内田裕也さんのプロフィール
本名:内田 雄也(うちだゆうや)
生年月日:1939年11月17日
死没:2019年3月17日(79歳没)
出身地:兵庫県の旗 兵庫県西宮市
血液型:B型
身長:174㎝
ジャンル:ロック、ロカビリー
職業:歌手、音楽プロデューサー
活動期間:1959年 - 2019年
内田裕也さんの経緯
内田裕也さんは、兵庫県で生まれて育ったのは大阪の堺市です。最終学歴は、日大法学部夜学中退ということで、勉強熱心であったという情報もありますが、音楽にハマるキッカケになったのが高校の時で、エルヴィス・プレスリーだった様ですね。
バンド歴はこちら!
・佐川満男さんとロカビリーバンドのブルー・キャップスを結成
・1958年、ブルージーン・バップス結成。メンバー:のちの作曲・作詞家の中村泰士、のちに俳優の北原謙二
・1959年、渡辺プロダクションに所属
本格デビューはこの頃! 日劇ウエスタンカーニバル初出場
その後、かまやつひろしさんや山下敬二郎さんのバンドなどで活動
・1963年 映画『素晴らしい悪女』初出演
~1960年代中盤からビートルズの影響を受ける
・1966年 大阪のジャズ喫茶で人気だった沢田研二のファニーズ、のちの『ザ・タイガース』をスカウトする
・1967年春 3ヶ月のヨーロッパ滞在
~この頃触れた音楽「クリーム」「ジミ・ヘンドリックス」「ピンク・フロイド」「ジャニス・ジョプリン」など
・1967年11月 麻生レミ:ヴォーカルのフラワーズ(バンド)結成
・1969年、1月にフラワーズのデビュー・シングル「ラスト・チャンス」リリース
・1970年 フラワーズのメンバー再編成で名前も「フラワー・トラベリン・バンド」に変更
・1973年4月「フラワー・トラベリン・バンド」活動休止
その後、1970年代中盤あたりからは外国からのアーティスト来日などに尽力しています。
内田裕也さんと樹木希林さんの馴れ初め~結婚生活
2人が出会ったのは、1973年、当時の芸名:悠木千帆で女優をしていた希林さんの撮影現場に裕也さんがたまたま訪れたのが最初の出会いだったようです。
2人は、すぐに意気投合して、気づけば付き合って5か月たった1973年10月結婚することになります。
1973年に結婚して、2年後には別居します。それから、40年以上も別居したままの婚姻関係が続くことになります。
別居の原因は、『DV』だと言います。この内田裕也さんのDVに関しては相当凄いものがあって、希林さんは警察に相談したこともあり、なんと渋谷署の管轄で、連絡するとすぐに駆け付けてもらえるようにしていたということです。
離婚しなかったのは樹木希林さん。その理由は?
内田裕也と言う人は一生、変わることがないと言い切る樹木希林さん。離婚しなかったのは、樹木希林さんの方で、なぜ、離婚しなかったのか気になりますね。
内田裕也と言う人を縛って置く人が必要だと思ったと言います。野放しにしておくと、被害が広がってしまうということでしょうか。
そして、樹木希林さんは本当に裕也さんを愛していたのでしょう。もし別れても同じような人を好きになってしまうので離婚する意味がないとも話していました。
内田裕也さんの「ギャラよこせ」エピソード
内田裕也さんがリーダーだったザ・フラワーズと言うバンド時代。その時代を知る、元イエローキャプ、現芸能事務所サンズの会長である野田義治氏が当時の裕也さんを語っています。
そのロックンロールキャラは本当に昔昔からのものだったというのもわかるエピソードです。そして、裕也さんのことを多くのミュージシャンや友人たちがずーっと慕うのも、ロックンローラー内田裕也に対しての尊敬の念もあるからではないでしょうか。
内田裕也さん「ファックユー襲撃事件」のエピソード
樹木希林さんと娘婿の本木雅弘さんが都内に3階建ての二世帯住宅を新築した時の事です。その家に裕也さんが襲撃に来たことがあったと言います。
内田裕也さんが「娘婿に殴られる!?」エピソード
娘婿である本木雅弘さんが内田裕也さんを殴った!?と言う噂があります。事の真実とは?気になるところです。こんなエピソードがあった様です。
ある日、内田裕也さんが靴をはいたまま、家にやってきて、「てめぇ、俺が家賃払うのにも困ってるのにこんな家を建てやがって!」と怒鳴り込んできたとか。すると、そんな裕也さんに対して、樹木希林さんが本木さんに「やっちまいな」と一言。
