劇団ひまわり とは?
本社所在地 150-0021 東京都渋谷区恵比寿西2-12-12にある劇団(児童劇団)・芸能事務所の事です。
歴史も古く砂岡藤三郎氏により1952年7月に創業され現在は子息である砂岡不二夫氏が代表となっています。
主に新聞広告や公式サイトでオーディション選考者を募集し、養成所レッスンをしています。
またプロとして活躍する劇団出身者が所属する系列の芸能プロダクションとして「ブルーシャトル・砂岡事務所」があります。
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主な出身者
水谷豊
現在ではドラマ「相棒」の右京さんでお馴染みですが、水谷さんが1965年の13歳の時に演劇に興味を持ち劇団ひまわりへ入団されています。
1968年、フジテレビの『バンパイヤ』のオーディションを受けデビューしたと同時に主役に抜擢され、第一話では原作者・(故)手塚治虫氏との共演を果たしています。
ジュディ・オング

1979年に「エーゲ海のテーマ~魅せられて」で有名なジュディ・オングさん、1950年に台湾台北市で生まれですが、2歳の時にお父様の仕事の都合で訪日しています。
1959年の9歳の時に劇団ひまわりに入団。

ジュディ・オング「星と恋したい」 昭和41年5月発売
1961年に日米合作映画『大津波』(原題:THE BIG WAVE・原作:Pearl S. Buck)にて映画デビューされ、のちテレビドラマ『三太物語』『明日の家族』などに出演しています。
また1966年に日本コロムビアより「星と恋したい」で歌手デビューもされています。
(故)古尾谷雅人
2003年に45歳の若さでこの世を去ってしまった(故)古尾谷雅人さん、劇団ひまわりの入団は意外と遅く20歳の時に入団されています。
当初は本名の古尾谷康雅名義で活動されていました。

女教師 永島暎子
俳優デビューは日活ロマンポルノ、特に田中登監督作品に多く出演し、屈折した青年像を演じていました。
デビュー作『女教師』(1977年、監督は田中登)では主演の女教師をレイプする不良中学生役。
石塚英彦

現在ではグルメリポーターといえば石塚さんというくらい定着していますが、意外にも劇団ひまわり出身です。
高校時代から俳優を目指していて大学生の頃に大学を休学して20歳の時に劇団ひまわりに入団しています。
当時、『お笑いスター誕生!!』に出演したこともあるそうです。
また、いいとも青年隊のオーディションは1982年の初代のオーディションを含めて2回受けたが、いずれも落選したとか。
松坂慶子

松坂慶子「愛の水中花/雨の舗道で」
1979年の「愛の水中花」でお色気たっぷりで有名な松坂慶子さん、中学3年の1967年(昭和42年)に劇団ひまわりに入団されています。
テレビ初デビューは幼児向けコメディ『忍者ハットリくん+忍者怪獣ジッポウ』(NET)で、お姉さん役テレビ初出演されています。
真田広之

2010年3月に「ハリウッドで最も活躍しているアジア俳優」に選出されたハリウッドスターの真田広之さん、幼少期に芸能関係者にスカウトされ、すでに幼児向け雑誌のモデルなどをされていたそうです。
後の5歳の時に演劇のの勉強の為、劇団ひまわりに入団されています。
デビューは6歳の時の1966年に千葉真一さん主演映画『浪曲子守唄』で初出演。
続けて千葉さんや高倉健さんの主演作品に息子役で、度々出演。
田中美佐子

最近ではバラエティー番組でのお仕事が多い田中美佐子さん、高校を卒業後、上京し短大在学中に、劇団ひまわりに入団されています。

ドラマ『想い出づくり』
1981年、TBSの緑山私塾からドラマ『想い出づくり』でデビューを果しています。
当時の芸名は「田中美佐」さんでした。
渡辺謙

世界の渡辺謙と言われる程のハリウッドスター渡辺謙さんも中学生の時に劇団ひまわりに所属されています。
ただ実父が病に倒れ仕事が出来なくなったこともあり学費捻出の困難などの問題から断念し、僅か3ヶ月程で退団してしまいました。
デビューは演劇集団 円に研究所に入所した時に唐十郎作、蜷川幸雄演出『下谷万年町物語』のオーディションを受け、研究生ながら主演の青年役に抜擢されています。
本格的なデビューは1982年(昭和57年)、演劇集団 円の劇団員に昇格し、『未知なる反乱』でテレビデビューを果たすと1984年には『瀬戸内少年野球団』で映画デビュー。
荻野目慶子

