深浦加奈子 プロフィール
生年月日 1960年4月4日
没年月日 2008年8月25日(48歳没)
出生地 東京都
血液型 A型
職業 女優
ジャンル 演劇、映画、テレビドラマ
活動期間 - 2008年
人物

著述家の湯山玲子さんのブログより
深浦さんは1960年4月4日、都内で公務員の家庭に生まれます。
小学校から成績優秀で、母親は「将来は公務員になってくれればいい」と考えていたそうです。
東京都立日比谷高等学校(偏差値73の名門校)を経て、明治大学文学部文学科演劇学専攻を卒業。
大学在籍中に劇作家・演出家の川村毅さんらと第三エロチカを旗揚げし、1989年の退団まで看板女優として多くの作品に出演されていました。(若い頃の深浦さん本当に可愛いです)
1990年代初頭
当初は舞台を中心とした活動が多かった深浦さんですが、
1990年代初頭テレビドラマ『家なき子』や『スウィート・ホーム』に出演される様になると演技で幅広く知られるようになりました。
90年代初頭と言えば、深浦さんもまだ30代前半でしたが、小姑役やお局役で鋭いバイプレーヤーぶりを発揮されていました。
六本木ネネ

踊ろよベイビー!! 六本木ネネ(深浦加奈子)
東京パノラママンボボーイズとの共演では、リリィ深浦、六本木ネネの名でパンチのある昭和歌謡を披露しています。
交友関係
深浦さんは無名時代の頃から久本雅美さんとは親しく、「深浦」「久本」と呼び合うほど仲が良かったそうです。
他にもドラマで共演した沢口靖子さんや松嶋菜々子さん、戸田恵子さんとも生前は親交が深かったとされています。
特に戸田さんは共演前からの旧友でもあり、深浦さんが亡くなる2日前に共通の友人でもあった高橋克実さんと見舞いに訪れたという。
小泉今日子さんは深浦さんを姉のように慕うようになり、俳優の鈴木浩介さんは弟のように可愛がられていたと言われています。
結婚やお子さんは?
私生活では、深浦さんは「恋人は仕事」と独身を貫いていたそうです。
闘病生活

2003年頃から闘病しながら仕事を続けており、
2005年には「所属事務所に迷惑をかけたくない」と所属事務所のシス・カンパニーから独立もされています。
以降は父親が経営していた会社に所属し、姉がマネージャーを務めたほか、開業医の義兄(姉の夫)が病院選びから治療方針の決定まで全面的に支援し、管理栄養士の母が栄養管理を行うなど、家族総出で深浦さんの女優業を支えていた様です。
また闘病中であることは、ごく一部の関係者にしか知らせず、親しかった芸能人仲間などにも迷惑や心配をかけさせたくなかったことから秘密にしていたという。
深浦さんの真面目な性格が表れていますね。
最後の仕事

生前最後の映画 ぼくのおばあちゃん
深浦さんの生前最後の仕事はテレビ新広島の報道特別番組『描けなかった2枚の絵 原爆が投下された日の記憶』のナレーションでした。
体調が思わしくないにもかかわらず、「このテーマは絶対やりたい」と姉に付き添われて広島まで出向き、この時、母親に「この仕事が最後になると思う」という覚悟を明かしたと言います。
遺作は、映画では『ぼくのおばあちゃん』
舞台では『新しい橋』(2008年2月・下北沢駅前劇場)
死亡

深浦さんは5年による闘病生活の末、2008年8月25日22時57分、S状結腸癌のため死去しました。48歳没。
同年9月2日に近親者と親しい関係者のみで告別式が執り行われ、9月24日に目黒区のウェスティンホテル東京でお別れの会が開かれ600人の方が参列されました。
遺骨は神奈川県葉山町の相模湾に散骨されたそうです。
加奈子。何をしてやれたかな・・・

加奈子。何をしてやれたかな…
闘病のプロセスは、実父・深浦栄助さんが著した『加奈子。何をしてやれたかな… - 女優・深浦加奈子の父が綴った、大腸ガン闘病記』(主婦と生活社)にまとめられたそうです。
最後に・・・
深浦加奈子さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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