橋本治の文章は軽妙、でも小難しい
作家です。非常に多作な作家さんです。
wikiに著作が出ていますが、
小説だけでなく戯曲、評論、エッセイなど
ここまで多岐にわたってこれだけの著作を持っている方は
そうはいないと思います。
橋本治を名前だけ知っている人はたくさんいると思いますが
橋本治を少しでも読んだことのある人は
「橋本治の言っていることは小難しい」
ということも知っているはず。
「難しい」のではなく「小難しい」のです。
「難しい」と「小難しい」の違いはなんだ?
学術的な専門用語とか、文体が直訳調とか、句読点が少なくて文章が長いとか
そんな「難しさ」は、橋本治の文章にはありません。
むしろ使っている言葉は平易でくだけていて
話し言葉で読者に語りかけるように書いているのですが
その内容がちょっとややこしい。
彼の考えている、とにかくいろいろな事象を
彼は言葉をつくして説明しようとしている、
我々にわかるやさしい言葉で、あらゆる角度から説明してくれるのですが
それがあまりに多くの角度から多くの言葉で語られるので
「いやもうおなかいっぱい」
な感じになってしまう、というのが
橋本治が「小難しい」と感じられる要因だと思うのです。
橋本治 世に出るきっかけはイラストレーター
そんな橋本治ですが、
世に知られるきっかけになったのは、ポスターのイラストからです。
東大紛争がピークを迎えた昭和43(1968)年、
東大駒場祭のポスターを
当時東大在学中の橋本治が描いたのがはじまりでした。
東大文学部国文科に進み、歌舞伎を専攻しながらイラストの仕事もしていたそう。
「週刊新潮」で梶山季之の『ぽるの日本史』の挿絵を描いたり。
あと、イラストは関係ないけど
「クイズ・グランプリ」で優勝してヨーロッパに行ったりしてたようです。
やっぱり頭いいんだな。

昭和枯れすゝき レコードジャケット 1974年
Amazon | 昭和枯れすゝき [EPレコード 7inch] | さくらと一郎 | ミュージック | 音楽
芝居がやりたかった・・・でも書いたのは「桃尻娘」
1976年、橋本治はいきなり「ミュージカルがやりたい」と言い出し
『ぼくの四谷怪談』『義経伝説』という戯曲を書きだします(未発表)。
が、日本で戯曲は受けないと言われて
頭にきて(笑)書き始めた小説が
あの『桃尻娘』。

桃尻娘 / 橋本治 著 講談社 1978年
桃尻娘 / 橋本治 著 - がらくた本の店 ごんた堂
タイトルがキャッチ―すぎますよね。
wikiにも、「日本で初めて女性の性欲について書いた作品とされる。性に対して奔放なヒロイン」なんて書いてあるんですが、
いや、そこまで書いてないし!ていうか、なんでそこ、そこだけェ!って思っちゃうのよォ。
えーとつい桃尻語調で憤ってみましたが、
要するに女子高生の一人称語りで語られる饒舌な私生活の話です。
書いているのは、15歳女子のホンネ
女の子ってこういうもの、女子高生ってこういうもの
という「ワク」の中で表面上おさまっていながら
心の中では全然おさまらずマシンガントークのように一人称で喋りまくる主人公の玲奈ちゃん。
とにかくいろんなものにブチギレてる。
「性に対して奔放」な部分もなくはないけど
文庫本換算で52ページ中3ページくらいしかその描写はないんだな。
あとはちょいととろくさい友人とか
がっつりホモなクラスメートとか
いささか情けない無自覚な美少年とかとの会話をメインにしながら
自分の周囲の「普通」で「常識」な事象に対して
ガンガン文句言ってる、そういう小説です。
それを29歳の(女子高生から見れば)おっさんが書く
玲奈ちゃんの心の声は、「~なの」「~だわ」「~かしら」なんて言わない。
一人称「あたし」の玲奈ちゃんは、
目の前の「あんた」だけでなく、あんたの前にいる「あたし」も含め
けっこう冷徹な目でバッサバッサ言葉で切り返していく。
「高校生の女の子は普段常に心の中でブツクサ言っている筈だ」
(講談社文庫版『桃尻娘』あとがき)との認識をもとに
頭の中で、言葉にせずに「思った」感情を
なんとか言葉にしたらこうなった、的な
だらだら垂れ流し系の饒舌体なのですが
その、いろんなものにブチギレてる視点はかなりな部分リアルで
それが「桃尻語」とのちのち言われる文体とマッチしているんですね。
ここまで饒舌に文句をつけて来ての最後の部分。
どうです純文学でしょう。
誰ですかエロだって言ってるのは。
蛇足ながら付け加えておくと
「桃尻娘」と名付けたのはクラスメートの男子達で
遠足に行った時にたまたまピンクのコットンパンツを履いていたから
そういう二つ名がついたわけ。
別に素肌のヒップがピンクなわけじゃないのよォ。
なのになぜかロマンポルノになってしまったり

