これぞエースの背番号!18番投手を特集します

これぞエースの背番号!18番投手を特集します

18番といえばエース、エースといえば18番というくらい定着している背番号ですが、歴代の18番を振り返ってみるとその名に恥じぬエース達が活躍していたことがわかります。さっそく確認してみたいと思います!


「18番」がエースナンバーになった理由

プロ野球で18番がエースになった理由は諸説あるようですが、有力なのが歌舞伎からで得意としていた演目を「歌舞伎十八番」(おはこ)といったことからきているとか。
また、プロ野球初期の大投手である若林忠志さん、野口二郎さん、中尾碩志さんらがこの番号を付けて活躍したことから18番がエースと呼ばれる様になったようです。

いずれにせよ、確かに18番にはエース投手が多いと思われます。
さっそく振り返ってみたいと思います。

巨人の「18番」

堀内恒夫

ルーキーの時代から「悪太郎」と呼ばれ、巨人軍のV9を支えた大エースである堀内恒夫さん。
直球も変化球も超一品だった大投手だったことで有名ですよね!しかも打撃センスも光った投手だったこともあり、巨人だけではなく球界において記憶に残る選手でした。
チームの成績不振であまり結果は残せませんでしたが、巨人の監督にも就任されましたよね。

現役時代にはエースとして恥じない活躍をされている堀内恒夫さん。
ミドルエッジには堀内恒夫さんを特集した記事もあるので、合わせて読んでみてくださいね!

悪太郎・堀内恒夫!態度の大きい新人投手は沢村賞を獲得!HRの多い投手でしたね! - Middle Edge(ミドルエッジ)

桑田真澄

我々の世代で18番といえば桑田というくらい、エースの18番が印象深い桑田真澄さん。

桑田さんといえばPL学園高校時代は清原和博さんとのKKコンビでチームをけん引し、プロ入り後は先発投手として長きにわたり読売ジャイアンツを支えたことで有名ですよね。

また、174cm、80kgという野球選手としてはけして恵まれた体格とは言えないにも関わらず、野球に対するそのストイックな姿勢で永く巨人を支えたことで、多くの選手から尊敬されています。
まさにエースの18番が似合う偉大な選手でした。

【桑田真澄】正確なコントロールと、計算された組み立てで野球人生を歩み続ける男! - Middle Edge(ミドルエッジ)

その他にも中尾碩志さん、藤田元司さん、杉内俊哉さんなど、凄腕の投手が18番を背負ってましたね。
また、藤田元司さんに関しては監督としても長嶋茂雄さん・王貞治さんの後を継いで4度のリーグ優勝と2度の日本一に導いた大変優秀な方でした。

西武ライオンズの「18番」

郭泰源

郭泰源(かくたいげん)さんは台湾出身のプロ野球選手で、現役当時は「オリエンタル・エクスプレス」、「オリエント・エクスプレス」と呼ばれていました。

1983年のアジア選手権ではその剛速球で決勝戦の対戦相手だった日本に完封勝利しており、翌年のロサンゼルス五輪では最速158キロを投げ、銅メダル獲得に貢献しました。その実力からメジャーにも行けたのですが、その好条件を蹴って西武ライオンズに入団し、エース18番を背負って活躍されました。日本での現役時代は1985年から1997年であり、西武ライオンズ一筋の方でした。

剛速球のストレートと真横にスライドする高速スライダーが特徴的でしたが、ここぞという時にシュートがあり、本当に優秀な投手だったと思います。

現在は台湾プロ野球・富邦で顧問を務めてらっしゃいます。

松坂大輔

松坂大輔さんも西武ライオンズの18番を背負って活躍されましたよね!
というか、郭泰源さんから松坂大輔さんへと18番が引き継がれたことで、西武ライオンズでもエースとしての背番号と認識される様になったと思います。

「平成の怪物」と呼ばれ、21世紀初の沢村栄治賞を受賞している松坂大輔さん。
甲子園優勝、パリーグ優勝、日本シリーズ優勝、ワールドシリーズ優勝、WBC優勝を経験しており、まさに花形のエース投手だと思います。

西武ライオンズの後はメジャーに挑戦し、帰国後には福岡ソフトバンクホークスを経て現在は中日ドラゴンズに席を置いています。

「松坂世代」と呼ばれるくらい逸材が揃っていた世代の筆頭ですから、まだまだ頑張って頂きたいですね(^^)/

西武ライオンズのではその他にも涌井秀章さん、多和田真三郎さんも18番のエースとして活躍されています。
西武ライオンズの投手は優秀な方が多いですね!

