亀田擁護!赤井英和&トミーズ雅 | BOXING MASTER
トミーズ雅プロフィール
(本名:北村雅英)1959年12月24日(58歳)
進光ボクシングジム所属プロボクサーで、1979年西日本ミドル級新人王、最高ランクは日本スーパーウェルター級1位。
1981年当時、同じく元プロボクサータレントの赤井英和とスパーリング対戦したときの鼻の骨折負傷。
芸人にとらばーゆ
ボクサーを引退後、兄に薦められ吉本総合芸能学院 (NSC) 1期生の応募を知り健を誘う。
健はアパレル会社スリーエムへの就職が決まっていたため、一度は断るが雅の兄に半ば強引に説得され揃って(NSC)入学。
NSC卒業後の1983年6月にうめだ花月中席の「フレッシュコーナー」で初舞台を踏む。
90年代からは雅を中心に全国ネットの番組にも出演するようになるが、雅が天狗になり干されたため現在はほぼ関西だけの活動となっている。
赤井英和
赤井英和プロフィール
通称 浪速のロッキー
階級 スーパーライト級
誕生日 1959年8月17日(59歳)
浪速高等学校(浪高)入学と同時にボクシング部で活躍し、3年生にライトウェルター級でインターハイ、アジアジュニアアマチュアボクシング選手権を優勝。
プロになってからの赤井は、プロ4戦目の全日本新人王決定戦では尾崎富士雄に3RKO勝ちしジュニアウェルター級全日本新人王を獲得。
1985年2月5日に開かれた大和田正春との試合でKO負けの後、意識不明に陥る。急性硬膜下血腫、脳挫傷と診断。
医師からボクサーを引退するように勧告を受け、現役を引退。
俳優・タレントにとらばーゆ
引退後、母校・近畿大学のボクシング部コーチなど後継者育成を行っていたが、1988年に映画『またまたあぶない刑事』にゲスト出演し、俳優デビューを飾る。
エンドロールには、名前の隣に「(浪花のロッキー)」のテロップがあったとか。
そして1989年に上映された阪本順治監督の『どついたるねん』で主役デビュー。
渡嘉敷勝男
渡嘉敷勝男プロフィール
階級 ジュニアフライ級
誕生日 1960年7月27日(58歳)
1977年1月30日、テレビでWBA世界ライトフライ級タイトルマッチ具志堅用高対ハイメ・リオス(パナマ)を観たことがきっかけでボクシングを始めようと思い立つ。
浪速工業高校中退後、単身で上京し、プロボクサーになるべく協栄ボクシングジムに入門。1978年12月28日、プロデビュー。
1980年2月21日、全日本ライトフライ級新人王獲得。
1984年8月18日、敵地でWBC世界ライトフライ級王者張正九(韓国)に挑戦するが、9回TKOに敗れ、王座返り咲きならず。結局、この試合を最後に現役を引退。
タレントにとらばーゆ
引退後芸能界入りし、タレントとして活動し始める。「痛快なりゆき番組 風雲!たけし城」(TBS)、「たけし・逸見の平成教育委員会」(フジテレビ)などにレギュラー出演。