日活ロマン・ポルノポスター 『桃尻娘(ピンク・ヒップ・ガール)』 竹田かほり 亜湖 監督・小原宏裕 原作・橋本治 ’78日活
ヤフオク! -「桃尻娘 橋本治」- 新品・中古品の落札相場、落札価格
『桃尻娘』は、単行本に同時収録された『無花果少年(いちぢく・ボーイ)』『菴摩羅HOUSE(まんごおハウス)』『瓜売小僧(ウリウリぼうや)』『温州蜜柑姫(おみかんひめ)』の後
『その後の仁義なき桃尻娘』(1983年)
『帰って来た桃尻娘』(1984年)
『無花果少年と瓜売小僧』(1985年)
『無花果少年と桃尻娘』(1988年)
『雨の温州蜜柑姫』(1990年)と、シリーズ化した著作が出ています。
竹田かほりを一躍人気者にした「桃尻娘(ピンク・ヒップ・ガール)」。シリーズで観ると、また楽しめます。 - Middle Edge(ミドルエッジ)
誰も書かなかった「少女マンガ」論
29歳の(女子高生から見れば)おっさんが
なぜ15歳の女の子のリアルを『桃尻娘』で書けたかといえば
そこには「少女マンガ」という
女の子の世界をリアルに感じられるメディア、
そして当時の社会からは隔絶された「異次元の」世界があったのではないかと。
2歳下の妹さんの読んでいた萩尾望都や大島弓子のマンガが自宅にあり
イラストレーターとして世に出ようとしている橋本治が、
それら24年組の作品を読んでないはずがないわけで・・・
(現に『桃尻娘』にも、竹宮惠子『風と木の詩』のジルベールの名前が出てきます)。
少女マンガは、世の中に現としてありながら、社会的には黙殺されていました。
評価の対象になどなるものではなく
誰もきちんと論じようとする人はいませんでした。
文筆業界の人間として、初めて、少女マンガを論じたのが橋本治です。

花咲く乙女たちのキンピラゴボウ<前篇> / 橋本治 北宋社 1979
<<趣味・雑学>> 花咲く乙女たちのキンピラゴボウ<前篇> / 橋本治 | 予約 | 単行本(実用) | 通販ショップの駿河屋
書評『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』橋本治著 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)
出版当時、それほど話題になったわけではないですが、
その後24年組について論じられるようになってから
「ほぼリアルタイムに近い時点でこれを書いた橋本治はすごい」と
後年じわじわと評価されてきた本です。
『桃尻娘』の女子高生のたたみかけるノリではないですが
多表現で饒舌な説明を、上から下から横からまわりこんで書き込んでいくスタイルは
もうすでに「橋本治」。
本人の経歴に曰く「日本評論史に燦然と輝くマンガ評論の金字塔」です。
ちょっとおまけ 実は元祖「編み物王子」
今「編み物王子」というと、ニットの貴公子広瀬光治が有名ですが
実は橋本治は、35年前に編み物の本を出しています。
元祖「編み物王子」だったんですよ。

男の編み物、橋本治の手トリ足トリ 単行本 – 1983/11/1
男の編み物、橋本治の手トリ足トリ | 橋本治 |本 | 通販 | Amazon
表紙のニットを見るとわかると思いますが、
女性用ニット教本でよく見る「模様編み」ではなく「編み込み」
しかも絵画のように人の顔や図を編み込んでいく、アヴァンギャルドなスタイル。
当時の編み物界に衝撃を与えた本であるらしく
絶版になっている現在では非常に高値で取引されています。

