ポールの大麻、そしてジョンの死去と、ビートルズ関係者にとって「最悪」の年となった1980年。その後のポールですが、ウイングスの消滅後はソロ活動を再開、1982年にはジョンの死去により制作を休止していたアルバム「タッグ・オブ・ウォー」をソロ名義で発表しました。その後も精力的な活動を続けたポールですが、日本においては大麻の一件で入管のブラックリストに登録されたため、入国は不可能に。しかし1989年、日本における公式ファンクラブ「ビートルズ・シネ・クラブ」が行った署名活動により、日本への入国が特別に許可されたことで、それ以降は日本での公演が可能となりました。
日本のファンからの支援の下、翌1990年3月には、1966年のビートルズ公演以来24年ぶりとなる待望の来日公演が実現。その後も定期的に来日しており、2015年の公演「Out There! Japan Tour 2015」においては、49年ぶりとなる日本武道館でのライブを実現させました。そして2017年には「One On One Tour 2017」、2018年には「FRESHEN UP JAPAN TOUR 2018」で東京ドームなどを使用したツアーを開催しています。近年、積極的に日本を訪れているポール。今後も精力的な活動が期待されます!
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