1970年
ザ・リガニーズ
1967年夏、早稲田大学公認バンドサークルWFS(Waseda Folksong Society) のメンバーが結成。
1968年7月1日、「海は恋してる」でデビュー。10万枚を超えるヒットとなり「カレッジ・ポップス」の先鞭となった。
1970年5月9日に解散。
2005年に新田・内山・吉田・常富の4人で再結成される。
メンバー

新田和長 (ギター) 2013年9月:株式会社フールオンザヒルを設立、代表取締役社長に就任。
内山修 (ベース) 解散後は常富喜雄と「猫」の結成に参加した。
吉田光夫 (ギター、バンジョー) 東京都杉並区出身
常富喜雄 (ギター)2017年11月1日、ノグチアツシとの新生猫をスタートさせる。
旧メンバー
武藤敏史 (ギター) 東芝音楽工業に入社し、オフコースなどのプロデューサーを務めた。
所太郎 (ギター) THE・サンデー (日本テレビ)、スーパーモーニング (テレビ朝日)などといったワイドショー番組の、政治・社会 (主に事件現場) などの部門のレポーターとして現在も活躍中。
渡辺真木雄 (ギター) 東京都出身
ザ・ブルーインパルス
1968年1月に名古屋で結成された「ザ・ダックス」が前身。その後、バンド名を「ザ・ブルーインパルス」と改名。
デビュー直前、当時人気絶頂のアメリカのバンド・モンキーズの来日コンサートの際、ポニーズと共に前座バンドに抜擢され、日本武道館での出演を果たす。
日本ビクターが新たに発足させたRCAレーベルの第1号邦楽アーティストの一組として、シングル「太陽の剣」でデビュー、オリコンチャート54位の小ヒットとなった。
1970年5月に活動を停止し事実上の解散。
メンバー

湯村寿昭(ギター)
萩谷清(ギター)
矢口隆(ベース)
大越省二(ドラムス)
長谷幸也(ボーカル)旧メンバー
長瀬実(ボーカル)
スウィング・ウエスト
ワゴン・マスターズを脱退した堀威夫(後のホリプロ社長)によって1957年3月に結成され、ロカビリーのバンドとして暫く活動した。
1965年12月にポリドールから発売されたオムニバスLPにインスト2曲で参加する。
1970年に解散。
2000年5月30日にヤクルトホールで開催された寺本圭一のデビュー50周年記念コンサートにて、オリジナルメンバー8人により一日だけ再結成。
メンバー

堀威夫(リーダー)初期に脱退。ホリプロ創業者。
寺本圭一(ボーカル)2007年に脳梗塞で倒れて入院したが、その後回復して現在も音楽活動を続けている。
清野太郎(ボーカル)
佐川ミツオ(ボーカル)初期に脱退。カツラであることをカミングアウト。
守屋浩(ボーカル)初期に脱退。ホリプロ所属タレントでヒットした第1号である。現在もなおホリプロ所属である。
湯原昌幸(ボーカル)1964年加入。2009年11月、妻・荒木由美子との共著「夫婦力」を出版。
田邊昭知(ドラムス)初期に脱退。田辺エージェンシー代表取締役社長。
植田嘉靖(ギター)1968年脱退。
梁瀬トオル(ギター・ボーカル)
西口弘孝(ドラムス)
飯田隆二(ベース)
横山博二(キーボード)
坂本隆則(ギター)1968年加入
1971年
ザ・スパイダース
1961年(昭和36年)、スウィング・ウエストのドラマーであった田辺昭知によって結成。
堺正章、井上順、かまやつひろしの3人を中心に繰り広げられる軽妙なやりとりによるコミカルな要素も持った人気グループであった。
1971年1月の第43回日劇ウエスタンカーニバルを最後のステージとして解散。
メンバー