男の編み物 橋本治の手トリ足トリ 1984年 昭和59年 河出書房新社 A08-01
ヤフオク! - 男の編み物 橋本治の手トリ足トリ 1984年 昭和59...
しかしこの中にも橋本治らしい「ひとこと言いたい」セオリーは生きています。
「春って曙よ!」あの『桃尻語訳 枕草子』爆誕
あの有名な書きだし「春は曙」を
「春って曙よ!」とぶっ飛んだ訳でお披露目した『桃尻語訳 枕草子』。
受験勉強の時にお世話になった方もおいででは?

桃尻語訳 枕草子〈上〉 単行本 – 1987/9
桃尻語訳 枕草子〈上〉 | 橋本 治 |本 | 通販 | Amazon
ちょっと引用してみますね。
枕草子第一段
「春は曙。やうやうしろくなりゆく山ぎは、少し明りて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。夏は夜。月の頃はさらなり。闇もなほ、蛍の多く飛び違ひたる。またただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。」
これを桃尻語訳にすると
「枕草子」を取り上げた理由、
おそらくそこには、平安時代にもいた、等身大の「女」を取り上げたかったという
意図があったのではないでしょうか。
漢文で書かれるのが普通であった時代に書かれた、かな文字の作品。
日常にあるつらつらした思いや感じたことやできごとを書いた「枕草子」は
現代における少女マンガと同じ位置づけと見ることができます。
でもなぜ「桃尻語訳」だったのか
桃尻語訳は、たしかにぶっ飛んではいるのですが
いわゆる「意訳」「超訳」ではないんです。
概念やルールから問う重要性とは——橋本治に訊く(3)|橋本治ロングインタビュー - 幻冬舎plus
橋本治『「わからない」という方法』によると
ひとつの文を訳すにも、「断定の助動詞に完了の助動詞がくっついて、しかも推量なんだよな」
と原文をいちいち品詞分解し、全部現代語におきかえるという作業を
延々と何万回も繰り返した「地を這うような作業」だったそう。
その第一稿を読み直して原文と突き合わせ、直しを入れること三回。
さらにそれに追加した第二案を書き足して推敲をし、やっと清書。
出版社に渡した後も校正作業で赤を入れるなどの念の入れようだったそうです。
こうして「桃尻語」というカルいノリの言葉に置き換えられた「枕草子」が
とっても読みやすいものになったかというとさにあらず。
わかりにくいのは原作者の清少納言のせいだと橋本治は言っていますね。
たぶんそれを補足するための「註」がふんだんにあるわけなんですが
(その「註」だけで平安時代のしきたりや政治情勢や風俗が網羅されています)
これが補って余りある・・・余りあり過ぎるために
『桃尻語訳 枕草子』は、また別の意味でハードルの高い本になっています。
批評の手の届かない「マグマの人」
その後橋本治は
『貧乏は正しい!』1993年
『窯変源氏物語』1991–93年
『宗教なんかこわくない!』1995年
『ひらがな日本美術史』1995–2007年
『双調 平家物語』1998–2007年
『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』2002年
『夜』2008年
『巡礼』2009年
『福沢諭吉の「学問のすゝめ」』2016年
『草薙の剣』2018年
などの代表作のおよそ20倍の著作を出す、非常に多作な作家となりました。
多作ではありますが、一方で、正当な評価をされていない作家でもあります。
評価の難しい作家ということです。
なにせ「小難しい」のですから。
追悼・橋本治 - 内田樹の研究室
橋本治は自分を読書家だと思っていません。
ただ、世の中のいろいろなものごとを「おもしろい」と思う自分と
なぜ自分が「おもしろい」と思ったのかをがっつり考えたいという欲求に
あらがうことのできなかった作家なのだと思うのです。
底知れぬ知識のうしろには膨大な量の情報があり、
それを欲し咀嚼し続けるマグマがあったはず。
70歳で亡くなるときまで、マグマを燃やし続けた作家でいらしたのではないでしょうか。
橋本治さんは2019年1月29日、肺炎のため東京都新宿区の病院で逝去されました。
ご冥福をお祈りいたします。