すると、本木さんが裕也さんにタックルをして抑えこみ、希林さんが後ろに鉄パイプを隠し持っているのを見た裕也さんが焦って「なに持ってるんだ!後ろに!」と。
テレビ出演した際にこの件に触れると、希林さんが裕也さんを鉄パイプでボコボコにしたというのは「しませんよ~」と言っていましたが、ボコボコにしたと報道したのは当時2011年6月2日号の「女性セブン」でした。
裕也さんはその時のことを『一歩間違えれば殺人事件だよ。リンゴ殺人事件だよ』と笑いに変えていたとか。これが本木さんが内田裕也さんを殴ったという噂の真相でした。
内田裕也さんの家族・妻「樹木希林」
「大好きな女優さんだった」と多くの方が内田裕也さんの妻であり、女優の樹木希林さが亡くなった時に口にしていました。
樹木希林さんが亡くなる2年前に静岡の講演会で語ったエピソードというのがあります。
あるとき、娘の也哉子さんがイギリスでタロットカード占いをしてもらった時の話です。『父親がいるんですけど、どうなるんでしょうか?』と尋ねたところ、その占い師は『大丈夫ですよ、このお父さんは、お母さんが死ぬときに首根っこ捕まえて一緒に連れて行きますから。グワっと連れて行きますから』と言われたそうです。
その話を也哉子さんが希林さんに教えたところ、あまりにも面白い話だと思い、希林さんが内田裕也さんに教えました。すると裕也さんは『頼むから1人でいってくれ。俺のことは忘れてくれ、1人でいけ』と言ったそうです。
樹木希林さんが亡くなったのが、2018年年9月15日、
内田裕也さんが亡くなったのが、2019年3月17日の事です。
参考元:FNNPRIME
内田裕也さんの家族・娘「内田也哉子」
実は、娘である也哉子さんと夫になる本木雅弘さんの出会いのキッカケは、内田裕也さんにあります。
ある日、父・裕也さんから電話があり、出てこいと言われるままに出かけて行ったという也哉子さん。そこには裕也さんを始め、何人かの裕也さんのお仲間たちがいらしたとか。
行くと、自分で也哉子さんを呼んでいたにもかかわらず、そこに座っていろと言いつけ、也哉子さんは従って隅に座っていました。そこに本木雅弘さんもいたそうです。
もしかして裕也さんの呼び出しがなかったら、本木さんとも会う事はなかったかもしれませんね。
内田裕也さんと樹木希林さんのお子さんは也哉子さんお一人です。也哉子さんが希林さんが亡くなった時に葬儀で、喪主の内田裕也さんの代わりに挨拶に立ちます。その時に言葉にしたのは、自分の両親のその関係性に対して『永遠に分かりようのないミステリーでした』ということでした。
也哉子さんにすると、成長していく中で、他とは違う自分の『親』というものを意識して観ていた時に、自分が理想とする夫婦像ともかけ離れていたのかもしれませんね。
也哉子さんがのちに語った話によると、父である内田裕也さんと一緒に過ごした日々は、自分が生まれてから『2週間にも満たない』というものだったそうです。
内田裕也さんの家族・娘婿「本木雅弘」
樹木希林さんが亡くなり、告別式が行われた2018年9月30日、娘婿である本木雅弘さん(本名:内田 雅弘)が、希林さんの最期の時に、希林さんの耳元に電話をあてて、内田裕也さんの声が聞こえる様にしてあげたところ、裕也さんが「しっかりしろ!」と呼びかけ、本木さんが希林さんの手を握っていて、その手に力が入った様だったと語り、希林さんが亡くなって、次の日に希林さんを自宅に連れて帰った時に対面した裕也さんが、「キレイだ。昔から美人だと思ってたんだ」と言っていたと...。
もっと早く言ってあげ....なかったから、内田裕也さんのロックンロール人生だったのかも?しれませんね。
まとめ
内田裕也さんのロックンロール人生、すこ~しだけその面白いエピソードをご紹介しました。『面白い』と言うのは必ずしもそれは、滑稽だという事ばかりではなく、人としてその感覚や感性が非常に面白みのあるという意味でもあります。
妻・樹木希林さんとの不思議な夫婦関係。娘・也哉子さんとのいい父親とは言えない関係、最後の最期まで、娘婿である本木雅弘さんにとても感謝していたこと、人柄は分かる様な気がします。