パラシュートで華麗に逃走!未解決事件「D.B.クーパー事件」とは?
皆さんは「D.B.クーパー事件」をご存知でしょうか?1971年11月24日にアメリカで発生したハイジャック事件で、身代金を奪取後にパラシュートで逃亡というハリウッド映画さながらの様相を呈した、未解決事件マニアに人気の事件です。
こちらがD.B.クーパーのモンタージュ写真。

1971年11月24日、事件発生。
事件が発生したのは1971年11月24日。ワシントンD.C.発シアトル行きのノースウエスト航空11便に搭乗したダン・クーパーなる人物が、客室乗務員に「私は爆弾を持っている」と告げ、身代金20万ドルとパラシュートを要求する脅迫状を突き付けたのです。

ハイジャック発覚後、旅客機はシアトルの空港に緊急着陸。身代金20万ドルとパラシュートが用意され、それと引き換えに乗客全員が解放されました。そして、犯人はシアトルからの離陸を要求、高度約3000メートルまで上昇したところで犯人は、旅客機の後部にあったエアステア(昇降用階段)を空中で開き、身代金やパラシュートと共に脱出したのです。

身代金やパラシュートと共に華麗に姿を消した犯人。FBIはすぐに捜索に乗り出しました。その際に犯人の名前として誤って広まったのが「D.B.クーパー」です。そしてこの事件は「D.B.クーパー事件」として、全米中を話題の渦に巻き込むことになります。
D.B.クーパーはどこへ消えたのか?
このハリウッド映画さながらの脱出劇は当時大きなニュースとなり、FBIに対していたずらで「俺がD.B.クーパーだ」と名乗り出る者まで現れるなど、社会現象と化しました。しかし、当のD.B.クーパーは脱出後どこに姿を消したのでしょうか?

逃亡に成功し、完全犯罪が成立した?
D.B.クーパー事件が発生した翌年の1972年、パラシュートを使うハイジャックを企んだ模倣犯が複数現れたのですが、そのどれもが検挙されました。一方でクーパーの足取りだけは掴めなかった事から、逃亡に成功し完全犯罪が成立したとする説が巷で囁かれました。

根強い死亡説も!
一方で、根強い死亡説もあります。事件から8年以上が経過した1980年、バンクーバー郊外のコロンビア川畔でクーパーが奪った物とみられる5800ドル分の20ドル札の束が発見されたのです。この発見により、コロンビア川に墜落して死亡したのでは?という説が囁かれるようになりました。また、クーパーの奪ったパラシュートの一部に“空中で開かない地上訓練用のダミー”が含まれていた点も、この説を補強するものとなっています。

半世紀近い時を経て、D.B.クーパーの正体がついに特定か!?
「D.B.クーパーはいったい誰なのか?」この謎について、様々な犯人像が浮かんでは消えていきました。そんな中、近年犯人の有力候補として挙がっている人物がいます。ベトナム帰還兵のロバート・ラックストローです。

現在70歳を超えるロバート・ラックストロー。実は1978年の時点でFBIから容疑者としてマークされていました。そして最近になり、事件後にクーパーが新聞社に送ったとされる「手紙」の差出人が彼なのではないか?という情報が明らかになってきたとのこと。果たして事件は解決に向かい動き出すのか?今後の動向に注目が集まります!
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