メジロ牧場大豊作
メジロライアンは1987年4月11日、北海道伊達市のメジロ牧場で父・アンバーシャダイ、母・メジロチェイサーとの間に産まれます。この年のメジロ牧場は大豊作でライアンの他にも親子三代で天皇賞制覇という偉業を成し遂げる、芦毛の怪物・メジロマックイーン。さらに宝塚記念と有馬記念の両グランプリをいずれも人気薄で制覇する個性派・メジロパーマーもいました。
このように凄い同期の馬たちの中でもライアンは特に高い評価を受けていました。その血統もさることながら脚長で幅のある馬体も高い評価に繋がりました。そんなメジロライアンは美浦・奥平真治厩舎に入厩することになります。

平凡なデビュー
メジロライアンのデビューは1989年7月9日、函館競馬場で行われた芝1200mの新馬戦。単勝2.8倍の2番人気で柏崎正次騎手を背に臨んだレースは、半馬身差及ばずの2着。中1週で臨んだ2戦目は同じく函館の芝1200m戦。単勝1.4倍の圧倒的1番人気の支持を受けますが、結果は6着。人気を裏切る結果となってしまいます。牧場での高い評価にもかかわらずなかなか結果が出せず平凡なデビューに終わります。
相棒・横山典弘
横山典弘騎手と聞いて真っ先に思い浮かぶ馬といえば、やはりメジロライアンではないでしょうか。和田竜二騎手と聞いてテイエムオペラオーが思い浮かぶように、横山典弘騎手とメジロライアンは人馬共に成長していったというイメージがあります。
そんな横山典弘騎手がメジロライアンに最初に跨ったのは、京都で行われた芝1400mの未勝利戦。このとき横山典弘騎手は弱冠21歳、デビューから4年目の若手騎手でした。しかしこのレース以降ほぼすべてのレースで横山典弘騎手がメジロライアンの手綱を握ることになります。まさに相棒・横山典弘の誕生です。この後メジロライアンはグングン成長し、一躍クラシック候補に名乗りをあげます。そして横山典弘騎手もまたメジロライアンと共に成長していったのです。
一躍クラシック候補に
デビューから4戦目で初勝利を挙げたメジロライアン。6戦目のひいらぎ賞での勝利を境に皐月賞トライアル・弥生賞まで3連勝を飾り、一躍クラシック候補に躍り出ます。しかも弥生賞で負かした相手が前年の朝日杯を勝ちクラシックの大本命と目されていたアイネスフウジンだったので、陣営、そして相棒の横山典弘騎手の期待も一気に高まりました。実際、弥生賞のレース後、横山典弘騎手は「ゴールの瞬間、この先全部が見えた気がしました。皐月賞もダービーも」とコメントしています。そしてのちに横山典弘騎手は、クラシック3冠全部勝てると思っていたとも語っています。
クラシック無冠に終わる
一躍クラシック候補となったメジロライアン。迎えたクラシック第一弾、皐月賞ではアイネスフウジンに次ぐ単勝2番人気に支持されます。しかしレースでは後方に控えたメジロライアン、直線で行き場を失い残り200mでようやく追い込むも届かずの3着に敗れてしまいます。
そして迎えた大一番、日本ダービー。皐月賞で脚を余す形で敗れたメジロライアンをファンは単勝3.5倍の1番人気に支持します。レースは外連味のない逃げを打ったアイネスフウジンを外から猛烈に追い込んだメジロライアンでしたが、1馬身4分の1差届かずの2着。またしてもあと少しのところでGIに手が届きませんでした。
菊花賞トライアルの京都新聞杯から始動したメジロライアンは、このレースをコースレコードで快勝。悲願のGI制覇を目指し、菊花賞に挑みます。そうして迎えたクラシック3冠最終戦、菊花賞。レース当日はダービー馬のアイネスフウジンが故障引退、皐月賞馬のハクタイセイも屈腱炎で休養中ということもあり、メジロライアンは単勝2.2倍の圧倒的1番人気に支持されます。
レースは単勝4番人気だった夏の上り馬、メジロ牧場の同期でもあったメジロマックイーンが直線で早々と抜け出しそのままゴール。メジロライアンは外から追い込むも3着まで。クラシック最後の1冠、菊花賞も同期のメジロマックイーンにさらわれてしまう形となりました。横山典弘騎手が全部勝てると思っていたクラシックは結局無冠に終わることになります。

