1966年マン島TTレース、藤井敏夫(享年25歳)
藤井敏雄(ふじい としお、1941年 - 1966年8月26日)東京都北区赤羽出身。
1961年日本選手権レース(ジョンソン基地)に出場。
1965年から、世界選手権(WGP)の50cc、125cc、500ccクラスに参戦。
1966年世界選手権第8戦のマン島TTレースに、カワサキ125ccで出場。
予選へ進むために初出走、1周目、北部の避難港ラムゼイのコーナーで塀に激突し死亡。
※出走前にギヤボックスに深刻なトラブルが発生していた。

1982年テスト中、高井幾次郎(享年35歳)
高井幾次郎(たかい いくじろう、1947年2月16日 - 1982年5月12日)、愛知県出身。
高井幾次郎(たかい いくじろう、1947年2月16日 - 1982年5月12日)、愛知県出身
1966年からロードレースを始める。
1973年ヤマハのワークスマシンの開発ライダーを務める。
1982年5月、宮城県にあるサーキット「スポーツランドSUGO」で、YZR500(OW61)のテスト走行中、1コーナーで転倒。救急車で搬送されたが、頚椎骨折の重傷のため病院到着前に死亡した。
※ヤマハYZR500(OW61)は、新型V4エンジンを搭載していた。
1983年フランスGP、石川岩男(享年27歳)
石川岩男(いしかわ いわお、1955年11月10日 - 1983年3月29日)
1976年にロードレースを始める。
1981年、スズキワークス入り。
1983年、ロードレース世界選手権(MotoGP)参戦。
同年3月29日、ロードレース世界選手権第2戦フランス・ル・マン・ブガッティサーキットにて、第2コーナーに減速して進入した石川選手のマシンに、後続のイタリア人ライダーが激突。石川選手は、内臓破裂。ツール市の病院へ搬送されたが、同日の夕方に死亡。
※搬送された病院まで、80kmの距離があった。
1993年スペインGP、若井伸之(享年25歳)
若井伸之(わかい のぶゆき、1967年7月25日 - 1993年5月1日)、千葉県八千代市出身.
1988年に世界ロードレース選手権 (MotoGP) ジュニア125クラスで12位を獲得。
1990年 、全日本ロードレース選手権国際A級125ランキング2位。
1991年、1992年、 ロードレース世界選手権GP125ランキング10位。
1993年、若井伸之選手は、スズキから型落ちのワークスマシンRGV250-γの貸与され、ロードレース世界選手権250ccクラスに参戦。
同年スペインGPで、予選走行のためにピットから出走、飛び出してきた観客を避けようとして、ピットロードのコンクリートの壁に激突。死亡した。
※事故の原因となった、飛び出してきた観客は、バイクと接触したが、軽傷で済んだ。
1995年スーパーバイク世界選手権オランダ、永井康友(享年29歳)
永井康友(ながい やすとも、1965年10月29日 - 1995年9月12日)は、埼玉県出身
1989年、全日本ロードレース国際A級デビュー。ヤマハのワークスライダーとして活躍。1995年9月10日、スーパーバイク世界選手権、第10戦オランダ(アッセン)
故障車両が撒き散らしたオイルより転倒。前を走るマシンが宙に舞い上がり落下、永井は、押しつぶされた。意識不明のままアッセン市内の病院へ搬送されが、9月12日(日本時間9月13日)に死亡。
1999年もてぎ7時間耐久レース、大島正(享年35歳)
大島正(おおしま ただし、1963年11月28日- 1999年8月29日)、大阪府豊中市出身。
1982年にレースデビュー。BEETレーシング。
1988年、鈴鹿200km優勝、1989年、1990年に鈴鹿8時間耐久ロードレースで2年連続2位入賞。
1999年8月29日、栃木県ツインリンクもてぎで行われた、"’99もてぎ7時間耐久レース"で、スタート1周目の90度コーナーで転倒、頭部が後続車と接触、病院に搬送されるが、ほぼ即死の状態で死亡。
