トイレット博士とは?

トイレット博士 (1) 体内探検の巻
『トイレット博士』は、漫画家とりいかずよしにより1970年から1977年まで『週刊少年ジャンプ』誌上に連載されたギャグ漫画作品。
『少年ジャンプ』の創刊2年目から開始された連載は8年間に及び、同誌を数100万部雑誌にのし上げた立て役者にもなった、大ヒット作品。
単行本全30巻は、当時としては記録的な長寿連載であり、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』
2016年10月に全200巻で完結)に抜かれるまで『ジャンプ』史上最長で、部数も1000万部を売り上げた作品。
作者
とりいかずよし
本名 鳥居 一義
生誕 1946年11月12日(72歳)
愛知県額田郡形埜村(現・岡崎市)
職業 漫画家、大学教授
活動期間 1969年 -
作者経歴

1970年代頃のとりいかずよし先生
ギャング
額田町立形埜中学校卒業後、19歳の時に映画製作の道に入るが、入社した国映がアニメーション制作の事業に乗り出し、日本放送映画でアニメーターに転身。
後にスタジオ・ゼロへ移籍し、原画スタッフをしていたところを同社役員で同じビルに仕事場を持っていた(故)赤塚不二夫氏にスカウトされ、1968年にフジオ・プロダクションへ移籍。
赤塚のアシスタントを務め。
1969年に『別冊少年サンデー』(小学館)4月号掲載の読み切り作品『くちなし犬』でデビューした後、同年の『週刊少年ジャンプ』(集英社)23号から人情ギャグ漫画『トイレット博士』の連載を開始(当初は「赤塚ギャグ笑待席」の読切連載だった)。
うんこ漫画家

同作品序盤の徹底したスカトロジー(うんこ)表現は、恩師・赤塚氏の案で、「お前は顔が汚いからウンコ漫画を描け」という指示を受けてのものであったそうです。
「トイレット博士」はテレビアニメ化の話があったものの、タイトルをゴールデンタイムにふさわしいものに変更するよう要請されたため、話がまとまらなかったという話もあります。
作品史
第1部

トイレット博士
単行本1 - 5巻。徹底したスカトロジー表現。
主役は一応トイレット博士だが、タメやん、うんこちゃん、ダラビチ博士などの人気サブキャラクターが続々登場。
第2部

一郎太
単行本6 - 11巻。一郎太が登場し、方向転換で人情ギャグにした。しかし、この方向転換が逆にアンケートの結果を飛躍的に伸ばし、とりい自身の執筆も楽になったが、その一方で主人公トイレット博士の登場回数が無くなってしまった。
第3部

スナミ先生
単行本12巻 - 30巻。一郎太、中学に入学。スナミ先生が次第に主役の座へ。
メタクソ団が結成され、メタクソ団ブームに。
路線変更で成功

発行部数が1000万部を超える爆発的なヒット作になったものの、この路線が次第に飽きられてきたところ『少年ジャンプ』のモットーである「友情」「努力」「勝利」を盛り込み、
当時ジャンプの担当編集者だった角南攻をモデルにした「スナミ先生」を登場させ、教え子の一郎太・三日月・チン坊と「メタクソ団」を結成させたところ、人気が爆発。全国各地にメタクソ団支部が結成されるほどの一大ムーブメントが巻き起こったのです。
サインを求めて

画像には住所は記載されていません。
少年ジャンプ1976年8月号
今では個人情報ナンチャラで、有り得ないと思いますが、1970年代始め頃は「少年ジャンプ」などの1番裏の目次の欄に作者のコメントと共にファンレターの宛先として、作者の住所が普通に載っていました。
当時、小学校低学年時代その住所を頼りに仲間何人かでサインをもらいに行くのが、チョットしたブームでもありました。
電動チャリでもないのに3つ先ぐらいの区だったら、普通に行っていたと思います。元気だけはあったから・・・

とりいかずよし先生のサイン
ギャング
メタクソ団
スナミ先生、一郎太、三日月の3人によって結成されたグループ。(単行本13巻でメタクソ団が結成)
その後、チン坊が加入し末期の頃にはピッピが入る。
合言葉は「マタンキ」(後期には「ホモビアン」も)で、互いのメタクソバッジを見せ合って叫ぶ。「友情」「努力」「勝利」をモットーとしている。
メタクソバッジ

メタクソバッジ
当時、懸賞で出た「メタクソバッジ」欲しくて欲しくてしょーがなくて、何百枚もハガキを応募したけど当たらなかった1品。
当たった友人に3千円で譲る様に交渉したけど断られ、メタクソバッジの復刻があった時も
ひたすらハガキを書いた思いがあります。
現在みたくヤフオクやメルカリがあれば、つくづく便利だったと感じます。
メタクソ団の必殺技
必殺技「七年殺し」
ただのカンチョーなんだけど、始めに掛け声があり、「天怒りて非道を絶つ 臨兵闘者皆陣列在前!」(りんぴょうとうしゃかいじんれつざいぜん) 呪文?をとなえると、何故かイナズマおこり、相手の直腸まで両手を突っ込んだら
右手はパー、左手はチョキをつくり、引っこ抜くと7年後には死んでしまうという恐ろしい技。
あっという間に小学生(男子)に、この技が流行り、当然学校で「禁止」になり、PTAもトイレット博士の漫画自体を下品だと大騒ぎしていました。
CD

うーん恋した時から・・・ シングル
1997年には本作のCD-ROM EXTRAがIMMEより発売、同年11月19日には、本作のイメージソングとしてシングルCD「うーん恋した時から…」(歌:うんこちゃん)が発売されたんです。
歌:うんこちゃんって・・・
最終回は?
メタクソ団の団員達の卒業で完結。
タイトルの「トイレット博士」がほとんど登場せず、実質題名のみとなった、最終回にもトイレット博士は登場しない。
また作者のとりいかずよし先生も『トップはオレだ!!日本一のセールス男』以降はストーリー漫画中心に転向して現在に至っている。
最後に・・・

トイレット博士 第12巻 メタクソクラブ活動の巻
いかがだったでしょうか?
かなり古い漫画なので知らない方も多いと思いますが、昔はこんな漫画も流行ったんだと思っていただければ・・・。
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