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千葉ロッテマリーンズの「18番」

成田文男

千葉ロッテマリーンズの前身である東京オリオンズ、ロッテオリオンズ時代にエースとして活躍されていた成田文男さんは、その高速スライダーで観客を沸かせていたといいます。

そんなエースの成田文男さんの背番号も18番でした。
1970年と1973年に2度の最多勝獲得しており、通算175勝を挙げている方でありパ・リーグを代表する右腕だったと言われています。

往年の野球ファンの方なら誰もが知っている凄腕の投手だそうで、当時はパ・リーグの人気が低迷したいた状況であり、そんな中での成田文男さんの活躍はパ・リーグ全体の活性化につながっていたに違いありません。

大変偉大な投手であったことが判ります。
2011年に肝不全の為亡くなれています。享年64。

伊良部秀輝

伊良部秀輝さんといえば剛速球の印象が非常に強く、1993年に清原和博さんと対戦した時には158km/hを投げてますよね!その当時の日本人では最速だったのをよく覚えています。
また、日本人として初めてヤンキース・メジャー契約選手となりました。

「投球フォームの腕を上げる高さから足を下ろす位置、それによる球の軌道までをミリ単位といえる細やかさで考えているのが伊良部という投手」とロッテ時代の先輩であった牛島和彦さんが語っている通り、野球に対するストイックな想いは強かった方なんだと思います。

色々とトラブルがあり、残念な最期を遂げることにはなりましたが、間違いなく18番を背負っていたエース投手であり、野球に疎い方でもその名は知っているという大投手だったと思います。

2011年死去。享年42。

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他チームの「18番」

佐々岡真司

広島カープの18番といえば佐々岡真司さんでしょうか?
1991年のカープリーグ優勝にも貢献しており、その後も長きに渡ってカープ投手陣の大黒柱として活躍されましたね。

あの江夏豊さんに次ぐ史上2人目の大記録である、先発で100勝、クローザーとしても100セーブを達成している偉大な投手でした。

ストレート、スライダー、シュート、カーブ、となんでも出来てしまう凄腕の投手であり、緩急自在のピッチングを操っていました。

現在は広島東洋カープ一軍投手コーチを務めています。

先発、抑えとマルチな才能を発揮する【佐々岡真司】はどんな選手だったのか! - Middle Edge(ミドルエッジ)

三浦大輔

「ハマの番長」と呼ばれた三浦大輔さんは横浜不動の18番でした。

技巧派と呼ばれた三浦大輔さんは、オーバースローから平均球速約139km/h、最速148km/hのストレートを投げわけ、カットボール、スライダー、フォーク、スローカーブ、シュートなどを自在に操りました。

また、コントロールが半端ではなく、通算与四球率2.42の抜群の成績を残しています。
2005年に最多奪三振のタイトルを獲得するなど三振を奪う能力も併せ持つ、まさに凄腕の投手であったことが判りますね。

横浜の18番といえば三浦大輔さんといわれるくらい、別格のエースであったことは間違いありません。

現在は横浜の一軍投手コーチを務めています。横浜一筋なところもかっこいいですねよね。流石は番長です(^^)/

ハマの番長・三浦大輔が引退を表明!1998年横浜ベイスターズの日本一に貢献したエースだった - Middle Edge(ミドルエッジ)

吉田輝星

最後に最近の18番を確認してみたいと思います。
2019年に6月に北海道日本ハムファイターズでプロ初出場を飾った吉田輝星(よしだこうせい)さん。
吉田輝星さんは、秋田県立金足農業高等学校に進学し1年生の夏からベンチ入りをしており、3年生の夏は秋田大会から夏の甲子園準決勝まで10試合連続完投勝利を挙げるというとんでもない記録を残しています。

そんな吉田輝星さんは北海道日本ハムファイターズでエースの18番を背負うことになりました。
球団の期待が表れている証拠ですよね!
これからが大変楽しみな投手だと思います。

エースナンバー「18番」を振り返ってみて

エースナンバー18番の選手を振り返ってみて、いかがだったでしょうか?
最近ではこの18番をエースと呼ぶのは古いとか、海外では18番は野手だという声も聞きますが、18番がエースであることは良き伝統であり日本野球独自の慣習でもあると思うんですよね。

私は野球を勉強中なので、この記事をまとめることで18番の凄さを知ることが出来ました。
そういえば田中将大さんも楽天で18番を背負っていましたね。

これからも18番はエースであると考えられると思いますので、選手の皆さんには頑張って頂きたいと思います(^^)/

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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