ディディとは

1993年に「バッド・ボーイ・レコード(旧バッド・ボーイ・エンタテインメント)」を創設。レーベルの最高経営責任者としても広く知られています。
故ノトーリアスB.I.Gをはじめメアリー・J.ブライジ、アッシャー、フェイス・エヴァンス、リル・キムなど、様々なアーティストのプロデュースに携わり、成功を収めてきたブラックミュージック界の重要人物です。
また音楽プロデューサーやレーベルの社長という肩書きだけでなく、自らもラッパーとして活動するアーティストであり、ファッションブランド「ショーン・ジョン」の経営者、さらには俳優として多数の映画出演を果たすなど、まさにアメリカを代表するエンターテイナーの1人といっても過言ではないでしょう。
メアリー・J.ブライジ

1992年にリリースされた『ホワッツ・ザ・411?』はメアリー・J.ブライジのデビュー・アルバムです。1991年公開の映画『ストリクトリー・ビジネス』のサウンドトラック収録曲「ユー・リマインド・ミー」で、すでに多くのファンを獲得していたメアリーにとって満を持してのアルバム発売でした。
そんな今作のエグゼクティブプロデューサーを務めたのが当時まだアップタウン・レコード社のA&Rとして働いていたディディだったのです!彼がこのアルバムで用いたヒップホップのビートでR&Bを歌わせるという手法は、のちに「クイーン・オブ・ヒップホップ・ソウル」と称されることになるメアリー・スタイルの原点。
またヒップホップ・クラシックを大胆にサンプリングした楽曲が大ウケし、メアリーは次世代の新たな歌手として一躍時の人となるのです。特に人気が高かったのはアルバムからのファーストシングル「リアル・ラヴ」。この曲は全米R&Bチャート2週連続1位を獲得する大ヒットを記録し、今なお愛され続ける彼女の代表曲の1つです。
今作からはさらにチャカカーンをカヴァーした「スウィート・シング」や当時恋人だったK-Ci & JoJoのK-Ciとのデュエット曲「アイ・ドント・ウォント・トゥ・ドゥ・エニシング」など多数のヒット曲に恵まれました。
まさにヒップホップそしてR&Bの歴史に大きな影響を及ぼした名盤です。
メアリーはその後もコンスタントにヒット作を出し続け、2018年「ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム」に殿堂入りを果たしました。
ノトーリアスB.I.G.

1994年にリリースされた『レディ・トゥ・ダイ』はビギーの愛称で親しまれたノトーリアスB.I.Gのデビュー・アルバムです。麻薬の売人だったこともあるビギーがディディに見いだされ、ヒップホップ・アーティストとしてのキャリアをスタートさせた今作。それはアップタウン・レコードのA&R幹部社員だったディディがバッド・ボーイ・レコードを立ち上げ、プロデュース業を本格化させた瞬間でもありました。
また当時ヒップホップ界では、2PACが所属するデス・ロウ・レコードVSビギーが所属するバッド・ボーイ・レコードの東西抗争が勃発し、ラップシーンを二分する事態にまで悪化。アルバムの大ヒットはビギーに名声をもたらしたと共に、一躍この抗争の中心的人物の1人となっていくのです。
今作からシングルカットされた「Juicy」「Big Poppa」「One More Chance」はいずれもビギーを代表するBIGヒットとなりました。そしてこの作品はヒップホップ・アルバムの名作として、現在でも高く評価されています。

1997年3月25日にアメリカで発売されたビギーのセカンド・アルバム『ライフ・アフター・デス』。今作は1000万枚以上のセールスを記録し、彼を伝説的なヒップホップ・アーティストの地位へと一気に押し上げました。
しかしアルバムリリース前の1997年3月9日、ビギーは銃撃を受け24歳という若さでこの世を去りました…アルバムの大成功を見届けることなく。
そしてヒップホップ東西抗争は将来を期待されながらも亡くなった2PACとノトーリアスB.I.Gの死をもって終結されました。それはアメリカ音楽史に残る最悪な事件として、永遠に語り継がれることでしょう。
ビギーが残したわずか2枚のアルバム。しかし儚くも力強く生きた彼の人生がギュっと詰まった究極の作品となっており、またヒップホップの歴史を知る入門編としてもおすすめです。
TLC(ティー・エル・シー)

