修斗とは

修斗は元タイガーマスクの佐山聡さんが創設しました。
前身は「タイガージム」であり、佐山聡さんの格闘技理論の研究、実践の為に開設されました。
修斗の名前の由来は、プロレスの隠語であったシュートからシューティングと呼び始め、射撃の競技と混同しない様にする為、「斗いを修める(たたかいをおさめる)」という意が当てられ修斗という名称になりました。

修斗の創設は大きな意味があり、現在では主流となっている総合格闘技の源ともされています。
より実践的でかつ有効的な格闘技として修斗は存在しており、現在の格闘技を引っ張る存在でもあると思います。
今回はそんな修斗の黎明期に活躍した四天王について、当時と現在をふまえて振り返ってみたいと思います。
日本修斗協会公認サイト | PRO SHOOTO MMA JAPAN - 修斗 - サステイン
修斗四天王
朝日昇

朝日昇さんといえば漫画『TOUGH』の朝昇(ちょうしょう)のモデルとなった人物ですね。
「奇人」と呼ばれたこの方は、第3代修斗ライト級王座に輝きました。
現役当時は技の多さ、巧みさに目を見張るものがあり、生粋の格闘技職人だったと思います。
また、総合格闘技で使える実践的なビデオも存在しており、大変判りやすく解説されていました。
現在はデザイナーとジムの運営をされています。
佐藤ルミナ

私が総合格闘技を意識して見始めた頃、日本の選手で群を抜いて強かったのが、この佐藤ルミナさんでした。
とにかくかっこよかったですよねぇ スタイリッシュでファッション性もあり、それでいて強い。もはや理想的であると思われました。
ただ、佐藤ルミナさんは不遇だったと思います。ゴールデンでテレビ中継される様な大きな大会が、現役時代に少なかったんですよねぇ 宇野薫さんや所英男さんと世代が違うことから対戦した時にも結果を出せませんでしたが、「修斗のカリスマ」であることは間違いありませんでした。
修斗だけではなく、総合格闘技黎明期を中心で支えた本物の格闘家だったと思います。
現在は修斗の運営側にまわっており、一般社団法人日本修斗協会理事長やアマチュア修斗委員会委員長などを務めています。
桜井速人

「野生のカリスマ」の異名をもっていた桜井速人さんは修斗黎明期から活躍しており、PRIDEやDynamiteなどの大きな大会にも出場してきた歴戦の猛者です。2001年以降から黒星が目立つ様にはなりましたが、総合格闘技でこれだけながく現役を続けた方も珍しいのではないでしょうか?
ちなみにリングネームはプロレスラーのマッハ隼人をもじって付けられました。
そして驚きなのが現在です。
なんと政治家に転身されているんですよねぇ(^^)/ これにはほんとに驚きました!
なんでもスポーツ振興と佐貫駅周辺の再開発を公約に掲げ、第19回統一地方選挙の一環として行われた龍ケ崎市議会議員選挙に無所属で立候補し、見事当選されました。
素晴らしいですね。
エンセン井上

「リングの上では相手を殺すつもりでやる。だからワタシは絶対にタップしない」という信念から、自らタップアウトして負けたことは一度なく、キャッチフレーズの「大和魂」に恥じないファイトを見せてくれました。
故山本"KID"徳郁さんに総合格闘技の指導したのがエンセン井上さんであり、山本"KID"徳郁さんの破竹の勢いの源泉だったのが判ります。
何かとトラブルが多かったエンセン井上さんですが、現在は格闘技から距離を置き、数珠職人として生活をしているとか。海外からも注文がくるほどの腕前の様ですよ!
修斗四天王を振り返ってみて
修斗黎明期を支えた四天王を振り返ってみて、いかがだったでしょうか?
四人共大活躍だったんですよね。
当時の活躍ぶりを思い返すと、そんなに昔の記憶ではない気もするのですが、随分時間が経ったのだなぁと改めて思いました。
やはり一番印象に残っているのは、佐藤ルミナさんが試合開始6秒で相手を仕留めたことですかね。あれには感動したのを覚えています。
それにしても、皆さん現在も活躍されている様で、なんだかホッとしました。
総合格闘技の礎を築いた四人の侍には、これからも各方面で活躍して頂きたいですね。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。