キャンディーズ
食べてしまいたいほどかわいい女の子たち
「キャンディーズ」の名前は「食べてしまいたいほどかわいい女の子たち」を意味して名付けられました。
しかし3人ともスクールメイツの中でも特に目立つ存在ではありませんでした。
3人の在籍していた東京音楽学院をたまたま訪れた当時渡辺音楽出版の社員だった松崎澄夫氏。
教室に入ってきたキャンディーズの3人を見て「かわいい子がいる」と目を留めたことをきっかけに松崎氏はそのままキャンディーズの歌手デビューを決定しました。
1973年に「あなたに夢中」で歌手デビューしました。
デビューから数曲は歌唱力抜群だった田中好子がセンターを努めていました。
しかし、当時のマネージャーが、3人の中で伊藤蘭だけファン層が異なることを発見します。
1975年に発売した「年下の男の子」で「お姉さん」的キャラクターの伊藤をセンター・メインボーカルに据えたところ、これが当たり、オリコンでもベストテン入りを果たします。
その後「春一番」「やさしい悪魔」「暑中お見舞い申し上げます」など、シングル曲が立て続けにヒットを飛ばします。
「8時だョ!全員集合」や、「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」などのバラエティ番組にも出演。
キュートなルックスにも関わらずコントやお芝居を体当たりで演じる姿や、可愛らしい振り付けで歌う姿が幅広い年代からの人気を獲得しました。
他の作品へも影響を与える
1973から放送された公開恋愛バラエティ番組『プロポーズ大作戦』
1976年から放送されたクイズ番組『クイズ!家族ドレミファ大賞』ではキャンディーズの歌がテーマ曲として使われました。
また、1998年に放送された鈴木保奈美主演のテレビドラマ『ニュースの女』のサブタイトルには全て、キャンディーズの楽曲のタイトルが使われたとのことです。
他にも映画で、「年下の男の子」が物語の重要なキーとなる楽曲として登場したり、
『ドラえもん』にキャンディーズそっくりのグループ「チョコレイツ」が登場したこともあったそうです。
また、『魔法の天使クリィミーマミ』の主人公・クリィミーマミの衣装をデザインする際、キャンディーズの衣装を参考にしたという逸話も残されています。
15thシングル「アン・ドゥ・トロワ」は、作曲者の吉田拓郎がセルフカバーしており、このカバー版では、曲の終わりに「さよなら、キャンディーズ」と歌っているそうです。
キャンディーズファンの男子高校生が大学合格を目指すという物語が1979年より『週刊少年マガジン』に連載されました。(もとはしまさひで『微笑によろしく』)
『魔法の天使クリィミーマミ』(1983年)森沢優が1年間だけ魔法をもらい、アイドル歌手・クリィミーマミとして活躍する - Middle Edge(ミドルエッジ)
普通の女の子に戻りたい!
1978年4月4日に開催された『ファイナルカーニバル』では「男性の群集が号泣する」という現象が起きました。当時としてはショッキングな現象と見られています。
そして1978年4月4日、キャンディーズは解散しました。
アニメーションのモデルに
キャンディーズ、そして田中好子がいかに人気があったのかを物語るエピソードの一つにアニメーションのモデルになったことが挙げられます。
1979年に放送されたアニメ『スーキャット』の登場キャラクター「スー」、『おじゃる丸』の登場キャラクター「タナカヨシコ」、『しゅごキャラ!』の登場キャラクター「スゥ」のモデルに田中好子がなっています。
キャンディーズがモデル!波乱万丈の芸能活動を送る猫アニメ『スーキャット』 - Middle Edge(ミドルエッジ)
弟への思いと欽ちゃんの言葉
1980年田中好子は芸能界に復帰します。
芸能界復帰の理由としては、骨肉腫で闘病生活を送っていた6歳下の弟さんが田中の復帰を強く希望していたことがありました。
また、萩本欽一の著書を読み感銘を受け、偶然にも藤村美樹の家の隣だった萩本の家を直接訪問します。
事情を聞いた萩本から