田辺昭知(ドラムス)解散後は田辺エージェンシーを設立し、社長となった。
加藤充(ベース)2018年6月、元ピーター&ゴードンのピーター・アッシャーとギタリストのアルバート・リーのデュオの来日公演に飛び入り参加。
かまやつひろし(ギター)2017年3月1日18時5分、膵癌のため東京都内の病院で死去。78歳没。
大野克夫(オルガン)大野克夫バンドを結成。1996年以降、アニメ『名探偵コナン』の音楽など、作曲・編曲・歌・CM・プロデュースなど幅広い音楽の分野で活躍。
井上孝之(ギター)2018年5月2日、敗血症のため死去。77歳没。
堺正章(ボーカル)65歳の誕生日である2011年8月6日、2002年ごろに出会い、8年以上交際していた22歳年下の一般女性と結婚した。
井上順(ボーカル)俳優としては、石井ふく子がプロデュースする作品で頻繁に起用されており、「石井組(ファミリー)」の一員と認知されている。
前田富雄(ドラムス)「トミー」
オックス
バンドの結成は1967年秋、キングスの元メンバーだった福井と岩田、そしてバンドが専属で活動していた大阪のサパー・クラブ「レンガ」の経営者であった清水芳夫が、方々からメンバーを集める事から始まった。
ファンが失神する場面があったため、「失神バンド」とも呼ばれた。
1971年1月、オックスは池袋ACBに於けるステージにてグループ解散を表明する。
デビューから満3年、オックスの活動に終止符が打たれた。
メンバー

福井利男(リーダー、ベース)1947年1月29日生まれ、滋賀県大津市出身。
野口ヒデト(ボーカル)1950年11月27日生まれ。解散後、演歌歌手に転向し真木ひでとを名乗る。
赤松愛(本名 赤松義信)(オルガン、ボーカル)1951年2月14日生まれ、兵庫県芦屋市出身。1969年5月に失踪・脱退。その後は家業を継ぎ現在は会社経営者。
岩田裕二(ドラムス)1946年4月15日生まれ、滋賀県大津市出身。
岡田志郎(ギター)1950年1月4日生まれ。
田浦幸(本名 田浦久幸)(オルガン)1950年10月30日生まれ。赤松の後任、1970年より夏夕介の名でソロ歌手デビューと俳優活動を始め、解散後は完全に俳優へ転向。 2010年1月27日、59歳没。
ザ・ゴールデン・カップス
1966年12月、神奈川県横浜市でデイヴ平尾を中心に結成されたグループ・サウンズ。
シングル『いとしのジザベル』でレコードデビュー。
1972年1月1日、ゴールデン・カップスとして最後の仕事となる沖縄のディスコティックでの演奏最終日、最後の曲となる『長い髪の少女』を演奏中、会場内で火災が発生し、柳のベース以外は機材をすべて焼失。
1972年1月2日、解散。
2003年5月4日、5月6日、横浜・club Matrixにて映画撮影用ライブ『THE GOLDEN CUPS MAXIMUM R&B LIVE 2003』を行う。メンバーは平尾、藩、加部、マモル、吉野の5人に、サポートメンバー3名(ドラムス:樋口晶之、ベース:スティーブ・フォックス、ギター:中村裕介)。2004年再結成。
メンバー