1994年にリリースされた『CrazySexyCool』は90年代を代表する女性R&Bグループ・TLCのセカンド・アルバムです。ディディもプロデューサーの1人として名を連ねた今作は、全米で1,000万枚以上ものセールスを記録し、すでに注目されていた彼女たちを一気にスターダムへと押し上げました。
また「クリープ」「ウォーターフォールズ」などを含むこのアルバムでTLCは見事グラミー賞を獲得。名実ともに彼女たちを代表する作品となりました。
しかし2002年、ラップ担当のレフト・アイが交通事故により死亡。以降T-ボズとチリは2人で活動を続けてきましたが、2017年に15年ぶりそして最後となるスタジオ・アルバム「TLC」を発売。今後新曲をレコーディングすることはないとしながらも、TLCの解散は否定しました。
リル・キム

ヒップホップ集団「ジュニア・マフィア」の紅一点だったリル・キムのソロデビュー・アルバムです。ディディやジャーメイン・デュプリら多くのプロデューサーたちと協力して作り上げ、客演にはビギーやジェイ-Z、レフト・アイ(TLC)、ミッシー・エリオットなどが参加した豪華版。
今作からシングルカットのディディをフューチャーした「No Time」や「Not Tonight (Remix)」は「ヒップホップの女王」と称される彼女の代表曲の1つとなりました。
当時R&Bシンガー・フェイス・エヴァンスと結婚していたノトーリアスB.I.Gの愛人としても有名だったリル・キム。トラブルメーカーな側面が目立つ一方で、そのキャリアを通して3,000万枚以上ものセールスを誇る実績は、女性ラッパーの草分け的な存在として多くのファンを獲得しています。
2014年には第一子となる娘を出産しました。
MCディディ

大ヒットナンバー「I'll Be Missing You」収録
1997年にリリースされた『ノー・ウェイ・アウト』はディディ自身のデビュー・アルバムです。改名を繰り返すことで有名なディディの当時のMCネームはパフ・ダディ。
このアルバムから飛び出した大ヒットナンバー「I'll Be Missing You」は亡き親友・ノトーリアスB.I.Gに捧げられた追悼曲で、ビギーの妻だったフェイス・エヴァンスと112をフューチャーした音楽プロデューサー・ディディのセンスが光る悲しい1曲です。また同曲はポリスの名曲「見つめていたい」を大胆にサンプリングしたことで、ファンからはほぼ引用なのではないかと大きな物議を呼んだ衝撃作でもあります。
しかし結果的にはアメリカだけで300万枚を超えるセールスを記録し、第40回グラミー賞の最優秀ラップ・アルバム賞を受賞した傑作となりました。「I'll Be Missing You」以外にも聴きごたえたっぷりなディディ渾身の1枚です。
キャシー

2006年に発売されたキャシーのデビュー・アルバム『Cassie』。黄金期を超え、少し低迷気味だったバッド・ボーイ・レコードが、久々に所属アーティストをヒットチャートへと送り込み、ディディ・サウンド復活の兆しを見せた期待の1枚です。本作からシングルカットされた「Me & U」は若者を中心に大きなヒットとなりました。
また彼女を語る上で外せないのが、公私ともにパートナーだったプロデューサー・ディディとの約11年にも及んだ恋愛模様です。残念ながら2人は長すぎた春となってしまい2018年に破局。しかしその後交際した男性とのスピード妊娠&結婚も大いにファンを驚かせました。現在は無事出産し、一児のママとなっています。
まとめ
ファンを楽しませることが大好きな天才音楽プロデューサー・ディディ。
彼が提案するキャッチーでメロウな極上の音楽はいつだって私たちを虜にします。
1度ハマったら病みつきになるディディ・サウンドにぜひ酔いしれてみてはいかがでしょうか。