ダンシングヒーローで有名になった荻野目洋子さんのお姉ちゃん荻野目慶子さん、漫画『ガラスの仮面』で女優にあこがれ12歳の時に劇団ひまわりに入団。
子役として活動を始められています。
1979年、14歳のときに、舞台『奇跡の人』のヒロイン、ヘレン・ケラー役のオーディションに合格し芸能界入りを果しています。
柳葉敏郎

2012年5月13日こまちスタジアムにて
ギバちゃんこと柳葉敏郎さんも、劇団ひまわり出身者です。
18歳の頃に『スター誕生!』へ出場。合格ラインに届かず落選。(1979年9月23日放送)
それがきっかけで上京、劇団ひまわりに入団されています。
渋谷のディスコ仲間達でNHK前の路上で寸劇をしていた「劇男零心会」に加わる。
その後、「劇男一世風靡」を結成。
劇男一世風靡のメンバーの中から結成された「一世風靡セピア」のメンバーとして歌手デビューされています。
仙道敦子

2018年7月スタートの連続ドラマ『この世界の片隅に』(TBS系)で主人公・すずの母の浦野キセノ役を演じ、1995年放送の単発ドラマ『テキ屋の信ちゃん5 青春 完結編』(同局系)以来23年ぶりで(連続ドラマでは1993年『徹底的に愛は…』(同局系)以来25年ぶり)女優復帰を果たした仙道敦子さんも児童劇団ひまわり出身で名子役と評されていました。
児童劇団ひまわりから、11歳の1980年東京12チャンネルの時代劇ドラマ『大江戸捜査網』に出演し、1981年、ANBテレビドラマ判決-生きる(9月24日、)でレギュラーデビューされています。
山田隆夫

今では笑点の座布団運びで有名な山田隆夫さん10歳の時にフジテレビの『ちびっこのどじまん』でチャンピオンになり、それがきっかけでNHK総合の『歌は友達』という新番組の出演が決まりました。その流れで劇団ひまわりへの入団が決まったそうです。

山田さんの場合、劇団入団よりも先にデビューが決まったという感じでしょうか。
笑点の座布団運びの『山田くん』の年収が凄いことになっていた!! - Middle Edge(ミドルエッジ)
中嶋朋子

中嶋朋子さんと言ったらフジテレビ系で放送されたテレビドラマ『北の国から』で黒板蛍を演じ、名子役のイメージが強いですね。
中嶋さんは1975年、劇団ひまわりに入団されています。
入団して翌年にはテレビドラマデビューが決まり、更には1981年からは『北の国から』も出演が決まりました。
1991年にはエランドール賞(新人賞 )を受賞しています。
江木俊夫

ご本人のFacebookより
江木俊夫さんと言えばアイドルグループ『フォーリーブス』のイメージが強いと思いますが、おじさん、おばさん世代の方からしたら特撮ドラマ『マグマ大使』の村上マモル少年のイメージも強いのではないでしょうか?
江木さんは3歳で劇団ひまわりに入団するも1955年 タッちゃん(デビュー作、当時3歳)デビューしています。
3歳の時から子役活動を始め1959年頃からは日活映画を中心に活動し石原裕次郎さんや小林旭さんを始めとする数多くの日活スターと共演されています。
また1966年10月のフォーリーブス結成に参加されたのも、わずか14歳の時です。
山崎静代(南海キャンディーズ)

吉本芸人のイメージが強い「南海キャンディーズ」のしずちゃんですが、短大卒業後に劇団に入って「モーニング娘」のオーディションを受けている頃に劇団ひまわりの養成所に通っていたそうです。
ただデビューは短期大学時代に結成した「西中サーキット」中学の同級生である前野里美さんと組んだコンビでNSC(吉本総合芸能学院)には入らずに、オーディションを受けて吉本入りしお笑い芸人としてデビューしています。
因みに女優活動としては2006年の映画『フラガール』で本格的な女優デビューになります。
最後に・・・
いかがだったでしょうか?
意外な方も子役時代の経験をされていましたね。
また他にも劇団ひまわりの出身者の俳優・女優・声優さんの方々がいましたが、私の独断と偏見で選びましたのでご了承ください。
また面白そうなネタがあったらまとめてみたいと思います。
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