山口百恵の影武者?

昭和の歌姫と言えば、山口百恵さんですが、当時、録画も含めて朝から晩まで各局の歌番組やトーク番組に出まくりコンサートもこなし、映画やドラマにも出演なんて可能なのか?
疑問が湧いた時期がありました。
山口百恵さんが引退した後、やはり影武者が存在したことが、公になりました。
何人かいた、影武者を演じた方々を調べてみました。
①佐藤恵利

20代の頃の画像です。
本名 佐藤恵利(さとう えり)
生年月日 1961年10月5日(58歳)
出生地 千葉県船橋市
職業 女優・元アイドル
ジャンル テレビ・映画
活動期間 1980年 - 2010年頃
経歴

佐藤恵利 ラブスケッチ シングルレコード
東京都立代々木高等学校卒業後、1980年1月10日「ラブ・スケッチ」で日本フォノグラムより歌手デビューされています。
当初はポスト山口百恵として売り出され、『レッツゴーヤング』のサンデーズのメンバーとして活動した時期もありましたが、なかなか人気が出ませんでした。
その後、佐藤さんは女優に転向していますが、やはり脇役出演の常連の一人となっています。
影武者のきっかけは?

佐藤さんは中学1年生の時にテレビの「そっくりショー」で山口百恵さんのそっくりさんに選ばれたのがきっかけと言われています。
そっくりさんに選ばれてから6年間、百恵さんの替え玉を務めたそうです。
百恵さんに似すぎている為、デビューが遅れ、百恵さんが結婚して引退する1980年に晴れてデビューが決まったとも言われています。
どんな時に影武者を?

伊豆の踊子
さすがに歌番組やコンサートなどは無理があるので、映画やドラマの百恵さんの遠目のシーンや後ろ姿が主だったそうです。(映画 伊豆の踊子は佐藤さんが影武者を務めています)
その後2010年頃まで西脇事務所に所属して芸能活動をされていた様ですが、現在は引退されてる様です。
②白貝真理子
元女優をされていた様ですが、白貝真理子さんのプロフィールは残っていません💦
どんな時に影武者を?

古都 (1980)
白貝さんが影武者を務めたのは映画「古都」だったそうです。
とくに映画「古都」は百恵さんが双子の姉妹を一人二役で演じなければならないことであったそうです。
そこで使われたのが〝影武者〟でした。

FOCUS1983/7/22
姉妹が抱き合うシーンなどは片方が白貝さんだったそうです。
また遠目のシーンや後ろ姿等も白貝さんが演じたそうです。
古都 (1980年の映画) - Wikipedia
キャストでは佐田千重子(京呉服問屋の一人娘)、苗子(北山杉の村娘)一人二役:山口百恵(影武者として白貝真理子)として載っています。
現在はレポーター

一番右側が白貝真理子さんです。
ただ情報を調べていると、若い頃は女優活動をされていて、現在は神奈川県厚木市に住みながら厚木市内でレポーターなどをされているという情報がありました。
田口さんのブログによると現在は リポーターとして活躍されていることが分かります。
③橘陽子

橘さんは日本テレビ歌謡音楽学院の1期生でしたが、「紅白歌のベストテン」で百恵さんが本番に現れる前のリハーサル・シンガーを務めていました。
当時は本名の長谷川紀子の名前で活動していたそうです。
その後、名前を橘陽子にかえて東芝EMI「泣かないでミュージック」で再デビューされています。
また数社のCMソングなども歌っていましたが・・・。
現在はプロフィール情報も残っていません、引退されたと思われます。
ボディビル界の百恵ちゃんは?
西脇美智子

本名 西脇 美智子
別名義 Michiko
生年月日 1957年11月21日(62歳)
出生地 千葉県船橋市
職業 ボディビルダー・俳優・
スタントウーマン
ジャンル 映画・テレビドラマ
活動期間 1980年-
山口百恵さんのそっくりを語るうえで外せないのが、西脇美智子さんではないでしょうか。
元々はボディビルダーで、後に女優に転向していますが、その風貌から「ボディビル界の百恵ちゃん」 と注目されていた方です。
ただ西脇さんが百恵さんの影武者や替え玉などを演じられたという話は当時も今も聞いたことはありません。
しかし個人的な意見として西脇さんが影武者をやってたとしても分からなかったと思います。
それくらいソックリでしたから💦
本当は陰で何度か演じていたのでしょうか・・・。
「赤いシリーズ」でも影武者が!

「赤い疑惑」
山口百恵さん出演で有名だった「赤いシリーズ」
カメラを背にしての対話のシーンでは、背中だけ見せている百恵さんは、ほとんど“影武者”だったとか。
その為、大御所俳優たちが語りかけるシーンなど影武者を相手に熱演し、後で百恵のアップを撮って帳尻を合わせるやり方だったそうです。
「赤いシリーズ」途中で降板者が・・・。

「赤い運命」
「赤いシリーズ」では事件も!
あまりにも多忙だった百恵さんのスケジュールが原因とされています。
百恵さんのスケジュールに合わせると撮影が深夜とか早朝のスタートがざらだった様です。
「赤い疑惑」(75年)では百恵さんの母親役である八千草薫さんが第6話で、「赤い運命」(76年)では名優の志村喬さんが途中で降板しています。
10代の百恵さん自身に罪がないとはいえ、深夜や早朝の撮影に加えて大御所が熱演しても相手が影武者だった手法に我慢がならなかったのかもしれませんね。
蘇る!山口百恵「赤いシリーズ」の“衝撃”(3)原知佐子が語る山口百恵の魅力 | アサ芸プラス
最後に・・・

佐藤恵利
いかがだったでしょうか?
また面白そうなネタがあったらまとめてみたいと思います。
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