリーグ昇格

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