デイヴ平尾(1944年11月17日 - 2008年11月10日)
本名:平尾時宗。リーダー、ボーカル。
通称:時坊(トキボウ)。
エディ藩(1947年6月22日 - )
本名:潘廣源(人名事典では潘の字で記載)。ギター、ボーカル。
ルイズルイス加部(1948年11月5日 - )
本名:加部正義。ベース(エディ藩が脱退後はギター、後年、チャーに熱望されジョニー吉長と3人でジョニー、ルイス&チャー(後にピンククラウドと改名)を結成。
ケネス伊東(1946年1月1日 - 1997年3月2日)
本名:ケネス・イトウ(Kenneth Ito)。アメリカ合衆国・ハワイ州オアフ島出身の日系アメリカ人二世。ギター、ベース、ボーカル。
通称:ブッチ。
マモル・マヌー(1949年6月3日 - )
本名:三枝守。ドラムス、ボーカルだったが、再結成後はボーカルに専念することが多い。
その後、以下のメンバーが途中時期に在籍した。
ミッキー吉野(1951年12月13日 - )
本名:吉野光義。キーボード(後にゴダイゴのリーダーとして両バンドを兼務)。
林恵文(1951年5月11日 - )
ベース、藩が脱退後に加部と交代。
アイ高野(1951年1月12日 - 2006年4月1日)
本名:高野元成。ドラムス(カップス以前は「ザ・カーナビーツ」、以後は竹田和夫率いる「クリエイション」のボーカルとして、それぞれヒットあり)。
柳譲治(1948年1月30日 - 2011年10月10日)
ベース、ボーカル(ソロでヒットを出し成功)。
ジョン山崎(1950年7月29日 -)
キーボード。現在ホノルルで牧師として活動中(アロハ・バイブル・チャーチ)。
ザ・タイガース
ザ・タイガースの原型は、瞳みのる、岸部修三(岸部一徳)、森本太郎、加橋かつみの(沢田を除く)4人で1965年6月に京都市で結成された「サリーとプレイボーイズ」。
1966年元日、沢田は正式に「サリーとプレイボーイズ」のメンバーとなり、あわせてバンド名を(バンド「リンド&リンダース」の命名で)「ファニーズ」に改称。
1966年11月15日、初出演のテレビ番組『ザ・ヒットパレード』(フジテレビ系)収録当日、渡辺プロの制作部長から依頼を受けた番組ディレクターのすぎやまこういちにより、ザ・タイガースというバンド名が与えられた。
1967年2月5日発売のシングル「僕のマリー」(録音時点でのタイトルは「マリーの想い出」)でデビューする。
1970年12月7日に解散を表明する。翌1971年1月24日の日本武道館における「ザ・タイガース ビューティフル・コンサート」が事実上の解散コンサートとなる。
1981年 - 1983年、2013年再結成。
メンバー

沢田研二(ジュリー)(1948年6月25日 - )、ボーカル、タンバリン
岸部修三(サリー)(1947年1月9日 - )、ベース、コーラス
加橋かつみ(トッポ)(1948年2月4日 - )、リードギター、コーラス、ボーカル、1969年3月に脱退。
森本太郎(タロー)(1946年11月18日 - )、リズムギター、加橋かつみ脱退後はリードギター、コーラス
瞳みのる(ピー)(1946年9月22日 - )、ドラムス
岸部シロー(シロー)(1949年6月7日 - )、リズムギター、タンバリン、コーラス
1969年3月に脱退した加橋かつみに代わって参加。岸部修三の実弟。
1981年 - 1983年の同窓会時のメンバーは沢田、岸部兄弟、加橋、森本の5人で瞳みのるは不参加。
ザ・テンプターズ
1966年に埼玉県大宮市(現:さいたま市)で結成されたアマチュア・バンドが前身。
1965年、東京北区十条の朝鮮学校のリーダーが主催するダンスパーティーに呼ばれ、演奏した。だが、ヴォーカルの女性が腹痛で出演することが出来ず、バンドだけで出演し歌抜きの演奏をしていた所、会場からブーイングが起こった。
その時、リーダーがクローク係をしている中学生の少年を指名し、ボーカルの代わりをするよう要請した。
その中学生の少年が後のショーケンこと萩原健一だった。演奏を終えた後、ギターリストの松崎由治が萩原を誘い、萩原は前出の女性に代わりそのままボーカルとしてメンバーに加わることになった。
10月に松崎が作詞・作曲したシングル「忘れ得ぬ君」でレコードデビュー。
1970年、全国のジャズ喫茶、ゴーゴークラブ回りが活動の中心となった。同年12月27日に東京大手町のサンケイホール内にある小ホールでの公演にて解散。
メンバー

松崎由治(まつざきよしはる、ヨッチン、1948年4月16日 - )、リーダー、ギター、ボーカル。埼玉県大宮市出身。
萩原健一(はぎわらけんいち、ショーケン、1950年7月26日 - 2019年3月26日 )、ボーカル、ハーモニカ。2019年3月26日午前10時30分、都内の病院にてGIST(消化管間質腫瘍)のため死去。68歳没。
田中俊夫(たなかとしお、ブル、1947年11月1日 - 1997年)、ギター、キーボード。埼玉県大宮市出身。
高久昇(たかくのぼる、ノボル、1948年5月5日 - )、ベース。埼玉県大宮市出身。
大口広司(おおぐちひろし、ヒロシ、1950年11月28日 - 2009年1月25日)、ドラムス。埼玉県川口市出身。
ザ・ランチャーズ
加山雄三主演の「若大将シリーズ」が始まったころ、藤本真澄プロデューサーが加山に「会社の人間で演奏できるやつを集めてバンドをやれ。映画でも使うぞ」と指示して、加山がメンバーをかき集めて1962年結成。
1967年11月に、シングル「真冬の帰り道」でデビュー。
1971年解散。
メンバー

