ザ・ハンダース
「ザ・ハンダース」1975年に結成された。
1978年7月21日発売のシングルレコード「ハンダースの想い出の渚」をリリース。
30万枚のセールスを記録し、1980年に解散。5年の活動に幕を閉じた。
「ザ・ハンダース」メンバーは、『ぎんざNOW!』番組内で、行われていた視聴者参加型の「しろうとコメディアン道場」のチャンピオンで構成されたグループである。
当時のお笑いをといえば、テレビ番組活躍していた、横山やすし・西川きよし。深夜放送で人気のあった笑福亭鶴光など関西の芸人が多かった。関東のお笑いといえば落語家や浅草芸人だった。
もちろん、「お笑いBIG3」と言われる、タモリ・ビートたけし・明石家さんまも知られていなかった。その後、1980年代初期に漫才ブームが到来、ツービート・紳助・竜介などがブレイクした。

これから紹介していく「ザ・ハンダース」メンバー6人。
2代目チャンピオンの鈴木末吉(現:鈴木寿永吉)。
3代目チャンピオンの清水アキラ。
4代目チャンピオンのアパッチけん(現:中本賢)。
7代目チャンピオンのアゴ勇(現:あご勇)。
8代目チャンピオンの佐藤金造(現:桜金造)。
小林まさひろ
鈴木末吉(現:鈴木寿永吉)
鈴木寿永吉(1958年7月3日-)、神奈川県横浜市出身。東京実業高等学校卒業。
アントニオ猪木のものまねで人気を博した。
チックでかためた、オールバックの髪型に濃い顔のイケメン。比較的品のあるパフォ-マンスが人気で、女性ファンが多かった。
鈴木のお笑いパフォーマンスは、抜群に面白かった。個人的には半ダースの中で一番面白いと思っている。
2代目チャンピオンの鈴木は、4週チャンピオンとして勝ち抜いてきた清水アキラの5週目を破りチャンピオンになった。その時の末吉少年は16歳。高校生だった。
ハンダースが解散した時は22歳。その後『ものまね王座』などに出演。
現在は東京・六本木でカラオケ笑パブ「ミリオン」を経営しながら、舞台などに出演している。
清水アキラ
清水アキラ(1954年6月29日 - )長野県下高井郡山ノ内町出身。
20歳の時にぎんざNOW!「コメディアン道場」5週連続チャンピオンを達成。
清水アキラのものまねの伴奏役として、後ろでギターを弾いていたのが、清水健太郎。かっこいいと話題になった。ふたりは足利工業大学出身で、清水健太郎は、清水アキラの先輩。
ハンダースの解散後に清水國明に弟子入り。顔にセロハンテープを貼った、研ナオコのモノマネが話題になる。ものまね四天王の1人となる。
2013年12月にものまね番組を引退した。
2017年10月に、覚せい剤取締法違反の疑いで逮捕された清水良太郎は三男。

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アパッチけん(現:中本賢)
中本 賢(1956年6月5日 - )東京都台東区浅草出身。
得意芸は、五木ひろしのものまね。
ハンダースの解散後は、俳優としての活動。テレビドラマ版『幸福の黄色いハンカチ』に出演。24歳の時に独立。松竹映画『釣りバカ日誌』シリーズでのハマちゃんの隣人・太田八郎役としてレギュラー出演している。
自宅近くの多摩川で川遊びを教える「多摩川塾」を開催。
2008年~16年に、川崎市教育委員として小学校の授業を担当した。
2016年文化省・地方教育行政功労者表彰を受賞。

多摩川塾
アゴ勇(現:あご勇)
あご勇(1957年8月14日 - )千葉県長生郡出身。
得意ネタは、バルタン星人のものまね。
ハンダースの解散後は佐藤金造と漫才コンビアゴ&キンゾーを結成。
レギュラー番組を12本持ち、年収3000万円の売れっ子になるが、1983年にコンビを解消。1984年頃に病気療養を理由に活動を休止。
一時は、“あご勇死亡説”が流れた。
事業の失敗などにより、千万円の借金を背負う。
2017年に平成エンタープライズのバスツアー添乗員となり、芸能活動を続けている。

あご勇の一顎一会!(いちあごいちえ)
佐藤金造(現:桜金造)
桜金造(さくらきんぞう、1956年12月29日 - )広島県広島市南区出身。
ハンダースの解散後はアゴ勇とのコンビ「アゴ&キンゾー」を結成。
元ビジーフォーのモト冬樹と「AJAPA」というコンビを組んでいたこともある。
その後、俳優として活動。映画『タンポポ』『マルサの女』などへの出演した。
1990年代以降は怪談の語り手として活動している。
2013年2月、自宅浴室で脳内出血のため倒れ、緊急手術をうける。
左半身にまひの後遺症が残り、要介護3に認を受けた。

桜金造の一日。Powered by アメブロ
小林まさひろ
小林まさひろ(1953年9月15日 - 2016年6月22日)横浜市鶴見区出身。
ハンダースのメンバーの中で、最年長だった小林まさひろ。「ありがとうの小林君」とよばれていた。小林は「しろうとコメディアン道場」の、3週目で落ちチャンピオンにはなれなかった。しかし、番組の会場である「銀座テレサ」によく遊びに来ていたことから、プロデューサーの目にとまり、ハンダースのメンバーになる。
そして、デビュー時のプロモーションをサボった桜金造の身代わりで脱退。
デビューから、1年も立たずに事務所をクビになった。番組内でも、不可解な小林の脱退が報告された。その時の、「ありがとうの小林君」の笑顔が印象的だった。
グループを脱退後の小林は、俳優として活動。フジテレビドラマ『ただいま放課後』でたのきんトリオと主役の高校生4人組を演じた。
結婚した小林まさひろは、ふぐ調理師の免許を取得し、芸能界を引退した。
1985年(昭和60年)より東京都・赤坂でふぐ料理専門店「参虎」を開店。
50歳を過ぎた頃にボクシングの親父大会に出場。
2011年3月で25年間続いた赤坂の店を閉め、鶴見の実家で居酒屋参虎として移転。
2014年1月に末期の大腸ガンが発覚、同年8月摘出手術を受ける。
2016年1月に公開された、映画「の・ようなもの のようなもの」では、30年ぶりの映画出演を果たした。
2016年6月22日大腸がんのため死去。62歳だった
死の直前に行った終活が、2016年8月19日に『爆報! THE フライデー』で放送された。
ハンダースの思い出の渚
「ハンダースの思い出の渚」は、ザ・ワイルドワンズの「想い出の渚」を著名人のものまねメドレー形式で歌っている。
森進一、左卜全、ポパイ、和田アキ子、清水健太郎、森田健作、加藤茶などのものまねが収録されている。