スーパーファミスタとは

スーパーファミスタは、スーパーファミコンで発売されたファミリースタジアムの第一作目になります。
これまでファミコンで発売され続けてきたファミリースタジアムの人気を引き継ぐ形となりました。
ファミコンでは、プロ野球ファミリースタジアム第一作目が1986年に発売されほぼ一年おきに新作が発売、以後ファミコンで9作が発売されました。
さらに時を同じくしてゲームボーイでも3作が発売、まさに「野球ゲームの原点」といっても過言ではないファミスタシリーズです。
当時はドラゴンクエストより人気があったのことが、ファミスタの人気の強さを物語ります。
だからこそ、スーパーファミコンの第一作目は、当時のナムコにとってコケることのできないソフトであり、制作に気合が入っていたことに間違いはありません。
スーパーファミスタは以下のように変わりました。
日本野球機構から正式に許可がおりました!
これまでのファミスタでは、球団名も選手名も実際の名前を少し変えた状況でした。
スーパーファミスタからは正式に日本野球機構から実名使用のライセンスを取得しました。
しかし、実名使用はスーパーファミスタが初めてではなく、1988年発売のプロ野球ワールドスタジアム以来となり、野球ゲーム初の称号は得られませんでした。
ゲーム内の選手名の文字数は濁点・半濁点をカウントせずに5文字となっており、5文字以上の選手は短縮されています。
それでも、実名で選手を操れることはリアリティーがあり、高い評価を得ました。
スーパーファミスタから新しくなった事
ゲーム機がファミコンから、スーパーファミコンに変わったファミスタシリーズですが、それが理由で新しくなった部分もあります。
どのような部分が新しくなったのかを解説していきます。
画面上のランナーの表示の変更
これまでのファミスタの画面上の演出は、ランナーが1塁、3塁にいる時には縦に三分割される方法でした。
しかし、スーパーファミスタから1塁、3塁のランナー表示は小窓方法に変更されました。
このことにより、視野が広がり画面が見やすくなりました。
スーパーファミコンのコントローラーのボタンが増えたことで

これまでファミコンは操作ボタンは十字キーに加えてAボタンとBボタンでした。
これに加え、スーパーファミコンではAボタン、Bボタンに加えXボタンとYボタンが増えました。
このことにより、バッティングの操作が増えて戦略に幅ができました。
スイングの途中でもバントに切り替えることができたり、バットを持つ長さを設定できるようになりました。
選手の特徴を捉えた演出
それぞれ、選手には特徴があります。
その特徴をスーパーファミスタでは再現させています。
投手では、これまでと同じく、トルネード投法に加えてマサカリ投法や「えなつ」「さわむら」の特徴が加わりました。
野手では、一本足打法やクロマティのクラウチングスタイル、神主打法などが再現されています。
スーパーファミスタ!スター選手紹介
歴代のファミスタには、必ずスター選手が登場していました。
スーパーファミスタでの、スター選手は誰だったのでしょうか。
落合博満選手

選手としても、監督としても、GMとしてもそれぞれで遺憾なく手腕を見せつけてきた落合博満選手、数々の伝説を残してきました。
生涯成績は、2236試合に出場し、7627打数2371安打510本塁打1564打点、本塁打王と首位打者、打点王を5回も獲得し、史上初の両リーグ本塁打王と打点王も獲得しています。
その他にも最多勝利打点、最高出塁率などなど、数えきれないタイトルを獲得するレジェンドです。
ちなみに、スーパーファミスタでは打率3割2分2厘、ホームラン36本となっています。
古田敦也選手
プロ野球史上、最強捕手との呼び声が高い古田敦也選手、実は甲子園出場の経験はなく、立命館大学経営学部経営学科へ進学し、野球人生で初めて世間に知られたのは大学野球日本代表へ選出された事です。
しかし、残念ながらドラフトでは指名されず、古田敦也選手のプロ野球生活は終わったと思われましたが、その後、社会野球の名門であるトヨタ自動車へ入社し野球部へ進みます。
さらに1988年にはソウルオリンピック日本代表へ選出され今一度注目を集めます。
ヤクルトスカウト担当の片岡さんが古田敦也選手に注目し晴れてヤクルトへ入団、ルーキーながらゴールデングラブ賞を受賞し、二年目には首位打者を獲得、さらに1993年には盗塁阻止率0.644の日本記録を樹立、セ・リーグ、日本シリーズ両方のMVPを受賞するなどこちらもタイトルを紹介すれば切りがありません。
ちなみに、スーパーファミスタでは、打率3割1分8厘、ホームラン8本の成績となっています。
野茂英雄選手
トルネード投法を日本だけでなく世界に広げた野茂英雄選手、日本でルーキーながら18勝8敗、287奪三振をあげ、沢村賞・MVP・新人賞などのタイトルを受賞し。この頃から怪物でした。
日本で大活躍したのち1995年、メジャーへ挑戦、当時、日本の野球選手がメジャーリーグで活躍するなど夢の又夢の話でしたが、そのような風潮の中、野茂英雄選手は最低年棒でアメリカへと乗り込みました。
しかし、そのような日本人選手が屈強なメジャーリーガーをばったばったと三振にする姿はアメリカ人の心を打ち、野茂英雄選手はメジャーリーガーの人気者となりました。
ちなみにスーパーファミスタでの成績は、防御率2.60球速148となっています。
まとめ
いかがでしたか。
スーパーファミコンで初めて発売されたスーパーファミスタをまとめてみました。
スーパーファミスタにハマっていた人には懐かしい、落合博満選手や古田敦也選手、とても懐かしかったのではないでしょうか。
そして、厳しいと思われていた、野茂英雄選手のメジャーリーグ挑戦、心の中では「日本人は通用しないよな」と思っていましたが、見事にアメリカで成功し、アメリカファンを獲得した野茂英雄選手に歓喜した記憶も蘇りました。
スーパーファミスタをプレイして今一度あの時の喜びを思い出しませんか。