「弟さんのために芸能界でもう一度一等賞を獲って、弟さんを喜ばせてやろうよ」と励まされ、萩本の協力により、1980年5月の復帰会見を経て、7月の「欽ちゃんのどこまでやるの!?」にて正式復帰を果たしました。
田中の芸能界復帰を喜んでいた弟さんは、田中が復帰を果たした翌年に19歳でこの世を去ってしまい、田中がたくさんの受賞をした姿を弟さんが見ることは叶いませんでした。
結婚と闘病
1991年5月21日、夏目雅子の兄で実業家の小達一雄氏と結婚します。
結婚翌年の1992年に乳がんが見付かり、再発を繰り返しますが、いずれも早期発見で秘密裏に治療を受けながら芸能活動を続けていました。
これらの事は、田中の死後小達一雄氏の記者会見によって初めて公式に明らかにされました。
親族以外、共演者には一切明かされませんでした。
その後2010年に十二指腸潰瘍を患い、治療のため絶食をしたことで体力・免疫力が低下、
乳がんが再発します。2011年には、肺や肝臓にもがんが転移しました。
水墨画との出会い
NHK「趣味悠々」出演を通じて墨彩画に出会い、俳優で墨彩画家でもある片岡鶴太郎に師事します。ロケ先にも画材専用のトランクを携行する程の入れ込みようであったようです。
作品は「文化人・芸能人の多才な美術展」に出展され、日本橋三越本店ギャラリーをはじめ、日本各地にて開催されました。
母親役と福祉活動
テレビでは、連続テレビ小説『おしん』のおしんの養女役を演じました。
田中には継娘が居ましたが、自身に子供は生まれませんでした。
しかし、女優としては母親の役を多く演じています。『家なき子』ではヒロインの母役、連続テレビ小説『ちゅらさん』では主役の母役を演じました。
田中の子供役として共演した俳優は47人にもなるそうです。
また女優以外にも、夫が夏目雅子の兄であることから「夏目雅子ひまわり基金」の活動、厚生労働省の公衆衛生審議会委員、国立国際医療センター顧問、エイズ予防財団及び日本エイズストップ基金運営委員なども務めました。
最期まで人を思って
葬儀で
同年4月21日午後7時4分頃、55歳の若さで逝去しました。
伊藤蘭と藤村美樹は、田中が危篤状態になった際、親族の計らいで病室に呼ばれたそうです。
二人は田中が息を引き取るまでの7時間にもわたって名前を呼び続けていたということです。
通夜は4月24日、葬儀・告別式は25日に青山葬儀所でそれぞれ営まれました。
棺や葬儀場の絨毯は田中のキャンディーズでのイメージカラーだった青で彩られました。
葬儀では藤村美樹が「私たちは永遠にキャンディーズだから」と、伊藤蘭は「もう一度だけでいいから、3人で逢いたかった」と涙を堪えながら弔辞を読んだそうです。
継娘の思い
田中の夫である小達一雄氏には前妻との間に娘さんがいました。
田中と再婚した直後、娘さんは前妻の実家のある北海道で暮らします。
叔母・夏目雅子が出演する映画『瀬戸内少年野球団』や『魚影の群れ』を見て世界観のある叔母の演技に魅せられ「こういう芝居ができたら」と7歳で女優を志しました。
田中好子さんに父を奪われ… 継娘が「今だから語れる」騒動の全幕と最期の日 | 週刊女性PRIME [シュージョプライム] | YOUのココロ刺激する
20歳の時、小達氏の母、祖母にあたるスエさんの葬式で田中と出会う
田中好子さんに父を奪われ… 継娘が「今だから語れる」騒動の全幕と最期の日 | 週刊女性PRIME [シュージョプライム] | YOUのココロ刺激する
「自分なりの覚悟をして会ったのを覚えています。父を奪ったことは事実ですが大人の事情があり、ひとりの女性として誰かを愛する権利はある。それを非難してはいけないと思うようになっていました」と語ったそうです。
「私が芸能界のお母さんになってあげるね」と言う田中と2011年4月21日に他界するまでメールの交換を続けたとのことです。
一時不倫略奪と騒がれた時期もあったようですが、継娘さんとの間にも交流ができるようになって良かったと思いました。
アイドルそして女優として才能を充分に開花させましたね。
時代は変わっても心に残る一人の女性だったと思っています。