身近な人との別れなど「死」と向き合うことは、年とともに増えていくのが自然なこと。しかし、人生で一度しか経験することのない「自らの死」を目前にしたときにどのようなことを思い考えるのか、それは想像することしか出来ません。
末期がんによる最期を目前に、自らの気持ちを吐露した男性の記事が朝日新聞GLOBEに掲載されています。「死を覚悟した人が必要とする情報がない」という言葉が、とても印象に残ります。
末期がんになって気づいたことがある 「余命1カ月」の男性が遺した言葉:朝日新聞GLOBE+
治らない人のための情報
自分自身あるいは身近な人が大病したとき、治すために必要な情報をインターネットで探し回るのはもはや常識レベルの行動となっていますね。
しかし誰もが治るわけではありません。そして「治らない」ことと向き合ったとき、人は残された限りある時間でどのような情報を必要とするのでしょうか。
治ることを目指して気丈に振舞い、自らを鼓舞し続ける日々には先が見えません。しかし「治らない」ことを受け入れたときには、そこからエンディングに向けて時間は限られています。
末期がんになって気づいたことがある 「余命1カ月」の男性が遺した言葉:朝日新聞GLOBE+
とても大事なことに感じたこの言葉。
今後、日本社会はますます「終活」について考える機会が増えると思います。自ら向き合う覚悟を決めたとき、期限ある時間で必要な情報を速やかに入手出来ることも、備えるべき大事なことのような気がします。