届かぬGIタイトル
その年の年末、有馬記念にファン投票で4位に選ばれたメジロライアンは出走を決めます。このレース、メジロライアンをどうしても勝たせたいというメジロ牧場のたっての希望でメジロマックイーンは出走を回避したという逸話も残っています。そんなメジロ牧場のバックアップもあったこのレース、単勝1番人気は菊花賞でマックイーンの2着に来た同世代のホワイトストーン。2番人気は同厩舎でメジロの先輩でもあるメジロアルダン、ライアンは差のない3番人気でレースを迎えます。
ライアンにとって悲願のGI制覇へ大きなチャンスを迎えていました。しかし、このレースはもっとドラマチックな結末を迎えることになります。レースは最後の直線で抜け出しをはかったアイドルホース・オグリキャップが奇跡の復活で優勝。メジロライアンは外から猛烈に追い上げるも届かず2着。
オグリキャップは近走の不振からこのレースが引退レースと決まっており、ファンの間でもオグリはもう終わってしまったと思われていました。しかしそれでもファンはオグリキャップの復活を信じ、単勝は5.5倍の4番人気。鞍上には若武者・武豊を迎え、このドラマチックな結末の準備は整っていたのです。こうしてメジロライアンの悲願はまたも歴史的名馬により阻まれてしまいます。
悲願のGI制覇
翌年は3月の中山記念から始動したメジロライアン。単勝1.4倍の圧倒的1番人気に推されますが、逃げたユキノサンライズを捉え切れず2着に敗れます。続く天皇賞(春)では押しも押されぬスターホースに成長していた同期のメジロマックイーンに次ぐ2番人気の支持を受けますが、そのマックイーンには手も足も出ない3馬身以上離された4着に敗れてしまいます。
このレースでいよいよ「横山典弘を降ろせ」との声が高まりますが、何とか続投が決まり、宝塚記念へと駒を進めます。このレースにもメジロマックイーンが出走しており、単勝人気もそのマックイーンが1.4倍の圧倒的1番人気。ライアンは単勝4.1倍の離れた2番人気でした。
しかしレースではいつも後方待機からの末脚勝負に賭けるライアンがこの日は先団に取りつき4コーナーでは早くも先頭に立つというマックイーンのお株を奪うような横綱相撲で追い込んできたマックイーン以下を完封。遂に悲願のGI初制覇を達成したのです。
故障引退、種牡馬入り

悲願のGI制覇を達成したメジロライアンでしたが、その後屈腱炎を発症し長期休養を余儀なくされます。年末の有馬記念に出走しますが12着と大敗。翌年の3月、日経賞を快勝し復活勝利を挙げましたが、レース後屈腱炎を再発。またも長期休養に入ります。しかし怪我はなかなか回復せず、結局引退することに。
種牡馬入りしたメジロライアンでしたが、その前途は多難でした。いい交配相手がなかなか集まらなかったのです。それでも初年度産駒から当時牝馬では最多のGI5勝を挙げたメジロドーベルや自身が勝てなかった天皇賞(春)を制したメジロブライトなどを輩出し、種牡馬としての評価は一気に高まります。
今はマックイーンらと共に
結局GI勝利を挙げたのはメジロドーベルとメジロブライトの2頭だけでしたが、2007年に受精能力の低下により引退するまでコンスタントに重賞勝利馬を輩出し内国産種牡馬の雄として活躍したメジロライアン。種牡馬引退後はメジロ牧場及びその後を引き継いだレイクヴィラファームでのんびりと余生を過ごしていましたが、2016年3月17日に老衰のため亡くなりました。29歳の大往生でした。
6月20日にはレイクヴィラファームでライアンの葬儀及び納骨式が執り行われました。雨の降りしきる中、管理していた奥平元調教師や主戦を務めていた横山典弘騎手など約50人が参列し、メジロライアンを見送ったそうです。参列者の中には多くのファンも含まれており、ライアンが今なお高い人気を誇り多くの人に愛されていることがうかがえます。
弔辞を述べた横山典弘騎手は「今の自分があるのはメジロライアンのおかげです。これだけの偉大な馬に乗せていただいたことは一生の誇りです。」と語ったそうです。また当日の雨について「重馬場が大好きだったライアン自身が望んだのかな」とコメントしていたそうです。そんなメジロライアンは、メジロマックイーンや息子のメジロブライトらと共に今はレイクヴィラファームで眠っています。ファンの方はレイクヴィラファームを訪れてみてはいかがでしょうか。