ペイントレスラー「ケンドー・ナガサキ」こと桜田一男さん死去。
「ケンドー・ナガサキ」のリングネームで知られ、全日本プロレス、大日本プロレスなどに所属しペイントレスラーとして活躍した桜田一男さんが、1月12日に亡くなっていたことが明らかとなりました。71歳でした。
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桜田さんは1948年生まれ。中学卒業後に大相撲の立浪部屋に入門し、力士として1971年まで活躍。その後はプロレスに転向し、力道山が設立した日本プロレスに所属しました。日本プロレスの崩壊後は全日本プロレスに移籍、さらにミスター・サクラダのリングネームで、北米を中心に日本人ヒールとして活躍を続けていました。
80年代に入り、フロリダでペイントレスラー「ケンドー・ナガサキ」に転身。落ち武者のような独特な風貌のヒールとして、現地で大いに人気を博しました。その後1985年には、新日本プロレスに参戦し「ランボー・サクラダ」として素顔で戦うことも。90年代に入ると、1995年に大日本プロレスに参加し、バーリトゥードに挑戦。当時既に40代後半であったものの、「セメントマッチ(ガチンコ)ならナガサキが最強」との評判通りの強さを見せつけました。

2000年代に入ると、体力的な問題もありフリーランスに転身。定期的に試合を行う一方で料理店やスナックの経営に携わるようになります。食材の仕入れをキラー・カーンとともに行っていたというエピソードも。その後は体力の低下から廃業し、近年は千葉県に移住し静かな生活を送る一方、亡くなる直前の1月5日には都内でファン交流イベントに参加。元気な姿を見せていただけに、突然の訃報に関係者やファンからは動揺が広がっています。
関係者やファンから続々と追悼コメントが!
突然の訃報に対し、SNS上では桜田さんに対する追悼コメントが続々と寄せられています。現役時代の活躍を思い出す方から、近年まで交流を続けていた方まで、桜田さんへの様々な思いがツイッターを中心に交錯しています。その独特な風貌と「ケンカ最強」の肩書きでリングを縦横無尽に駆け巡った桜田さん。これからも人々の記憶の中に残り続けることでしょう。ご冥福をお祈り申し上げます。
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