喜多嶋修(ヴォーカル、ギター)加山雄三とは母方の従弟にあたる。妻は女優の内藤洋子。娘は元女優の喜多嶋舞。
大矢茂(ギター)「若大将シリーズ」の2代目若大将として「若大将対青大将」に出演。
渡辺有三(ベース)2014年1月2日、虫垂癌により東京都内の病院で死去した。64歳没。
手政次(ドラムス)
旧メンバー
加山雄三(ヴォーカル、ギター) 2017年6月、第8回岩谷時子賞を受賞。
二瓶正也(ドラムス) 現在はビルオーナーをしており、仕事はウルトラマン関係のイベントが多い。
津田彰(ギター)
佐竹弘行(ベース)
三木敏彦(ピアノ) 1973年のドラマ『真夜中の警視』出演の際、門岳 五郎に改名したが、現在は本名で活動している。
速水洸(スチール・ギター)
喜多嶋瑛(ドラムス)
ズー・ニー・ヴー
結成当時は「ZOOM BOOM 5」という名前だった。
所属レコード会社は日本コロムビアを経てキャニオン・レコード(現:ポニーキャニオン)。 1968年春に結成し、1971年解散。
メンバー

上地健一(ボーカル)。町田と上地はズー・ニー・ヴー結成前の1967年、東大生の田村守と共に「キャッスル&ゲイツ」という人気フォークグループを組んでいた。
高橋英介(ギター)
山本翔(ボーカル)1995年6月18日に病没。
旧メンバー
町田義人(ボーカル)1946年9月21日生。高知県出身。土佐高校→成城大学出身。後にソロ活動。
山本康生(ギター)1947年9月28生。宮崎県出身。成城大学出身。
大竹茂(ドラムス)1948年2月3日生。東京都出身。成城大学出身。
塚谷茂樹(ベース)1948年9月8日生。長崎県出身。明治学院大学出身。
桐谷浩史(キーボード)1946年3月27日生。千葉県出身。立教大学出身。
新井容一(ドラムス)
ヴィレッジ・シンガーズ
1960年代後半(昭和40年代前半)に活躍したグループ・サウンズである。
1966年10月に、日本コロムビア(以下コロムビア)のCBSコロムビアレーベルよりファースト・シングル「暗い砂浜」でデビュー。
1967年8月にヴィレッジ・シンガーズとして「バラ色の雲」を発表。筒美の曲の良さとサウンドが功を奏し、フジテレビの音楽番組「ヒット速報」へ10週連続出演、公称60万枚突破の大ヒットを記録。
1968年2月に発売され大ヒットした「亜麻色の髪の乙女」は「バラ色の雲」と並び彼らの代名詞とも呼べる作品となった。
1971年6月を以って解散。
2002年に再集結しNHK「思い出のメロディー」に出演。その後ライブ活動を再開した。
メンバー

小松久(リーダー、ギター)再結成して活動を再開すると、それと並行して「とりづかこまつ」、「鳥塚しげき&ホットケーキ」、「ダーティサーティーズ」など、何組かのユニットにも加わり、ライブ活動も積極的に行っている。
清水道夫(ヴォーカル、ギター)1945年8月17日生まれ。愛称:道路工夫。成城大学出身。
小池哲夫(キーボード、ヴォーカル))1947年11月30日生まれ。愛称:金魚。成蹊大学出身。
林ゆたか(ドラムス)奈美悦子と結婚・離婚し、1983年に引退したが、2001年辺りからヴィレッジ・シンガーズのメンバーとして再び活動を再開している。
笹井一臣(ベース)1944年11月12日生まれ。愛称:茶々丸。
旧メンバー
古関正裕(キーボード)
南里孝夫(12弦ギター、バンジョー)
森おさむ(ベース)
角田英治(ベース)
最後に・・・

いかがだったでしょうか?
機会があれば60年代もまとめてみたいと思います。
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