2003年日本GP、加藤大治郎(享年26歳)
加藤大治郎(かとう だいじろう、1976年7月4日 - 2003年4月20日)、埼玉県浦和市(現さいたま市)出身。
3歳の時にポケットバイクに乗り始める、5歳でポケバイレースに参戦。
1992年、16歳でロードレースデビュー。
1996年、全日本ロードレース選手権GP250ランキング2位。
2001年、ロードレース世界選手権GP250チャンピオン。
2003年4月6日、鈴鹿サーキットで行われた、ロードレース世界選手権第1戦日本GPの決勝レース中、3周目のシケイン入り口の手前左側の防護体に衝突した。意識不明の状態でヘリコプターにより病院へ搬送され、容態は安定に向かっていたが、4月19日午後に悪化。
4月20日 0時42分に三重県立総合医療センターにて脳幹梗塞のため死亡した。
Daijiro.net 加藤大治郎公式Website
2006年マン島TTレース、前田淳(享年38歳)
前田淳(まえだ じゅん、1967年11月6日 -2006年6月6日)、京都府京都市出身。
1985年、鈴鹿200km N-250クラスでデビュー。
2006年、マン島TTレースの練習走行2日目、スタートから3約マイルのユニオン・ミルズ先を走行中に後続車と接触。骨盤、肋骨など数ヶ所の骨折を負いマン島の病院に搬送される。骨折に伴う内出血などにより一時は危篤状態になり、緊急手術が行われる。
その後、ヘリコプターでマンチェスターの病院に移送されたが、イギリス現地時間6月5日午後11時17分(日本時間・6月6日午前7時17分)に死亡。
※スロー走行していたところに、後続車と接触。
前田淳 オフィシャルサイト
2007年公道で交通事故、阿部典史(享年32歳歳)
阿部典史(あべ のりふみ、1975年9月7日 - 2007年10月7日)、東京都世田谷区出身
5歳からバイクに乗り始める。1988年、13歳でレースデビュー。
1993年 - 全日本ロードレース選手権500ccチャンピオン(当時の史上最年少優勝)
1995年 -2001年 WGP参戦、500ccクラスで、ランクイン。
2002年-2004年 - MotoGPに参戦、ランキング記録を持つ。
2007年10月7日18時20分ごろ、川崎市川崎区の市道で、阿部選手が運転するオートバイ(500ccクーター)と前方の左車線からUターンしてきた4トントラックが衝突。
病院に搬送されたが、2時間半後死亡した。

阿部典史
フルスロットルで駆け抜けた ~プロライダー ノリック 青春の軌跡~ [DVD]
2013年マン島TTレース、松下ヨシナリ(享年43歳)
松下ヨシナリ(まつした ヨシナリ、本名:松下佳成、1969年8月15日 - 2013年5月27日)東京都出身。埼玉県さいたま市浦和区在住。
2009年にTTレースに初出場。スーパーストッククラスとスーパーバイククラスで出走。
2011年のTT Zeroで電動バイク5位に。
2013年のマン島TTレースでの予選走行中に、北島のBallacryeで事故が発生し死亡した。
※2000年以降、マン島TTレースでの死者は、松下ヨシナリ選手の死亡で21人目となった。
1987年ホームから転落、一ノ瀬憲明(享年31歳)
一ノ瀬憲明
RSC(ホンダレーシング)所属。
1980年から82年まで、3年連続全日本ロードレース選手権125ccクラスチャンピオン。
1987年8月3日18時13分、JR浜松駅を通過中の新幹線ひかり102号と接触し即死した。
ホームから転落、鉄道自殺か。目の不調や腱鞘炎などを患っていたとも言われている。
懐かし角川映画『汚れた英雄』北野晶夫
草刈正雄が、演じる主人公のレーシングライダー北野晶夫は、パ・フランコルシャンサーキット(ベルギーGP)で死亡。